顕正会員に告ぐ!正本堂問題の顛末を浅井の言い分だけで決め付けるのは愚か。

平成3年1月10日 教師指導会 

 ただいまは、藤本総監、大村教学部長が、それぞれ今回の問題に関する趣旨を概略、述べたようであります。しかし、何といっても時間も限られておりまするし、その要点を取って述べたと思いますが、例えば九項目という問題は、こちらからの「お尋ね」ということに対して、全くその返答をしないで、逆に学会から九項目の詰問書を突き付けてきたということで、このこと自体が信徒としての信仰の本義を忘れた、高ぶったところの慢心そのものの姿であると思うのでありますが、それについての内容も二点程に絞って述べたようであります。

 しかし、そのほかの色々な詰問についても、やはり九項目自体が全部、向こうの独断、偏見によっておるのでありますから、是非、皆さん方は向こうの九項目と、それに対するこちらのきちんとした正しい回答をよく読んでいただきたいと思います。そうすれば、今の説明に加えて、またさらにその内容を熟知されることであると思います。

 それから、今、教学部長が言ったことの中で、時間がないために、内容について簡略にしたところがありまして、私のことですから少し補足しておきます。それは教学部長の話の総代の件で、私は一般論として「近頃、『寺院にお参りするな』というような指導をしている風潮があるのではないのですか」ということをたしかに申しました。その時は、私が一人で、名誉会長ならびに秋谷会長二人の目通りでしたから、この二人に対してそのことを言いました。

 それからもう一つは、その時までにあちらこちらから、色々と信者から手紙が来ておりましたことで、それは特に七月でしたから、その前から学会の組織の中で色々と言われておったところの財務の募金の問題です。この財務については、昔の五十二年路線の時の反省である六・三〇において、「学会で広布のために集める財務などは、けっして御供養ではない、信徒の立場においては御供養という名前で徴収することはいけない」という意味のことがありまして、それは学会が十年前に確認しておるところであります。ですから、「今後はそのようなことはいたしません、言いません」ということになっておりました。

 ところが、それが最近において名誉会長の指導として、「『御供養』と言って何が悪いのだ」「今年は『御供養』と言って集めていいのだ」というような指導があったという手紙が私の所へ来ておったのです。そのような手紙が来ているけれども、実否が判らないから、私は名誉会長に対して「あなたはこのようなことを今年は言っていませんか」と、これはこの件として聞いたのです。

 そのような形で私は二つの質問をした。それを向こうは一つにしまして、つまり捏造と、さらにねじ曲げですが、そこにさらに私はひとことも言っていない総代というものを持ってきて入れて、それで私が名誉会長に対して、「ある総代に対してあんたはそう言ったではないか」というように言ったとしておるのであります。私はそのようなことは本当に言っていないのですけれども、それをそのように造り上げて、捏造して言ってきておるのです。それが九項目の中の一つなのです。

 それを今、教学部長が言ったのだけれども、私がたしかに名誉会長に指摘したのは、
「財務のことに関して、あなたが『御供養でいいのだ、御供養と言って何が悪いのだ』ということを言っているという投書が色々と来ているが、どうなのですか、これはいけないはずですね」ということです。この件に関しては「そのようなことは言っていません」と、このように言っておりました。

 ともかく、そのような状況だったのです。それについて今度は、「その総代の名前は何というのですか」等の、実に言い掛かりもはなはだしい三カ条の質問をし、さらに「そのようなことを一宗の法主が、事実を確かめもせず簡単に言ってもいいのですか」と非難してきたのです。きちんと読んだ人はお判りでしょうが、向こうの質問状の中に入っているはずです。

 あれを見て、私も本当に嫌になりました。あのような汚いやり方で捏造して、私は不徳な人間ではあるけれども、管長の立場にある者をそのようにやりこめて、しかもそれのみならず、こちらの返答も待たずに、そのような捏造の質問書をどんどん聖教新聞で流して、それで肝心のこちらの正しい回答は、ほとんど出してはいないのです。本当に卑怯であり、卑劣なやり方なのです。

 また、そればかりでなく、九項目全部がそうです。あの九項目の最後の所などは、こちらがちょっと質問したことに対して、あまりにひどい書き方です。寺院建立に関してのことで、言葉は丁寧ですが、実にえげつない言い方で、「契約ではないのだから文句などを言うな」「こちらが御供養することを、おまえさん達は有り難く受けていればいいのだ」というような内容です。

 だから、それに対してこちらの答えとしてはっきり、
「宗門としては真の御供養の精神に基づいて、寺院を建立していくつもりであります。本年末をもって、総本山開創七百年も終了いたしますので、これを機会に、これまで記念事業として行われてきた二百箇寺建立寄進は、学会が言われるように、『もともと契約のようなものではありません』ので、三重県白山町の仏徳寺を最後として、平成三年以降、残りの八九箇寺については、寄進を辞退いたしたいと存じます」
とはっきり書いてあります。それも読んでいない人もいるのかもしれないけれども、読めばはっきり判るはずです。これは大事なことですから、やはりきちんと克明に全部読んでいただきたい。

