正宗系観察日記さんの反証盛りだくさんについての一考察

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ガチンボウさんこと観察日記さんの、御利益と成仏の相に関する反証盛りだくさんシリーズ?も読みごたえがありました。

ふむふむなるほどといった気持ちで読みました。

いわゆる現証論の是非を問うているのだと思います。

御利益VS魔の通力論争は、顕正会員VS創価学会員VS法華講員の三つ巴水掛け論が有名ですが、これだけ反証が収集されると壮観ですな。

驚いたのは成仏の相まで反証がズラリ。

さすがにこれは冷や汗タラリでしょうか。

ここで一つ私が想起したのは「カラマーゾフの兄弟」でした。1巻目のゾシマ長老の葬式のシーン。

 

ゾシマ長老はお人柄の素晴らしい神父様です。三男のアリョーシャの師でもあります。

ゾシマ長老には暗い過去(兵隊時代の部下への暴行)と、奥の院でお妾さんを囲っている疑惑がありました。その対極の聖僧としてフィランポン神父が登場します。

奇跡を起こすほどのゾシマ長老の葬儀の時、不穏な騒ぎが起こります。

なんとこともあろうに、葬儀中に腐敗臭が立ち込めるという状況が発生するのです。

この話を読んだときには驚きましたよ。

ロシア正教にも死後の相による審判があったのかと。

ユングの元型論ではないですが、人間の深層心理の奥底には共時性が働いているのでしょうか。

キリスト教ですから成仏の相とは言わないでしょうが、天国行きか不信心者かの証明が死にざまに出るという思想があるのでしょうかね。

日寛上人・臨終用心抄
一、他宗謗法の行者は縦(たと)ひ善相有りとも地獄に堕つ可き事。
中正論【八 六十】に云く、縦ひ正念称名にして死すとも法華謗法の大罪在る故に阿鼻獄に入る事疑ひ無しと云云。私に云く禅宗の三階は現に声を失ひて死す、真言の善無畏は皮黒く、浄土の善導顛倒狂乱す、他宗の祖師、已に其れ此くの如し。末弟の輩、其の義知る可し、師は是れ針の如し、弟子檀那は糸の如し、其の人命終して阿鼻獄に入るとは此れ也云云。

との御指南がございますので、他宗謗法の方は例え善相であっても地獄に堕ちたんですよ、というのが教科書的な答えになるのでしょうか。

こんな回答ではガチ氏は納得しないでしょうね。

分かっています。

私個人の見解では、ガチ氏の反証例を判定できる力量はありませんというのが答えです。伝聞情報では判断のしようもありませんと言えば卑怯ですよね。

分かっています。

ならばお前の本心はどうなんだと言われれば、私もまた自分の目の当たりにした、父の葬儀をよりどころにするほかないと申し上げます。

他宗の人でも良き相で亡くなられたという、ご報告を聞いて恥ずかしい限りでありますが、私の父の臨終の相はそれはヒドイ姿でありました。

死に目にも会えず遺体の安置されている部屋に入った瞬間、私の顔は引きつったと妻は後に証言しました。

最初は密葬か直葬にしようか迷ったほどです。

忍びない気持ちで日蓮正宗寺院に葬儀の申し込みをし、通夜式・本葬を執行していただきました。

通夜式で色が白くなりホッとした表情に変わったことが分かりました。

本葬では白くなった顔の頬にピンク色の赤みが差しました。生きているのか?と思って思わず顔に触れてしまうほどでした。

信仰をしていない親戚・知人も驚いておりました。

この体験が信仰のよすがです。

笑いたければお笑いください。

あの感激がなければ今も信仰を続けていたかどうか・・・。

他宗の臨終の相は存じ上げませんので、個人としては申し上げることはございません。

●臨終の相(大聖人御書)
人は臨終の時、地獄に墮つる者は黒色となる上、其の身重き事千引(ちびき)の石(いわ)の如し。善人は設ひ七尺八尺の女人なれども色黒き者なれども、臨終に色変じて白色となる。又軽き事鵞毛(がもう)の如し、軟(やわ)らかなる事兜羅綿(とろめん)の如し。(千日尼御前御返事   弘安元年閏一〇月一九日  五七歳 1290

死する時は黒皮隠々として骨其れ露(あらわ)ると申して無間(むけん)地獄の前相其の死骨に顕はし給ひぬ。人死して後(のち)色の黒きは地獄に堕つとは一代聖教に定むる所なり。(神国王御書    弘安元年  五七歳 1303

めうほうれんぐゑきゃう(妙法蓮華経)をよるひる(夜昼)となへまいらせ、すでにちかくなりて二声かうしゃう(高声)にとなへ乃至いきて候ひし時よりもなをいろ(色)もしろ(白)く、かたちもそむ(損)せずと (妙法尼御前御返事    弘安三年七月一四日  五九歳 1482

大論に云はく「臨終(りんじゅう)の時色黒きは地獄に堕(お)つ」1482

摩訶止観(まかしかん)に云はく「身の黒色は地獄の陰を譬ふ」1482

先づ臨終の事を習ふて後に他事を習ふべし 1482

悪人は風と火と先づ去り、地と水と留まる。故に人死して後、重きは地獄へ堕つる相なり。善人は地と水と先づ去り、重き物は去りぬ。軽き風と火と留まる故に軽し。人天へ生まるゝ相なり。(光日上人御返事    弘安四年八月八日  六〇歳 1564)

死してありければ身やうや(漸)くつヾ(縮)まりちひ(小)さく、皮はくろ(黒)し、骨あらわ(露)なり等云云。人死して後、色の黒きは地獄の業と定むる事は仏陀(ぶっだ)の金言ぞかし。(報恩抄  建治二年七月二一日  五五歳 1023

日寛上人・臨終用心抄
一、他宗謗法の行者は縦(たと)ひ善相有りとも地獄に堕つ可き事。
中正論【八 六十】に云く、縦ひ正念称名にして死すとも法華謗法の大罪在る故に阿鼻獄に入る事疑ひ無しと云云。私に云く禅宗の三階は現に声を失ひて死す、真言の善無畏は皮黒く、浄土の善導顛倒狂乱す、他宗の祖師、已に其れ此くの如し。末弟の輩、其の義知る可し、師は是れ針の如し、弟子檀那は糸の如し、其の人命終して阿鼻獄に入るとは此れ也云云。


一、臨終に唱題する者は必ず成仏する事。
先ず平生に心を懸け造次顛沛にも最も唱題すべし。亦三宝に祈ること肝要也。又善知識の教を得て兼て死期を知り臨終正念証大菩提と祈るべき也。多年の行功に依り三宝の加護に依り必ず臨終正念する也、臨終正念にして妙法を口唱すれば決定無有疑也。


一、多念の臨終、刹那の臨終の事。
愚案【二 八】に云く多念の臨終と云ふは日は今日、時は唯今と意に懸けて行住座臥に題目を唱ふるを云ふ也。次に刹那の臨終と云ふは最期臨終の時也、是れ最も肝心也。臨終の一念は多年の行功に依ると申して不断の意懸けに依る也。樹の先づ倒るるに必ず曲れるに随ふが如し等之を思へ、臨終に報を受くる亦復強きに従て牽く【弘一中四十四】文也。故に多年刹那に是を具足すべき事肝要也。

 

 

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