フレブル君日記

フレブルはゆるいよ

三大秘法義を真剣に読むために

 

三大秘法義

三大秘法義

 

信徒が手に入れることのできる最高の教学書である。

購入時は非常に難しく感じた。

日々の勤行唱題の中で読ませていただきたいと、真剣に御祈念申し上げる中で徐々にではあるが、自分なりに拝することができるようになった。

教学は信心によって成就するものだという意味が、遅ればせながらではあるが納得できるようになった。法華講に入って満7年が来ようとして、ようやくたどりついた境地である。

仏教学や文献学などヨーロッパ流の学問では、教学の勉強は大成しない。

そのような学問の付け焼刃は自分の信仰をぶち壊すものでしかない。

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私は大学で木田元教授に師事した。

木田先生は現象学者であられたが、現象学の集大成はヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学 (中公文庫)に収められている。

フッサールはこの本でデータや数字によって客観的真理なるものを追究しても、結局のところ人間の生の意味が消滅してしまうだけであることを論証した。

論理実証主義は何も残さないのである。

信仰を問うのに文献ばかり追いかけても、そこには何も残りはしない。

信仰とは信じることであり、実践であり、教学は信と行が自分のなかで一層の熟成をする場なのだ。

ニーチェツァラトゥストラ (中公文庫)は、アプローチや著者の気質は大きく異なるけれども、同じ境地を詩で表現したものであるように感じられる。

40代半ばになってその意味が理解できるようになった。

しかし、フッサールニーチェも自分の思想を伝達する手段に乏しかった。

ために100年を超える誤解にさらされてしまったのだ。

フッサールの弟子であったハイデガー存在と時間1 (光文社古典新訳文庫)の完成を断念してしまい、以後の哲学はこれといった進歩を遂げないまま今日に至っている。

しかし、歴史学や人類学の分野から新たな人間研究の試みがなされ、銃・病原菌・鉄 上下巻セットや、サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福などの興味深い力作がベストセラーとなっている。

人が一生の間に多大な影響を受ける本というのは、数が限られている。

読みやすく著者の意図を誤解しにくい良質な本を多く読み、自分の見識を広げることは信仰者にとっても大切なことだと思うのである。

だが、いくら学問的に人間学が発達しようとも、その眼前に横たわる事実としての問題には、有効な解決策は糸口すら見出し得ていないのだ。

これが大聖人様の仰せられる事と理の違いであり、事の一念三千を説かれた大功徳の御本尊様から妙法の功徳をいただくこと以外に、本物の智慧は存在しないということの証だと思う次第である。