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フレブル君日記

フレブルはゆるいよ

広宣流布すればどうなるかも分からないのに、広宣流布の掛け声だけが独り歩きする矛盾

日顕上人様の「三大秘法義」という書籍を読んだ人はどれくらいいるのだろうか?僧侶の学問のために書かれた本なので、大変難しいのと幅広い内容になっていて読了するのには大変な忍耐が必要です。

 

三大秘法義

三大秘法義

 

しかし、問題意識を持って読めば日蓮正宗相伝から見た、本尊論や戒壇論が勉強できますので、ぜひ購入されてお読みになることをお勧めいたします。

題目論の白眉というべき「妙法七字拝仰」もあわせて読めば、教学的な造詣が深まること間違いありません。

 

 

妙法七字拝仰〈上巻〉

妙法七字拝仰〈上巻〉

 

  

妙法七字拝仰〈下卷〉

妙法七字拝仰〈下卷〉

 

信仰というのものは「信」が基本ですから、何もかもが分かったうえで信じるなどということはありません。しかし、「行学絶えなば」の御金言にあるように、修行もせず学びもせずでは信心を成就し成仏の境涯歩むことは不可能なのです。

自分の唱えている「南無妙法蓮華経」とは何か?

拝んでいる「御本尊様」とはなんだろうか?

広宣流布とはなんだろうか?

それぞれの真理に到達することは至難の事柄であったとしても、そこから逃げてはならないと思います。

また、師弟子の道を大切にする教えは尊いものでありますが、それが盲信であるとするならば、結局は「池田先生」「浅井先生」と人に信をとる謗法であります。

偏狭な法華講員の了見に惑わされることなく、自分で真剣に祈りながらの研鑽を努力していって欲しいと切に願います。

創価学会が強引な折伏大行進を推し進め、公明党という政党による権力得た1960年代、そのツケが「還著於本人」として「国立戒壇」バッシングとして国会で問題となったことを知っているでしょうか?

その結果、1970年に日蓮正宗は「国立戒壇」という用語の使用を禁止しました。今ではこの言葉は顕正会の専売特許になっております。

 

saijosigokuuchudaiichi.hatenablog.com

私は日顕上人様の「三大秘法義」を拝読したとき、戒壇義のところで少なからず落胆してしまいました。明確な戒壇の定義は未来に譲るとの見解は引き続き堅持されたままだったからです。

日蓮正宗の信徒であれば、「広宣流布」という言葉をよく聞きますが、それがいったいどのような概念なのかは定義が不明のままなのです。ただ、漠然と世に広まり人界に幸福がもたらされるようなイメージしか存在しないのです。

国立戒壇」の造語は田中智学という身延日蓮宗の還俗者が言い出しっぺの言葉でした。1950年代から始まった創価学会のスローガンが、そのような謗法者の造語に由来するものであったことも驚きですが、信徒団体として指導すべきであった日蓮正宗猊下様も使用していた時期がありました。

 

saijosigokuuchudaiichi.hatenablog.com

 いやむしろ日蓮正宗の宿願悲願であるとしていたのです。つまり国立戒壇建立≒広宣流布として折伏法戦を戦い、拡大したのが戦後の日蓮正宗創価学会だったのです。

にもかかわらず、1970年に公明党が選挙に負けるのを防ぐ名目で、国立戒壇を二度と言わないことになりました。創価学会はそれを機に折伏主義から選挙主義へと、組織の方向性を転換します。そして、そのまま今日の大謗法路線へと直結していくのです。

選挙に功徳があるという言葉は、1980年代には普通に組織内で通用しておりました。このころから古参の会員の中には、組織活動から退いていく者(非活)や、法華講に入る人が増えたのです。そして、池田の神格化に洗脳された人には、罰の現証が出てくるようになっていました。

私には、今の日蓮正宗は発展どころか衰退の一途をたどっているようにしか見えません。個々人においては大きな功徳をいただいていますが、国の災害は日増しに募り他国侵逼の影は濃くなっているように思われます。

僧俗一致や法華講員80万人体制構築のスローガンは、本当に大聖人様の御遺命を継ぐものなのでしょうか?日蓮正宗僧侶にだけ都合のいい話ではないのでしょうか?

