フレブル君日記

フレブルはゆるいよ

罰を感じたら正直に懺悔滅罪をご祈念しましょう。


大白法・平成12年6月16日刊(第551号より転載)教学用語解説(60)


さんめつざい

 「懺悔滅罪」とは、仏前において自分の犯した罪過を正直に披瀝ひれきし、二度と同じ過ちを犯さないことを誓って許しを請うことであり、同時に自身の罪障消滅のため、正しい信仰によって真剣に仏道修行に精進することをいいます。

 
 懺悔滅罪の意義と功徳
 語源を繙ひもとくと、「懺」はサンスクリット語の懺摩(クシャマ)の音訳、忍の意で、「悔」はその意訳で、追悔ついかい・悔過けかとも称し、罪を悔い告白して謝することをいいます。
 世にいう「懺悔ざんげ」は、キリスト教の専売特許のような印象を与えています。しかし、これはペニテンスという語(後悔・悔悛かいしゅん)をそのまま懺悔に置き換えたものであり、実体は自己の罪に対する悔俊の儀式にしかすぎず、それは空虚な形式でしかありません。
 それに対して仏教では、古くは「布薩ふさつ」と呼ばれる集会を半月ごとに開き、戒を破った者が大衆と僧の面前で懺悔さんげするという形をとり、心から罪への反省と浄化を図ることを目的として行われ、その懺悔の儀則や滅罪の相、その功徳は各経典に種々説かれています。特に涅槃経に示される阿あ闍じゃ世せ王おうの懺悔改心の話は有名です。慈父殺害等の大逆罪の報いによって全身に悪瘡あくそうを現じて死の宣告を迫られた阿闍世王は、仏に懺悔して過去の数々の悪業を詫び、改心と勇猛精進を誓ったことによってたちまちに悪瘡は治癒し、さらに四十年の寿命を得ました。これは『富木尼御前御書』に、
 「阿あ闍じゃ世せ王は法華経を持ちて四十年の命をのべ」(御書 955頁)
とあるように、『寿量品』に説かれた更きょう賜し寿じゅ命みょうの現証であり、実に阿闍世王が釈尊の説法の会座えざに連なった法華信仰の功徳によるものと言えます。
 また、世親せしんも五百部の小乗の論を造って大乗を誹謗しましたが、兄の無む著じゃくにあって破折され、自らの舌を切ってその罪を滅せんとしました。しかし、無著から「汝なんじその舌をもって大乗を讃歎せよ」と諭さとされ、以後世親は『法華論』等の五百部の大乗の論を作って小乗を破し、大乗興隆に努めました。
 さて、天台大師の『摩訶止まかし観かん』に、四種三昧ざんまいという修行に打ち込む者が日夜に修すべき五種の法華懺法「五悔ごげ」が説かれています。
①に懺悔。過去の所行・罪過を漸愧ざんきして発露し、相続
 心(執心)を断つ。
②に勧請かんじょう。懺侮の決意に対して如来の大慈悲の力を
 祈り求める。
③に随喜。他人の善根を喜ぶ。
④に回向えこう。自らのなし得た善根を回して菩提に向かわ
 しめる。
⑤に発願ほつがん。堅固な誓願を発して修行の退転を防ぐ。
 以上の「五悔」を法華経修行の助行方便として日夜に修すれば、その功徳は無量であると説かれています。
 
 自行化他の題目こそ、事・理の懺悔滅罪
 また『摩訶止観』には、懺悔に事理の二種があることを説いています。事懺とは礼拝らいはい・誦経など身しん・口く・意いの行為に顕した懺悔で、仏教一般の懺悔はすべてこれに当たります。そして理懺は実相の理を観じて罪を滅する懺悔で、精神的に深く懺悔の念を湧き出だすことが求められるために懺悔の根本行ともの言えます。
 この懺悔の根本行を修するためには、まず過去・現在・未来の罪業の生じた原因を知らなければなりません。普賢経には、
 「一切の業ごう障しょう海かいは 皆妄想みなもうぞうより生ず 若もし懺悔さんげせんと欲せば 端坐たんざして実相じっそうを思え 衆罪しゅざいは霜露そうろの如ごとし 慧日えにち能よく消除しょうじょす」(法華経 648頁)
とあり、あらゆる罪業は妄想から生じているため、その罪を懺悔しようと欲するならば、実相を思惟しゆいして智慧を明らかにしなければならないと説かれています。
 日蓮大聖人は、この経文を釈して『御義口伝』に、
 「衆罪とは六根に於て業障降り下る事は霜露の如し。然りと雖も慧日を以て能よく消除すと云へり。慧日とは末法当今日蓮所弘の南無妙法蓮華経なり」(御書 1799頁)
と説かれています。
 すなわち、末法にあっては日蓮大聖人を御本仏と仰ぎ、三大秘法総在の本門戒壇の大御本尊に対し奉り、自行化他に亘る題目を日夜、口く唱しょう精しょう進じんするとき、衆罪の根源たる無始以来の謗法の罪業は瞬時に滅除して、事理の懺悔を共に成就することができるのです。
 しかし『神国王御書』に、
 「懺悔さんげの力に依りて生死やはな離れけむ。将又はたまた謗法の罪は重く、懺悔の力は弱くして、阿闍世王・無垢むく論ろん師じ等のごとく地獄にや堕ちにけん」(同 1303頁)
と仰せのように、謗法という大罪には相当に強い懺悔がなければ出しゅつ離り生しょう死じは叶いません。故にこそ『顕謗法抄』に、
 「懺悔せる謗法の罪すら五逆罪に千倍せり。況んや懺悔せざらん謗法にをいては阿鼻地獄を出づる期かたかるべし」(同 279頁)
と、過去の謗法重罪の深さを実感しつつ、常に自ら戒めていくべきことを御教示されているのです。昨今の創価学会のように、
 「懺悔すれども懺悔の後に重ねて此の罪を作れば後の懺悔には此の罪きえがたし」(同 274頁)
と執心翻ひるがえらず、懺悔の心も持たず、もっぱら正法誹謗を繰り返すならば、もはや無間むけん地獄に堕するほかあり得ません。毒鼓どっく逆縁の徒として改めて懺悔滅罪を図るしかないでしょう。
 私たち日蓮正宗僧俗は、まず自らの罪障消滅を祈念して即身成仏を期し、進んでは一切衆生済度のため、昼夜順逆を問わずに折伏弘教に励んでいくことが懺悔の修法と心得るべきです。
 『三大秘法抄』に、
 「三国並びに一閻浮提の人懺悔さんげ滅罪の戒法のみならず、大梵天王だいぼんてんのう・帝釈たいしゃく等の来下らいげして踏ふみ給ふべき戒壇なり」
                        (同 1595頁)
と仰せのように、大御本尊在まします所こそ真の懺悔滅罪の戒法、根本道場です。私たちは本門戒壇霊場への道案内として多くの人々を折伏・育成していきましょう。

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日蓮正宗入門

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