フレブル君日記

フレブルはゆるいよ

広宣流布と事の戒壇建立の功徳

戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり 「三大秘法禀承事」

 日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり、就中我が門弟等此の状を守るべきなり。  弘安五年壬午九月 日 日 蓮 在御判  血脈 「身延相承書 (総付嘱書)」

 

  f:id:ekikyorongo:20170527200528j:plain

久しぶりにこの二つの御金言を掲載しました。

私の信心の原点だから。時とは日本の国の広宣流布の時です。

経に云く「我久遠より来かた是等の衆を教化す」とは是なり、末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり、日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし、ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給うべし「諸法実相抄」

広宣流布の時は、日本一同にお題目を唱えるのですね。そして、弓を放って的に当たらないことはあっても、地面を的にすれば必ず当たります。ここまでの御断言ですから、必ず広宣流布するということでしょう。

法華折伏・破権門理の金言なれば終に権教権門の輩を一人もなく・せめをとして法王の家人となし天下万民・諸乗一仏乗と成つて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり。「如説修行抄」

これはすごいことですよね。

自然現象も和らぐということです。雨も降るし、風も吹く。大地も震動するけれど災害には至らない。人に害をなさないのです。これは全世界に広宣流布した功徳を表現されたものでしょうか。

ただをかせ給へ・梵天・帝釈等の御計として日本国一時に信ずる事あるべし爾時我も本より信じたり信じたりと申す人こそおほくをはせずらんめとおぼえ候「上野殿御返事」

広宣流布はズバッと短期間にできてしまうということでしょうか?そして、達成後には焦って偽装信者や乗っかり信者が増えるということでしょうか。反対してたんじゃ?的な人たちが圧倒的に多いって感じですね。

有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時

の御金言が思い出されます。

 大白法・平成13年2月16日刊(第567号より転載)教学用語解説(67)

徳王とくおう覚徳かくとく比丘びく

 「有徳王と覚徳比丘」の故事は、涅槃経『金剛身品第二』の釈尊しょうの問答中、釈尊の言葉として説かれています。
 如来の身は金剛身こんごうしん(常住の身)であるという釈尊の説法に対し、迦葉は、涅槃に入らんとする釈尊の身は限りある肉身であって、到底とうてい金剛身であるとは信じられないと疑います。そして、これについて釈尊本生譚ほんじょうだん釈尊が過去世に菩薩道を行じていた時の物語)をもって説示したものが、有徳王と覚徳比丘の故事です。
 
 故事の内容
 この故事は『立正安国論』等の御書に多く引用されています。これを意訳すると、次のようになります。
 無量無辺僧祇劫そうぎこうの昔、拘尸那くしな城に歓喜増益如来が出世しました。その如来が説かれた法は、如来の滅後も無量億歳にわたって衆生を利益していましたが、その正法がとうとう滅びようとする末世に、覚徳比丘という名の正法を護持し弘宣する持戒の僧侶がいました。ところがあるとき、彼の正しい説法を憎む大勢の謗法の徒が刀杖とうじょうを手にして、この覚徳比丘を殺そうとしていたのです。これを聞きつけた当時の国王である有徳王は、護法のため、眷属を率いて直ちに覚徳比丘の元へ行き、覚徳比丘をかばって大勢の謗法の徒と闘いました。その結果、覚徳比丘は危害を免れましたが、有徳王は戦闘によって体中にきずを受け、まさに虫の息という状態となってしまいました。
 覚徳比丘は、有徳王に「あなたは本当に正法を護る者です。未来の世には無量の功徳をそなえた身を得ることができるでしょう」とめ讃えました。これを聞いた有徳王は大いに喜んで亡くなったのでした。そしてその後、有徳王はしゅくぶつという仏のまします国に生まれ、阿閦仏の一番弟子となり、また覚徳比丘も命が尽きた後、遅れて同じく阿閦仏の元に生まれ、第二の弟子となりました。さらには有徳王と共に戦闘に参加した者たちも、同じく阿閦仏の国に生まれたのです。
 釈尊は、このような話をすると、迦葉菩薩に「もし正法が滅ぼされようとしているならば、まさにこのように受持擁護おうごすべきである。実は迦葉、そのときの有徳王はすなわち我が身(釈尊)であり、覚徳比丘とは、あなた(迦葉)の前世の姿なのである」と述べ、「迦葉よ、正法を護持する者は無量の果報を得るのである。この功徳において、私は今世、法身ほっしん不可壊ふかえ身・金剛の身を得ているのである」と金剛不壊身の大功徳を説いています。

 

広宣流布の時なり―世界に広がる折伏の息吹き (法華講員体験シリーズ 5)