フレブル君日記

フレブルはゆるいよ

静かに創価学会を去れば、それでいいのか?

年度末締め切りの仕事で大わらわのシニフィエです。

このブログにも様々な変遷があり、特に最初のあたりでは右往左往していましたが、今ではすっかりブログのカラーが定着し、多くの方に知っていただくことができました。本当にみなさんのおかげだと、日々感謝している次第です。

特に最近感じますのは、みなさんからのコメントによって、創価の実態が事細かに明らかになったということ。つまり「創価学会は宗教ではなく、ただの詐欺団体だ」ということの客観的な事実が立証されたものと考えられます。ここの積み上げられた創価学会についての事実を、もはや誰も否定することはできません。そして、今現在もなお、創価によって苦しめられ、悩み、脱会すらままならない方が多く存在するということも、動かしがたい事実なのです。

残念ながら、その一番の被害者である現役の創価学会員が、その事実を認めることができないという洗脳下にあります。これがいちばんやっかいな問題です。自分が創価によって搾取され、不幸にあっていることの自覚ができない。どんなに嫌な思いをさせられ、金銭を取り上げられ、思想的に偏り、一般人からは忌み嫌われ、まともな人間関係を築けない境遇であるにもかかわらず、自分が最高に幸せで、創価以外の人は今に不幸になるかわいそうな人たちなんだとしか思えないような人間になってしまっていることです。そしてさらに自分だけではなく、自分の大切な配偶者や子供や孫たちにさえも、自分の思想や生き方だけが正しいのだということを押し付けて、他人の人生までをも変えてしまっているという、とんでもない人権侵害を平気で押し通してきたことです。

そのような創価学会の恐るべき実態が、このブログに寄せられるコメントだけでも明らかになったと言えます。しかしながら、このことをいちばん知ってほしい現役学会員に伝わらないというジレンマがあります。逆に言えば、このことをいちばん知られたくないのが創価を操っているトップたちです。言い換えれば、創価の客観的な実情を現役学会員が正しく把握することが、創価のトップにとっていちばん怖いことなのだということです。これを阻止するための日々の会合であり、家庭訪問であり、聖教新聞であり、選挙活動です。とにかく外具からの情報を一切受け付けずに、トップから発進することのみをひたすら信じて、お金と労働力を貢がせる。一口で言うと創価がやってきたのはこのことだけです。会員を騙してお金と労働力を搾取する。このための様々な手練手管です。だから教義がどんなに変わろうと、公明党がどんなことをしようと、学会員が騙されてくれる限りは、どうだっていいことなのです。

このブログで常に述べているように、創価学会は宗教ではありません。宗教に見せかけることで会員を騙しているだけです。創価は最初から宗教ではありませんでした。ただの詐欺です。創価学会は、いわばこのことに気づけない被害者の集まりでしかありません。最初は宗教団体であった創価学会が途中でおかしくなったのではありません。最初からただのインチキ宗教詐欺だったということです。

そして、このブログの16700のコメントが、「創価学会は宗教ではなく詐欺団体だ」という証言をしてくれています。さて、創価学会の誰が、これらを否定できるというのでしょう。この事実をどうやって「嘘だ」「デマだ」と立証できるというのでしょう。できるわけがないじゃないですか。そしてこうした証言を、毎日毎日、数千人の人が読んでいるんです。ここに積み重なった動かしようのない創価学会に関する証言は、日々、多くの人に拡散されています。

このブログは、このまま多くの人に読んでいただければいいと思っています。一人でも多くの創価学会員が「創価学会は宗教ではなく詐欺団体だ」という事実に気がついていただければいいのだと思っています。

今さら「創価の活動のここがおかしい」とか「創価の教義のここが変だ」と言ったことの議論をするような段階ではありません。創価が宗教ではなく詐欺団体だということは、もうどうひっくり返っても動かすことのできない事実です。ましてや法華経がどうたら、仏教がどうしてこうしてなどといった議論は、創価学会が詐欺団体であることが前提である以上、何の意味もありません。