 

saijosigokuuchudaiichi.hatenablog.com

さて、宗教というものに最終目標が不明瞭な宗教などというものが、本当にそんざいするのかどうか考えて欲しいのです。

文証を提示しても「文を守るものは愚か」で片づけてしまわれてしまいます。

しかし、日蓮大聖人御書を発刊しているのはなぜでしょうか。なぜ日興上人様は、御老僧が恥とした仮名文字のお手紙も大切にして残されたのでしょうか?

日蓮大聖人様の御遺命とは何でしょうか?このことに明確に答えることのできる僧俗は存在するのでしょうか?

戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王うとくおう・覚徳比丘かくとくびくの其の乃往むかしを末法濁悪の未来に移さん時、(中略)霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり」

日蓮正宗公式サイト 御書解説 三大秘法稟承事

公式HPでは一応「王仏冥合」の文字を拝見することはできますが。。。

日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す。本門 弘通の大導師たるべきなり。国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法というは是れなり。就中(なかんずく)我が門弟等此の状を守るべきなり」

顕正会お得意の二つの文証ですが、この文証に触れる機会はほとんどありません。末寺の誓願しか頭にないような雰囲気です。

今は民主主義の世の中であるし、日本国憲法の条文からも主権者は国民一人一人であることは明らかであると、日蓮正宗が認めてしまえば属衆増上慢への謗法与同になるのではないでしょうか?

不要な誤解を世間から招くという言葉は、日蓮正宗に必要なのでしょうか?他の宗教を否定している時点で世間的にはカルトでしょう?それ以上に何の誤解があるのでしょうか?

私には今もって不明です。

過去の因を知らんと欲せば其(そ)の現在の果を見よ。
未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ。『心地観経』(しんじかんぎょう) 

大聖人様が御書で引用されていた経文ですが、日蓮正宗の現在を知るためには過去を正直に見ることが必要なのかもしれません。

正本堂問題を発端として、日蓮正宗には様々な問題提起がなされてきましたが、自分たちは全く間違ったことをしていないというスタンスで、このまま押し通すつもりなのでしょうか。

国立戒壇の造語者「田中智学」の創設した「国柱会」は、今の創価学会のように有名であり、政界や軍部、知識人にも多くの信者やシンパが居たようですね。まさに悪しく敬い国を滅ぼしたのが、国家神道と両輪をなした邪宗日蓮宗だったのです。満州事変を起こした石原莞爾は熱狂的な国柱会信者でした。かの宮沢賢治も手帳に御本尊書写をのこしています。高山樗牛も短命でした。悲惨は法盗人が起こし、外道が血をたぎらせることによって拡大します。

創価・顕正は大謗法団体ですが、この法盗人輩が次の亡国への因でしょうか?明治維新この方ずっと国體が歪んできたからではなかったでしょうか?

創価学会の大躍進時代と日本の高度成長期が時期を同じくしたのは偶然でしょうか?必然ならばどちらが因だったのでしょうか?

日本の敗戦後も国の分断や植民地化が防がれたのも偶然だったのでしょうか?

天皇陛下が王だと思うのは謗法でしょうか?

創価や顕正の狂信者の中から、次の大戦を引き起こす者が現れるのでしょうか?

未来を見るのは現在の因を見るほかないのです。

仏法やうやく顛倒しければ世間も又濁乱せり、仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲れば影ななめなり

民主主義などというキリスト教イデオロギーなど、日蓮正宗とはなんの関係もない政治思想にすぎません。現に宗門の体制は猊下様一人を頂点として、完全にヒエラルキー組織となっているではないですか。

法華講員一人一人が、大聖人様の御遺命を思い描くことからこの世をただす方法はないと思うのです。

 

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