 それで、向こうが皆さんの所へも色々と押し寄せてきているらしいが、そのようなときに、特に「学会がこれ程の広宣流布をしたのではないですか」「正本堂を建立し、様々なことをしたのは全部、学会ではないですか」ということを言って、「それをこのようなことをするのはひどい」と言っておるようですが、やはりこれは日達上人の言葉にもあるように、「広宣流布広宣流布と言っても、間違った考え方によって広宣流布しても、そのようなものは本当の広宣流布ではないのです」という一言で、そのような問題はきちんと片が付くはずであります。

 また、「これ程やったのは池田名誉会長ではないですか」とも言っておるようです。そのようなことをやった人が、いわゆる全学会員から本当に仰がれているような人が僧俗のけじめを忘れて、法主を、管長を侮蔑し、宗門を軽蔑し、まるで「自分達が偉いのだ」というような考え方で色々なことを言う。それも衛星同時放送で、百以上もある会場へ衛星から中継するわけです。

 あのやり方も本当におかしいのです。全部の会場でテープの持ち込みを禁止するのです。日蓮大聖人様の仏法を正しく弘め、示していく、そのようなスピーチなり、会合において、何のためにテープレコーダーの持ち込みを禁止する必要があるでしょうか。

 宗門においては、その頃は私はまだお山へ来ていませんでしたが、昔、十年程前の特殊な会合においては、特に必要があり、その時だけでありましたが、たしかにそのようなことが一遍か二遍あったことは記憶する。しかし、それ以外では、昔からそうであるけれども、日達上人も、誰が何を録ろうと、そのようなことは何もお構いなさらなかった。それが当たり前の姿であります。

 私も十年間ずっとそうです。「今日はテープを持っているか検査しろ」などと言ったことは一遍もありません。あのようなことは、むしろ因循姑息な姿です。それを実際にやっているのです。そうして自分の口につくままに宗門の批判や何かを色々と言っておいて、聖教新聞に載せるときには、それを全部取ってしまって一往、問題のない形にする。それでも何か色々と少し感ずるものはあるけれども、とにかく、問題のない形にして新聞に出しているのです。

 しかし、実際は数十万人というような人々が頻繁にそれを聞いていますから、それを聞くことによってどんどんと「坊さんはそのようなものか」「そのような状態なのか」と洗脳されていって、「坊さんというものは大したものじゃない」という以上に、軽蔑してもいいような存在になってきつつあると、私は本当に前から感じておったのです。そこへ特に今回、このようなはっきりしたテープを入手しましたので、「これはもう、いつまでも放置しておくべきではない」と決意し、宗務院の人達と相談した上で、このテープをはっきり採り上げて、創価学会に対して釈明を求める形をとっていったわけであります。

 また、その間における色々な経過の中で、どうにも反省の色がなく、まじめに回答する意思がないという背景から、先程の総監からの話にもあったように、十二月の二十五日に宗会を招集し、二十七日に開会してかねて懸案の「宗規」の一部改正をし、また、それに基づいての附則を設けて、現在の総講頭、大講頭は全員、そこに地位を喪失したという形になったのであります。

 要するに、そのような経過から、「学会がこうしたのではないか、ああしたのではないか、だから名誉会長に大功績があるのではないか」と言ってきますが、「それだけのことをした、影響すこぶる甚大である名誉会長が、そのような変なことを言われることこそ実に困ることである。何百万の信徒がそのような話の影響を受けて、信仰の本筋を違えていったら、どういうことになりますか」と皆さん、言ってください。大功績のある方だから、信徒に与える悪影響がさらに非常に大きいということを、むしろ逆にこちらからはっきり指摘していってもらいたいと思うのです。

 たしかに創価学会が牧口先生の提唱によって始まって、そして特に戸田先生が命懸けで折伏の指揮を執られました。私が若い頃、一時、戸田先生と少し誤解があって、その誤解が解けたあと、「一杯飲もう」ということになり、二人きりでお酒を飲んだことがあります。あの人はまた強いから、いくらでも飲んだし、随分たくさん飲みました。私も飲みましたが、結局、その間に色々と話すことは「本当に広宣流布のために命を捨てている」ということ、また当時の御法主猊下は日昇上人でしたので、「私は日昇上人を日本国の国師とするように仏法を顕揚したい」という切々たる気持ちを、酒を飲みながら語っておられました。そのほか二時間も様々な話もしましたが、私はやはり戸田先生は本当に命懸けで、自分というものを忘れてやられた方だと思います。

