フレブル君日記

フレブルはゆるいよ

御講と法話③

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【聞法の功徳

日寛上人は、六巻抄を初めとする著述とともに、当時のお弟子や篤信(とくしん)の信徒に対して、下種仏法の上から様々に御説法遊ばされました。それらは主にお弟子方の筆録によって今日まで残されていますが、こうして残された御講義の中に、『寿量品談義』があります(富要十巻収載)。七日間にわたった御講義には、まずその初日に、「四十里の中に説法を聞く機会が有るのに出向いていかなければ、意(こころ)に願うことは一切叶(かな)わない」という、失意罪(しついざい)のことを説かれています。
続いて、では出向いて聴聞した人の功徳についてはどうかということで、維摩(ゆいま)長者の例を引かれました。維摩長者が八十歳余りになって、初めて仏の説法を聞く機会を得たのです。その時長者は仏に、自分は今説法を聴聞するために、四十里の道のりを歩いてきましたが、その功徳はいかほどのものでしょうと問うたのです。仏が答えられるに、汝(なんじ)が踏んできた土を取って塵(ちり)とすれば、その塵の数だけ一劫づつ罪を滅することができようし、また塵の数ほど寿命を延ばすこともできるのである。また世世(せせ)に仏に値遇(ちぐう)することも、塵の数ほど無量無辺であると答えられたということです。このように日寛上人は集まってきた人々に対して、説法聴聞により罪障消滅が叶うなど、功徳の甚大であることを説かれました。
二日目の冒頭には、この法座では三大秘法のことを説くのが目的であっても、それには次第の積み重ねが大切であることを仰せになりました。譬(たと)えとして、富豪が三階建ての家を建てるのを見た愚人が、自分も同じ家を建てようとします。しかし頼んだ大工がまず一階から造ろうとしているのを見て、自分は一・二階はいらぬから、三階だけをすぐに建てよと大工に文句を言ったと甸……。これは『百喩経』にある譬喩(ひゆ)ですが、説法にも浅い教えから深く入っていく、次第の積み重ねが大切であることを説かれました。それはすなわち聴聞の人々へも、一日二日聞いて満足するのではなく、最後の七日まで根気よく聴聞すべきことを仰せられているのでしょう。
三日目の冒頭では、獅子に追われて逃げてきた毘摩大国(びまたいこく)の狐(きつね)の話が引用されています。狐はたまたまあった深い井戸に落ちて命は助かったものの、今度は穴から出られず飢えで苦しんだのです。そしてとうとう悟りを得ました。そこで帝釈天は狐を穴から救い出し、高座を設けて悟った法を説くよう願った話です。鬼神に諸行無常の法を尋ねた雪山(せっせん)童子の話も御書にありますが、相手がたとえ畜生や鬼神であっても、真実の法を説くところを聴聞することが大切であることを、日寛上人はここでは仰せられています。すなわち、日寛上人は御自身を謙譲(けんじょう)されつつも、仏の出世御本懐である『寿量品』の法門を説くのであれば、信心をもっていよいよの参詣聴聞を勧められたのです。
以上は、今日の御講や年中行事における寺院参詣と、法話聴聞の心得として、そのまま通用する御指南でありましょう。


つづく

 

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