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フレブル君日記

フレブルはゆるいよ

御会式の意義②

日蓮正宗

【御本仏の三世常住】

末寺の御会式は10月頃(正確には9月28日より12月15日まで)から組寺住職出席のもと順次行なわれていきますが、総本山ではとりわけ御大会(ごたいえ)と呼び慣わされ、11月20日が御逮夜法会(おたいやほうえ)、21日が御正当会(ごしょうとうえ)として奉修されています。これは弘安5年の御入滅の日は、その年の太陽暦に算定すると11月21日に当たるところから、毎年この日に定めて行なわれるのです。宗祖日蓮大聖人様は弘安5年10月13日、御入滅の相をお示し遊ばされました。しかし、実は、法華経如来寿量品』に「現有滅不滅(げんうめつふめつ)」「常住此説法(じょうじゅうしせっぽう)」と説かれるごとく、三世常住される久遠の御本仏の振舞にあらせられるのです。
そこで毎年総本山大石寺で奉修される御大会は、大聖人様が久遠の御本仏として御出現せられ、御説法されるお姿を儀式の上に表わすという、本宗における最も重大な法会となっています。
総本山での御大会には、御本仏の御出現・御説法になぞらえた儀式を随所に拝見することが出来ます。御逮夜の日の夕刻、篝火(かがりび)の明かりが参道を照らすなか御法主上人が御影堂(みえいどう)に向かわれ「お練り」の儀式が行なわれますが、これは御本仏大聖人の御出現をあらわしているのです。
「お練り」とは静かに徐(おもむろ)に行列を作って歩くことで、仏様がまさに法を説かれるに当たり、めいてつ(水のように澄んですき通っていること)不動の境界と悠揚(ゆうよう)迫らざる心地を歩みにするものとされています。
行列が御影堂の正面参道に至りますと、いったん停止し、七・五・三に打たれる喚鐘(かんしょう)に合わせて、六名の助番(じょばん)僧が一人づつ七人、五人、三人の順に御法主上人へ一礼に走ります。これは大聖人様に、弟子が、御説法を身をもってお願い申し上げる動作を表わしているのです。
こうして行列は御影堂前に着くと、堂の西側を廻って、裏向拝(うらごはい=裏面にある庇〈ひさし〉の出た入堂口)より入堂されます。裏向拝を使われるのは、御影堂に御本仏大聖人が常住される意味があります。一方、参詣者は客として、表向拝から参堂させていただきます。
かくして満山大衆着座後、これより御本仏が『如来寿量品』を御説法される会座に入るのです。
先ず御法主上人は、法華経『涌出品(ゆじゅっぽん)』に忽然(こつねん)と大地より涌出する上行菩薩(じょうぎょうぼさつ)の姿を表わす意味から、高座下手にしつらえた上行座に北面して着座されます。次いで会行事(えぎょうじ)が仏様の登高座(とうこうざ)を願い奉り、その請いをうけ御法主上人は登高座され、如法散華焼香の後に、『寿量品』の御説法が始まります。すなわち末法の御本仏日蓮大聖人様が、寿量品文底、久遠名字の南無妙法蓮華経を説き出される儀式となるのです。
御説法終了後はわ三三九度の盃の儀式が執り行なわれます。御本仏大聖人と本六僧のお弟子方が盃を酌(く)み交わすのですが、法華経『化城喩品(けじょうゆほん)』に「在々諸仏の土に常に師と倶(とも)に生ぜん」とある意義のもと、御本仏師弟の久遠よりの常住を祝し、来るべき一天四海妙法広布をもお祝いする意味が示されています。
このように、総本山における御大会の儀式では、御逮夜の法会を拝しただけでも、御本仏の説法教化遊ばされるお姿と、三世常住の御振舞をお祝いする意味が、随所に示されていることがお解りいただけるものと思います。

 

日蓮正宗総本山大石寺案内

日蓮正宗総本山大石寺案内

 

 

【申状と折伏精神】

総本山御大会のおりには、「安国論並びに申状奉読」が厳粛に行なわれます。
また末寺の御会式でも、同様に奉読されているのはご存じの通りです。
その意義は、「宗祖日蓮大聖人の折伏の精神を、私たち末弟に連なる僧俗は、いささかも忘れること無く、これからも折伏精進してまいります」と、御宝前にお誓い申し上げるのです。

