仏教学と教学は違うというお話。

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創価学会員による創価ダメ出しブログ」は勉強になります。

中でも私がハッとさせられたのは、仏教学と教学は違うというお話でした。

ブログの中で「依義判文」と「依文判義」という言葉に出会いました。

依義判文は文底読み、いわゆる日蓮正宗の読み方。

依文判義は文上読み、身延読みというわけ。

最近の創価学会員の自称論客たちは、身延読みで悦に入っているというわけ。

私の一知半解の文章よりも、御当人の文章の方が分かりやすいので、以下に引用させていただく。

世間の学者が正宗教義を認めないのはなぜか?
これは、いたって簡単な理由で
世間の学者と我等日興門流とは
【学んでいること】が全然違うからである。
具体的言うと、学者が学んでいるのは釈迦の仏法で
我々が学んでいるのは日蓮大聖人の仏法ということだ。
釈迦の思想なり哲学なり仏法なりを学ぶのが【仏教学】
大聖人の仏法を学ぶのが【教学】
仏教学と教学は似て非なるものなのである。

釈迦(本)仏を前提としている学者が
日蓮本仏を唱えるわけないし
当然日蓮本仏を唱える日寛教学を認めるわけない。
認めないというか、
彼らには日寛上人のご指南を理解することすらできない。
それは、釈迦本仏の場合と日蓮本仏の場合では
すでに学び方が違うからだ。
仏教学とはいうならば帰納法であり、
対して教学とは演繹法
こう言うより依文判義と依義判文
と言ったほうが分かりやすいか。
仏教学」とは依文判義で
「教学」は依義判文
御書にしても経論にしても読み方が全然違うのである。
なぜ、そうなってしまうかというと
釈尊は具体的な法体を顕していない。
故にその経文をもってその義を理解する以外にない。
俺から見れば相当無駄な努力にしか見えない。
一生そんな研究したところで答えは絶対見つからない。
釈迦自身が「其智慧門。難解難入。一切声聞。辟支仏。」
とかいているのだから分かるはずがない。
その証拠に過去に、釈尊の説く「法」とは「これだ」と
なんの疑義も異論もなく納得いく答えを示した
仏教学者・宗教学者は誰一人いないの。
対して大聖人の仏法は既に「法体」を
戒壇大御本尊として顕しているのである。
仏教学」のように、「文献」や「歴史」などに基づいて
釈迦の説かなかった「法体」を
推論する必要など微塵もないわけだ。

他宗の僧俗、世間の学者は
日寛上人の教学を「文底読み」
といって邪道と批判するが
そもそも、御書には何が書いてあるのか?といえば
法体たる大御本尊とその修行に関することが書いてある。
それ以外には何も書いていない。
これは御書に限らず釈尊の経論だって一緒だ。
御書や経典に書かれているのは「法門」である。
「法門」とは「法体」の説明である。だからこそ「法門」と呼ぶ。
ところが、釈迦仏法では「法体」が解かれていない
故に「法門」を学んで「法体」を悟らなければならない。
「法体」がハッキリしない以上
経論の読みその義(法体)を判断する以外にないのである。
それが「仏教学」の学習方法であり、
釈迦仏法を学ぶにあたってはこの方法が正しい。
釈迦仏法だけを学んでいれば
「文上読み」しかできないのである。
「文底読み」を批判するのは
「文上読み」しかできないからに他ならない。

しかし、日寛上人もそして我々も
法体である大御本尊を知っている。
だから、依義判文で御書を読むのである。
依義判文とは文底読みである。
全ては法体である一大秘法の大御本尊の説明である。
これを知って御書を読むのが「文底読み」だ。
依文判義で御書を読む、いわゆる「身延読み」は
俺からしてみれば、大聖人仏法の法門を
全くわかっていないトーシローとしか思えない。

そもそも御書の文上で読んで何がわかるのか?
文から義を判断しよとするから
皆、我見をいうのである。
御書を切り文して、
日興門流の教義を
日寛上人の教学を
法体たる大御本尊を
否定しようとする。
大御本尊を否定した時点で
「法門」である「御書」を否定したことになる。
それでいて文証もクソもないのだ。
他宗の僧俗や学者さん
そして大御本尊不受の創価会員と池田センセ
全員同じ穴のムジナだ。

◆一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり、
当世の習いそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり(草木成仏口決)

■明者は其の理を貴び闇者は其の文を守る(依義判文抄)

ともあれ、「仏教学」と「教学」は
このように全く別物だ。
故に、「仏教学」の視点では
「教学」を語ることはできないし
仏教学」と同じ方法で「教学」を学ぶと
間違えるので注意したいものだ。
最後に「御書がいまひとつわからない」という人は
おそらく、依文判義をしようとしていると思う。
一度、依義判文 で読んでみることをオススメする。
いままでわからなかったことが
わかるようになると思う。

いやはや、目から鱗が落ちた気分でした。

素晴らしい。

どうか創価ダメ出しブログの運営者には、一日も早く日蓮正宗に戻ってきてもらいたいと思うのです。

 

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