それと同じように、「創価学会にもいいところがある」とか「末端の学会員はいい人ばかりだ」などといったことも、もはや議論の対象ではありません。それは例えば「暴力団員にも、中にはいい人もいるんだから、麻薬やってもいいじゃないか。たまには街中で拳銃乱射してもしょうがない」というようなものです。

このブログを運営する中で生まれた言葉である「創価脳」「創価スイッチ」「創価シャッター」は、創価学会員の特徴を端的に表現する言葉として定着しました。まさに「上から言われたことしか聞こえない学会員」の特徴です。学会員は精神まで支配された奴隷です。そこに人権などあるわけがありません。

学会員さん、一刻も早く自分が創価によって支配された精神の奴隷であることに気づいてください。それが紛れもない事実であることが、このブログのコメントにあります。どこからでも読んで結構です。これは創価のことを何も知らない外部の人が書いている悪口ではありません。創価が正しい宗教だと信じて、長年活動してきた方の真実の声です。そうした方がどうしてここまで訴えているのか。何十年も真面目に活動してきた何千人もの方が、どうしてここまでのことを証言しているのかを考えながら読んでいただければと思います。

ということで、今回のテーマは「私が『対話を求めて』にたどり着いた理由」とさせていただきます。おかげさまでこのブログも350万アクセスに近づいています。新しくコメントされる方も格段に増えてきました。創価学会に何の関わりも興味もない方は、決してこのブログにはたどり着かないでしょう。たとえ偶然たどり着いても、何が書いていあるのかさえ分からないだろうし、たとえわかったとしても自分には関係のないことなので、読み進むようなこともないと思います。つまり、このブログにたどり着き、さらにみなさんのコメントを読むに至るには、何らかの「創価に関する問題点」を背負っている方だと思われます。

そこで今回は、みなさんがこのブログにたどり着いたそれぞれの経緯を語っていただくことで、創価の何が問題なのかを浮き彫りにできればと思います。

どうかよろしくお願いします

 創価学会の脱会者による有名ブログ

signifie.wordpress.com

から引用させていただきました。

アンチ創価ブログとしては、超ど級の怪物ブログでありアクセス数もコメント数も、他のアンチブログを圧倒しています。

このブログをきっかけとして、創価学会を脱会する決意に至った方も多いようです。

このブログの運営者のシニフェさんも非常にクレバーな方でして、熱狂的な悪口や悪口雑言の類とは無縁な方です。

アラシにやってくる、創価信者の捨て台詞的な言いがかりの方が目立ち、創価学会の異様さとカルト臭のキツさを際立たせています。

しかし、シニフェさん自身が時々吐露する現在の心境は、どこか精神的な不安定さを感じさせるところがあって、カルトから抜け出ても、それだけで安穏の境地に至ることは難しいことが伝わってくるのです。

静かに去ることは確かに緊急を要する課題でしょう。

先日、御山に御一緒した元創価の先輩も、尾行や自宅への押しかけに悩まされたと語っておりました。そして、非活になり脱会し正宗に戻るのに時間がかかりすぎたと、後悔の念を語っておられました。

創価で役職などがあったり、生活共同体のような生業を左右されるような環境にあって、まさに、身の危険にさらされたり、生活困窮の選択を迫られたりしている方に、仏法のために勇気を出せとは軽々に申し上げられません。

しかし、宗教なんて妄想だ搾取だと、左翼くずれのような浅薄な思想に陥ることなく、創価学会の原点であった日蓮正宗、そして、戒壇の御本尊様の元へ帰ってきてほしいと願ってしまわずにはいられません。

日蓮正宗に戻ってくれば、「ハイ、OK!」と瞬時に諸問題が解決するとは言いませんが、徐々に徐々に宿業以外の諸問題は着実に解決していきます。宿業はそれこそ命を懸けた仏道修行を迫られるかもしれませんが、それは異流儀で積んだ罪障とは別物です。

どうか、正しい信仰に創価脱会者が縁出来ますように。

これが偽らざる私の正直な気持ちです。

 

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