この儀式は、他の日蓮門下と称する宗派では見られない本宗独自の儀式です。それもそのはず、宗祖大聖人様が『立正安国論』に示された折伏の精神を、日蓮正宗のみが唯一、今日まで厳格に伝えてきたからに他なりません。天台沙門と名乗った五老僧門流には、すでに当初から折伏の精神は失われていたのです。さらに本宗で、「日蓮大聖人の御生涯は安国論に始まり、安国論終わる」と言い習わされてきているのも、折伏精神を尊ぶ宗風の一端といえましょう。
「申状」(もうしじょう)とは、宗祖日蓮大聖人様が文永5(1268)年8月21日付けで、幕府の要人・宿屋左衛門入道に対して出された書状を嚆矢(こうし=ものごとの始まり)とします。御会式に奉修されるのも同書状で、内容は9ヶ月前の文応元(1260)年に奏進された『立正安国論』について、再考されたものです。
「申状」とは古文書の様式の呼び名の一つですから、大聖人の申状も歴代上人のものも、御自分で題名に「申状」と付けられたわけではなく、後人による呼称です。辞典によれば「もうしぶみ」とも言われ、個人が官庁や上位者に対して差し出す上申文書を言うと説明されています。
しかも、内容は「何らかの非違を訴えるもの」等々とあります。すなわち国中にはびこる謗法と、世相の悲惨さ・人々の不幸との因果関係を指摘し、謗法の対治と正法(三大秘法)への帰依を、当時の為政者(朝廷・幕府)に対して訴えてきたのが、本宗の申状と言えましょう。
さて、御会式での奉読は、先ず鈴座(りんざ)による第九世日有上人申状が奉読され、そして導師が『立正安国論』を奉読します。次いで大聖人申状、二祖日興上人、三祖日目上人、四世日道上人、五世日行上人の各申状を奉読するのは、御当代御法主上人が諫暁される場合には、その申状を鈴座が奉読することになります。
(有師物語抄佳跡)
しかし、日有上人以降は戦国の乱世となり、政権の移り変わりも激しく、国の統治者も定かではない世の中では、申状による国家諫暁は出来なくなります。戦乱がおさまった徳川時代には、今度は逆に檀家制度などによる幕府の権力的な宗教政策で、他宗破折も容易でない時代となります。
その弊も無くなった明治の初年頃には、日霑(にちでん)上人(五十二世)が往古のごとく申状を奏しての諫暁を果たされるのですが、それ以後世の中は西洋民主主義の時代へと移り変わり、信仰も個々のものの考えが定着し、国家諫暁よりも国民個々に対する折伏が主体となって、今日を迎えています。したがって、私たち現代に生きる僧俗も宗開両祖の頃の、申状による国家諫暁の精神はどこまでも尊ばなくてはなりませんが、折伏の実践は個々の人々に対する破邪顕正が主体であることは、言うまでもありません。

 

日蓮正宗総本山大石寺  御影堂大改修落慶記念写真集

日蓮正宗総本山大石寺 御影堂大改修落慶記念写真集

 

 

【異体同心の結晶を】

毎日364日欠かさずお寺に参詣しても、御会式のたった一日の参詣ができなければ、本宗の信者ではないと言われてきたのが、法華講衆の信心です。日興上人から12年勘当された大夫阿闍梨日尊師も、布教のため諸国を廻っていましたが、毎年10月13日には必ず日興上人のおられる重須(おもす)に戻り、大聖人への御報恩を忘れなかったと伝えられています。
様々な逸話が残されてきた御会式ですが、その大切な意義は今日でも少しも変わっていません。お飾りの桜の花も、多数の人の手が加えられて、御宝前が荘厳されるようになっています。年間の行事の中でも、法華講員それぞれの力を結集によって奉修されるべき行事が御会式であり、異体同心の支部講中をつくるためにも、最も良い機会です。この意義から、講員の皆様には、ただ法要に参詣するのみではなく、お花造りの時から積極的に参加して、支部の異体同心と僧俗和合の結晶のもと、御会式を迎えることができれば、最も望ましい姿ではないかと思うのです。
御会式は大聖人様の盛儀ですから、法要当日は衣服も礼服やそれに準じたもので整えます。寺院の受付やその他での挨拶は、「おめでとうございます」の言葉を交わすようにいたしましょう。

 

御会式捧読 立正安国論並御申状 付通解

御会式捧読 立正安国論並御申状 付通解

 

 

 

日寛上人御書文段

日寛上人御書文段

 

 

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