恨みの心と仏法

このうへは・たとひ一分の御恩なくとも・うらみまいらせ給うべき主にはあらず、それにかさねたる御恩を申し所領をきらはせ給う事・御とがにあらずや、賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり、利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり、をを心は利あるに・よろこばず・をとろうるになげかず等の事なり、此の八風にをかされぬ人をば必ず天はまほらせ給うなりしかるを・ひりに主をうらみなんどし候へば・いかに申せども天まほり給う事なし、訴訟を申せど叶いぬべき事もあり、申さぬに叶うべきを申せば叶わぬ事も候、夜めぐりの殿原の訴訟は申すは叶いぬべきよしを・かんがへて候しに・あながちに・なげかれし上日蓮がゆへに・めされて候へば・いかでか不便に候はざるべき、ただし訴訟だにも申し給はずば・いのりてみ候はんと申せしかば、さうけ給わり候いぬと約束ありて・又をりかみをしきりにかき・人人・訴訟ろんなんど・ありと申せし時に此の訴訟よも叶わじとをもひ候いしが・いままでのびて候。(四条金吾殿御返事)

八風御書です。

人の世に生きる以上、人生の悩みの多くは人間関係の悩みです。

相手のことを呪うような信仰は、かえって自分を呪うことになるのです。

八風に侵されない心が欲しいですが、嫌いな人の不幸を願ったり、死を願ったりする信心ではいけませんね。

いくら、御本尊様の前では正直にと言っても、呪いの題目になってしまっては、天の守りもなくなるようです。

禅定に心掛けていきましょう。

悩みは悩みとして御本尊様に祈り、知恵を給わり、応援してくれる人の到来を待ちましょう。

 

平成新編日蓮大聖人御書

平成新編日蓮大聖人御書