金剛宝器戒を授かることができるのは、日蓮正宗の御授戒だけです。

『御講聞書』に、
 「今南無妙法蓮華経有れ共、今身より仏身に至るまでの受持を受けずんば、成仏は有るべからざるなり」(御書1843)
と仰せです。御本尊様は有り難く、御題目の南無妙法蓮華経は素晴らしいと知っていても、「今身より仏身に至るまで」という御授戒の儀式を寺院で行わなければ成仏の因を積むことができません。御授戒を正式に受けたことで、本門戒壇の大御本尊様から有り難い功徳が流れ通ってきます。
 御授戒を受けたことで、爾前権教の戒律と比較にならない、最高の妙戒「金剛宝器戒」を頂くことが出来ます。日蓮大聖人は『教行証御書』に、
 「此の法華経の本門の肝心妙法蓮華経は、三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字と為(せ)り。此の五字の内に豈(あに)万戒の功徳を納めざらんや。但し此の具足の妙戒は一度持って後、行者破らんとすれども破れず。是を金剛宝器戒(こんごうほうきかい)とや申しけんなんど立つべし。三世の諸仏は此の戒を持(たも)って、法身(ほっしん)・報身(ほうしん)・応身(おうじん)なんど何れも無始無終の仏に成らせ給ふ」(御書1109)
と仰せでありますように、「金剛宝器戒」という妙戒を一度、持てば破ろうとしても破ることが出来ないという御指南です。この妙戒を持ったことで三世の諸仏が成仏したのであります。私達も、妙法五字に万戒の功徳を納めた戒「金剛宝器戒」を受持することで一生成仏は疑いありません。
 日蓮正宗の「戒」は法華本門の戒です。授戒における「戒」には様々なものがあります。小乗の低い戒律や大乗の戒律、更に大乗の中でも像法時代の伝教大師最澄)が比叡山に建てた法華迹門の戒と繁多しております。今現在の末法という時代においては、法華本門の妙戒である「金剛宝器戒」でなければいけません。この妙戒でなければ、末法という時代に現れる様々な魔の働きに対応できないのであります。末法に生まれた人達には、小乗の戒律や権大乗の戒では限界があって不満が残り、私達の性格や体質には全くあいません。
 その限界と不満が邪宗の害毒となって現れ、宗教の異常性と宗教への奇異な眼を持たれる原因があります。正しい宗教を信心することで限界と不満を解消し、本当に幸せな他から破ることの出来ない境界が出来上がるのであります。それが「金剛宝器戒」であり御授戒を受けることで私達の命に宿すことが出来ます。
 御授戒を受ける際には、以上のことを十分に理解され信心に精進することが大事です。日蓮正宗の信心の出発は「御授戒」です。御授戒において、本当の「下種」を頭に頂き、勤行唱題をすれば体全身に成仏の根を張らせることが出来ます。この根を身心に張ることで迷いや悩みに紛動されない命が出来ます。「御授戒」を受けることで成仏させて頂ける仏様の種を命に宿すことになります。 
 更に勤行唱題という修行を積むことで、信心をした人にしか感じることの出来ない、日蓮大聖人が御書で御指南下さるような非常に有り難い功徳を頂けるのであります。未入信の方で、御本尊様と御題目の南無妙法蓮華経が有り難く素晴らしいと感じている人は、今すぐ御授戒を受けることをお勧めします。
 日蓮正宗の寺院へ参詣され、御住職様に御授戒を執り行って頂くことが大事です。

日蓮正宗の御授戒のすごさは、上記の金剛宝法器戒にあります。

私の父は、昭和30年代に創価学会を通じて御授戒を受けましたが、教学に疎い父もこの金剛法器戒のことを常々口にしていました。

御授戒では御本尊様を私たちの頭頂に授かります。

例え本人が拒めども必ずや成仏することが必定の、この御授戒のすごさは体験したものにしか実感できません。

私の御授戒は生まれてから一月後のことでした。我が家にある、御授戒時の経本に記された日付が証明してくれています。

ありがたいことに、私は赤ん坊の時に御授戒を頂戴しているのです。

その功徳で遠回りをしたとはいえ、日蓮正宗の信徒として今を生きることができております。

どうか、このブログをご覧いただいている、創価・顕正の方々が一人でも多く、正宗の御授戒をもう一度お受けくださることを心から願うものであります。

日蓮正宗への入信


 入信(にゅうしん)とは、誤った宗教を捨てて、日蓮正宗の信徒になることをいいます。 入信にあたっては、謗法払いをしたのち、御授戒(ごじゅかい)を受け、御本尊(ごほんぞん)を下付(かふ)していただきます。再入信の場合は勧誡式(かんかいしき)を受けます。

 

謗法払い(ほうぼうばらい)

 入信に際しては、他の信仰の対象物となる他宗の本尊や神札、神棚や祠、念珠、経典、お守り、縁起物(だるま、熊手、破魔矢)などを取り払います。これを「謗法払い」といいます。この謗法払い日蓮正宗の信仰を清浄に実践していくために絶対に欠かせないものです。

 

御授戒(ごじゅかい)

 御授戒とは、一切の謗法を捨てて日蓮大聖人の正法を信仰することを御本尊に誓う儀式です。その際は、日蓮正宗の数珠と経本を用い、人生の新たな出発にふさわしい心がまえで臨みます

 

御本尊下付(ごほんぞんかふ)

