読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

フレブル君日記

フレブルはゆるいよ

僧と俗の問題は永遠の課題ですが、お寺から遠ざかる責任は自分自身です。

sokadamedasi.blog27.fc2.com

いつも勉強させてもらっている、創価ダメ出しブログに僧と俗の問題について記述がありましたので、常々日蓮正宗の信者としてブログを書いている私自身の見解を述べてみたいと思います。

ダメ出しさんの記述は教科書通りとお申しますか、公式見解そのものと言えるでしょう。僧と俗には差別はなく、区別があるだけ…。

表向きはその通りなんだけど、実際は違うというのが6年間の日蓮正宗体験での実感です。

 

1 僧侶自身の個性の問題

日蓮正宗の僧侶とてあくまでも一人の人です。

あえて言えば末法の凡夫。

いろんな人が居るのはしょうがないです。

優しい人もいれば厳しい人もいる。まじめな人もいればそうでない人もいる。

人間には相性というものがあって、僧侶と信徒でも相性のいい悪いはあるのです。

それは程度の問題と節度の問題であって、信徒側が無理に近づこうとしなければ大した問題ではありません。

普通の人間社会の問題と同じです。

相性が悪いからと腹を立てる必要もなければ、悪口を言う必要もない。

相性がいいからといって、なれなれしくする必要もない。

問題は近づきすぎてしまうことから起きてしまうことが多いのです。

ネットでブログを運営していると、僧侶依存症の人に出会います。

実際のお寺にも一定数存在しています。

いつも住職の住む庫裏へ入っていって、個人的な相談を持ち掛けています。

いつもいつも自分の納得できる回答が返ってくるわけではありませんから、思うようにならないことを言われたときに、怨嫉が発生してしまうようです。

人生の問題を僧侶が解決してくれると錯覚していることが、一番の大きな間違いだと私は思うようになりました。

あくまでも、自分の人生の悩みや問題に向き合うのは自分です。

話せばスッキリするのもわかりますが、家の仏壇の前に座ってしっかりと唱題する方が先だと思います。

2 折伏誓願の問題

現在の日蓮正宗は大変大きな折伏誓願目標を立てています。

誓願ですからノルマではないのですが、実際にはノルマです。

個人のノルマはなくお寺のノルマになっているのが基本で、登山・結集・御供養もすべて割り当てなるものがあるようですね。

信徒数の多いお寺と少ないお寺では、このノルマに関してトラブルが発生する確率に違いがあるようです。

私のお寺には千人単位の信徒が在籍しています。行事や法要があると本堂が埋め尽くされるようなお寺です。

私自身、僧侶からノルマを責められた経験はありません。誰かが知らないうちに頑張ってくれているのだと思います。

役職でもない限り蚊帳の外なのです。

登山の勧誘の電話はかかってきますが、年に一回と決めていますのではっきりと断っています。

お寺によっては信者がゼロとか、御講に3人とかという悲惨な状況のお寺もあるようです。私の所属寺院にはそういうお寺から逃げ込んできた人もいます。

信者の数が少ないと住職さんから直接責められるらしいです。

責めない人もいるようですが、責める人に遭遇すると創価や顕正の時の悪夢がよみがえってしまうようですね。

折伏はしなくてはいけない修行ですから、出来てなければ責められるのは仕方がないでしょう。しかし、程度の問題はあってあまりしつこくされると嫌になるのも人情です。

可能であれば大きな信徒数を抱えるお寺に縁させていただく方が、長続きしやすいです。

勝手によそのお寺で御授戒を二回受けるとか、離籍を強談するようなことはやめた方がいいですね。

菩提寺の大事は大きくて、勝手なことをすると五逆罪に匹敵するような大きな罪障を積んでしまうそうです。

私の知人で他県で就職し、居住地のお寺に勝手に出入りしていて、法要や行事の警備までしていて罰をもらった人がいます。

なんで?って思うかもしれませんが、菩提寺の御本尊様に成仏させていただくということを忘れてしまったことによる、不幸なのです。


菩提寺の御本尊様とは 深い縁がある 08

3 僧侶を意識しすぎる三毒の問題

創価学会が邪難をしまくってきたせいで、僧侶に多くの偏見を持ってしまう人が多いのも事実です。

僧侶の妻帯・飲酒・放蕩…

私自身も過剰に偏見を持ってしまっていました。

しかし、あまり意識しなければ世間の普通義ばかりです。

僧侶の懐具合なんて考えていたら、御供養する気が起きなくなるのは当たり前です。

創価や顕正だって会計を会員に公開していませんよね。

御供養は仏様にするものです。

御供養の功徳は二つあって、金銭的に困らなくなることが一つ。もう一つは自分の貪欲を減らすことができるのです。

創価や顕正の御供養はリターン目当てですから、返って三毒が強くなります。これだけ御供養したのだからきっと。。。なんてのは心得違いなんですよね。

人間関係の悩みや諸事祈念に塔婆供養が絶大というのは、古くから信心を法華講でしている人たちは熟知しています。

自分の先祖だけではなく、歴代の猊下様や住職の年忌法要に塔婆を建立されています。

しかし、それとて報恩感謝の念がなくては意味がありません。

功徳に酔いしれてしまうと、ただの祈祷師ファンになりさがってしまいます。

創価学会があれだけ宗門に御供養しながら、功徳もいただきながら反逆したのは、結局自己中心的な餓鬼界の信心を続けたからなのです。

御供養を無駄遣いする僧侶が居るなら放っておけばいいのです。

その罪障は僧侶ご自身がいつか気づくでしょうし、大聖人様がお許しにならないと思っておけばいいのです。


御供養を惜しんでいると 結局、仕事も何もかも 満たされてこない 06


正しい三宝に 長く御供養してきた福徳は 莫大 011


御供養の大事 022


回向・塔婆供養の意義 034