最高の形而上学:易経・老子・荘子~いわゆる三玄の書

此等の聖人に三墳・五典・三史等の三千余巻の書あり、其の所詮は三玄をいでず三玄とは一には有の玄・周公等此れを立つ、二には無の玄・老子等・三には亦有亦無等・荘子が玄これなり、玄とは黒なり父母未生已前をたづぬれば或は元気よりして生じ或は貴賤・苦楽・是非・得失等は皆自然等云云。(開目抄上)

形而上学とは検証することのできない人生の謎を問う学問です。

西洋哲学にも形而上学は存在しますが、日本人には縁の薄い学問ですね。

孔子様は、論語述而第七の二十に書かれているように、

漢文
子不語怪力亂神。

書き下し文
子、怪(かい)・力(りき)・乱(らん)・神(しん)を語らず。

現代語訳
孔子は怪異的な、暴力的な、猥褻な、霊的な事柄に関して語られる事はありませんでした。

という姿勢を貫いておりました。よって、道徳のみを説いたのです。

しかし、人が世に処していくには理想だけでは行き詰ってしまいます。ですから、同じく論語の述而第七の十六には、

漢文
子曰、加我數年、五十以學、易可以無大過矣。

書き下し文
子曰わく、我に数年を加え、五十にして以て易(えき)を学べば、大なる過ち無かるべし。

現代語訳
孔子がおっしゃいました、
「私がもう少し年を重ねて50歳になった後で易経を学び直せば、大きな間違いなどしなくなるだろう。」

とも述べたと記されています。葦編三絶の言葉は孔子様が易経を、綴じ紐が三回切れるほど読み込んだという逸話からできた故事成語ですね。

これが

一には有の玄・周公等此れを立つ

という開目抄の言葉です。つまり易経のことです。易経周易とも言われ、周の文公が書いた書物孔子が注釈をつけた、人生指南・天下経綸の書とも言われています。 

 

艱難を裂く、決断の書 「易経」

艱難を裂く、決断の書 「易経」

 

二には無の玄・老子

老子の教えは「空」を説いているとも思われます。

シンプルかつ短い81章の詩編は、読むものに一種の清涼感を与えてくれます。

執着や強欲に雁字搦めの私たちの心を癒してくれるような言葉に出会えます。

本を読んだだけで救われることはないのですが、手元に置いて読み返すと鬱を回避できるかもしれません。

 

タオ―老子 (ちくま文庫)

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三には亦有亦無等・荘子が玄これなり

荘子になると「中」が説かれています。胡蝶の夢が有名ですね。

原文
昔者荘周夢為胡蝶。栩栩然胡蝶也。
自喩適志与。不知周也。俄然覚、則蘧蘧然周也。
不知、周之夢為胡蝶与、胡蝶之夢為周与。
周与胡蝶、則必有分矣。此之謂物化。
書き下し文
昔者荘周夢に胡蝶と為る。栩々然として胡蝶なり。
自ら喩しみて志に適えるかな。周たるを知らざるなり。 俄然として覚むれば、則ち蘧々然として周なり。
知らず、周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるかを。
周と胡蝶とは、則ち必ず分有らん。此を之れ物化と謂う。
訳文
以前のこと、わたし荘周は夢の中で胡蝶となった。喜々として胡蝶になりきっていた。
自分でも楽しくて心ゆくばかりにひらひらと舞っていた。荘周であることは全く念頭になかった。はっと目が覚めると、これはしたり、荘周ではないか。
ところで、荘周である私が夢の中で胡蝶となったのか、自分は実は胡蝶であって、いま夢を見て荘周となっているのか、いずれが本当か私にはわからない。
荘周と胡蝶とには確かに、形の上では区別があるはずだ。しかし主体としての自分には変わりは無く、これが物の変化というものである。

あくまでもざっくりとした比喩でしかないのですが、詩的な表現で生命の不思議が説かれています。

人間の頭(理性)だけで考えて到達できるところまで行ったのが、三玄の書だと思うのです。

しかし、あくまでも人間の五感と知恵だけで分かる範囲に終わっています。それでも、深いのですよ。

2500年後の現代科学は後追いの形で、量子力学に到達し人間の意識や脳の機能の問題に踏み込もうとしています。

828夜『創造的人間』湯川秀樹|松岡正剛の千夜千冊

量子力学の研究者でノーベル物理学賞受賞者の湯川博士が、荘子を愛読していたというのもおもしろいです。

 

ラブ、安堵、ピース 東洋哲学の原点 超訳『老子道徳経』

ラブ、安堵、ピース 東洋哲学の原点 超訳『老子道徳経』

 

孔子が此の土に賢聖なし西方に仏図という者あり此聖人なりといゐて外典を仏法の初門となせしこれなり、礼楽等を教て内典わたらば戒定慧をしりやすからせんがため・王臣を教て尊卑をさだめ父母を教て孝の高きをしらしめ師匠を教て帰依をしらしむ、妙楽大師云く「仏教の流化実に玆に頼る礼楽前きに馳せて真道後に啓らく」等云云、天台云く「金光明経に云く一切世間所有の善論皆此の経に因る、若し深く世法を識れば即ち是れ仏法なり」等云云、止観に云く「我れ三聖を遣わして彼の真丹を化す」等云云、弘決に云く「清浄法行経に云く月光菩薩彼に顔回と称し光浄菩薩彼に仲尼と称し迦葉菩薩彼に老子と称す天竺より此の震旦を指して彼と為す」等云云。(開目抄上)

日蓮大聖人様は中国の聖人を人界の師匠と御認めです。

現在の日本では論語易経も、老子荘子も学校では教えません。

しかし、

夫れ一切衆生の尊敬すべき者三あり所謂主師親これなり、又習学すべき物三あり、所謂儒外内これなり。

と仰せです。

せめて三玄の書くらいは座右に置きたいですね。

 妙楽大師云く「仏教の流化実に玆に頼る礼楽前きに馳せて真道後に啓らく」等云云、天台云く「金光明経に云く一切世間所有の善論皆此の経に因る、若し深く世法を識れば即ち是れ仏法なり」等云云

 

 

老子・荘子 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス 中国の古典)

老子・荘子 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス 中国の古典)