 御本尊下付とは、寺院より御本尊をお貸し下げいただくことをいいます。
  私たちは、総本山の本門戒壇の大御本尊を信仰の根源とし、所属寺院を信心の拠り所としていきます。さらに、勤行・唱題をはじめ日々の信心修行のため、私たちの家庭に、大御本尊のお写しである御本尊を下付していただくのです。
  御本尊のお取り扱いは丁重にし、自宅にご安置する際には、僧侶の導師により、厳粛に入仏式を行います。僧侶が出仕不可能なときは、その指示により、法華講役員などが導師をつとめます。

 

勧誡式(かんかいしき)

 勧誡式とは、一度は日蓮正宗に入信しながら、創価学会などの邪義に惑わされて正しい信心を見失った人が、日蓮正宗の信徒として再出発するために行われる儀式です。
  ここでは、再入信に当たって、二度と謗法を犯すことなく、信行に精進することを御本尊にお誓いします。

 

法華講(ほっけこう)への入講

 「講」とは、本来は経典を講義したり、仏の徳を讃える法要のことでしたが、のちには、信仰する人々の集まりを指すようになりました。
  「法華講」とは、末法の法華経、すなわち、日蓮大聖人の南無妙法蓮華経の教えを信じて実践する人々の集まりをいい、大聖人みずからつけられた名称です。
  日蓮正宗法華講は、総本山と末寺を外護し、講員が互いに信行を深め、日蓮大聖人の教えを広宣流布していくために、日蓮正宗のなかに定められた信徒の組織です。
  日蓮正宗の信徒となった人は法華講に入講する手続きが必要です。入講の手続きは、新入信者の場合は、所定の「御授戒願」「御本尊下付願」を寺院に提出します。また再入信者の場合は、同じく「入講願」「誓約書」を提出します。
  そして、指導教師や法華講の役員より、日常の信心のあり方や、法華講員としての心がまえについて説明を受け、自分の所属する組織の担当役員を紹介していただきます。
  また、機関紙の購読や講費の納入なども必要です。機関紙は、私たちの信仰を深めるためのものであり、講費は、法華講の運営や活動に充てられるものです。

 

勤行(ごんぎょう)について

 勤行とは、仏前において読経唱題することをいいます。
  本宗の勤行は、御本尊に向かって、法華経の『方便品』と『寿量品』を読誦し、「南無妙法蓮華経」の題目を唱えます。朝は五座、夕は三座を行います。
  唱題は、功徳の源となる根本の修行ですから「正行」といい、方便品と寿量 品を読誦することは、題目の意義と功徳を助けあらわすものですから「助行」といいます。

 

勤行・唱題の意義

 勤行は、私たちにとって信心の基盤となる修行です。  第二十六世日寛上人は、
  「この御本尊には広大深遠の不思議な力がそなわっている。したがって、この御本尊に向かって南無妙法蓮華経と唱えるならば、祈りを成就し、過去の罪を消し去り、福徳を積み、真理を我が身にあらわすことができる」(意訳・観心本尊抄文段) と仰せです。
  信心の目的である成仏という最高の境界は、御本尊を深く信ずる心と、御本尊に向かって勤行・唱題を実践することによって築かれます。
  朝夕の勤行は、幸福な人生を確立し、希望に満ちた未来を切り開いていく源泉となるものですから、毎日欠かさず行います。

 

勤行のこころがまえ

 朝の勤行は、妙法の功徳に浴した有意義な一日を過ごすことができるよう念じて行います。夕方の勤行は、御本尊の加護により、一日を終えたことへの感謝の心をもって行います。
  勤行は、信仰するうえで重要な修行ですから、姿勢を正し、敬虔な気持ちで臨みます。
  勤行の際には、数珠を手にかけ、経本を見て一字一句正確に読みます。また、自分勝手なアクセントをつけて読経・唱題したり、むやみに数珠を揉んだりしないように気をつけます。
  唱題は、胸の前で自然な形で合掌し、できるだけ御本尊の「妙」の文字を拝して行います。勤行の時の唱題は、回数や時間にきまりはありませんが、心ゆくまで行いたいものです。
  また、勤行の時以外に、折伏や諸願の成就などの目標を持って「唱題行」を行うこともあります。
  日寛上人は、唱題を重ねる意義について、
  「一遍二遍、南無妙法蓮華経と唱えるだけでは、仏になるようには思えないだろうが、一滴の水が集まって海となり、一歩一歩の積み重ねが千里の道を行くように、 日々の唱題の積み重ねが大切である」(意訳・寿量品談義) と仰せです。 私たちは、常に唱題を心がけていきましょう。
  正しい勤行の仕方を身につけるためには、寺院の勤行に参加したり、同信の人といっしょに行うとよいでしょう。

 

総本山への登山参詣

 日蓮正宗では、総本山大石寺に参詣することを「登山(とざん)」といいます。
  大石寺には、日蓮大聖人の御当体である本門戒壇の大御本尊が厳護されています。また、総本山には大聖人以来の血脈を所持される御法主上人がおられます。したがって総本山大石寺日蓮大聖人の仏法の一切と御精神が脈々と息づいている霊地なのです。
  総本山においては、登山参詣した信徒に対して、大御本尊を直々に拝することを許しています。これを「内拝(ないはい)」といい、このとき大御本尊の御厨子が開かれることから「御開扉(ごかいひ)」ともいいます。
  日蓮大聖人が 「須弥山に近づく鳥は金色となる」(本尊供養御書) と仰せのように、大石寺に参詣し本門戒壇の大御本尊に御目通 りすることによって、私たちは、自らの罪障を消滅し、諸々の願いを成就して成仏の大道を歩むことができるのです。

 

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