 また、あの方一代で百万世帯になんなんとするあれだけの組織を作り上げられたわけですから、たしかに権謀においてものすごいものがあり、策略という面では大抵の人間は手玉に取るぐらいで、色々な面でたいへん頭が良かったけれども、ただその芯に、「命を捨てても法を守ろう、法を弘めよう」という気持ちがあったように私は思っております。

 今の池田名誉会長が、「「全然違うような人だ」と私は敢えて言いたくないが、最近の言動をみると、何か自分中心ということが仏法の上からの基本になっているように思えてならないのであります。

 創価学会の中にも色々な流れがありました。戸田二代会長の頃は、やはり大聖人の仏法、御書のあらゆる御聖文を基本として、
  「道理証文よりも現証にはすぎず」(全集一四六八ページ)
あるいは「折伏正軌」という意義を中心根本に立てて、そしてどんどん折伏をされたわけです。その没後、しばらくの間は、たしかに池田三代会長もその路線において、あの八百万世帯までいかれたのであります。まことにそれは尊い姿であった。

 だからといって、それからあとにおいて、何を言ってもいいのだということにはならないのです。かえってそのような功績のある池田名誉会長がいい加減な、おかしなことを言うならば、その悪影響はたいへん大きいということを考えなければならないのです。

また、この中にも創価学会折伏によって信徒になり、さらに発心して僧侶になった人が大勢いる。

 けれども、皆さん方にはそこで考えてもらいたいことがあります。それは、創価学会が興ってきたのも、やはり日蓮大聖人の仏法の本義を伝えるところの総本山大石寺の大法護持の姿、本門戒壇の大御本尊様と御歴代上人の護法がおわしましたればこそでありますから、常にそこが基本でなければならないということであります。故に僧侶として師子身中の虫になることは、地獄に堕ちることである。是非、この点は考えていただきたい。そこをはっきり言っておきます。

 それから、これは一月六日にも言ったことですが、どうも池田名誉会長は、随分前から、仏法を御自分の考えを中心として解釈し述べておりまして、それによって大きな問題が起こっておると思います。それは正本堂の意義についてであります。

「 昭和四十三年に着工大法要という法要が行われた。その時において池田名誉会長は『三大秘法抄』の戒壇の文を引いて、
  「この法華本門の戒壇たる正本堂」(大日蓮二七三号巻頭)
ということをはっきり言っております。したがって、『三大秘法抄』に示されたところの戒壇が、直ちにこの正本堂であるという意味において述べています。最近の者は知らないと思うけれども、その頃の記録に明らかである。

 それから、昭和四十二年、三年、四年、五年、六年と、昭和四十七年の落慶法要に至る間、正本堂の工事が進捗するにしたがって、それぞれの段階において色々な名称による、その意義に則った法要が毎年十月に行われておる。その時の名誉会長の発言においても、それに類するような発言がされ、現在、残っております。

 たしかにその頃、日達上人も、「会長、もう広宣流布だな」ということをおっしゃった。しかし「広宣流布だな」ということは、大聖人の御遺命が達成したという言葉ではないのです。それはその後における日達上人の種々の御指南からも明らかである。(ただし、その後猊下より「昭和四十三年十月以前に、正本堂につき『三大秘法抄』『一期弘法抄』の御文意を挙げての日達上人のお言葉があったので訂正する」旨、仰せ出だされました。)

 それを池田名誉会長は「我が意を得たり」とばかりに、広宣流布達成と考えたのであります。すなわち『三大秘法抄』を挙げて「この法華本門の戒壇たる正本堂」と言ったことが、それをそのまま表しておるわけであります。
 その当時は、私達もそのような空気の中に巻き込まれてしまって、たしかに私も藤本総監も、ズバリとは言っていないが、それに近いようなことを実際に言っており、『大日蓮』にきちんと残っている。今、それは大いに反省しております。しかし、その時はそのような空気が宗門を巻き込んでいった。そのような経過の中で大事なことは池田大作名誉会長が、大聖人の御遺命の達成であるという意味で、正本堂を『三大秘法抄』の戒壇であると指名したことであります。(傍線部分は、お言葉では「一番の元」となっていたが、猊下より訂正する旨、仰せ出だされました。)

 しかし、名誉会長がそのように思って言ったにもかかわらず、その後の経過において日達上人が

  「正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり」(昭和四十七年四月二十八日・日達上人全集二輯一巻―三ページ)

と仰せになられた。「意義を含む」ということは、それだけの広布の実績という上において意義は含んでおるけれども、そのものとしての戒壇ではなく、現在の時におけるところの「事の戒壇」であるということです。

 この事の戒壇の解釈も、皆さんも知っておるとおり、日達上人は、その後において「本門戒壇の大御本尊様のおわします所が事の戒壇である」と仰せになられました。だから大聖人が『三大秘法抄』『一期弘法抄』で「事の戒法」と仰せられた、終極究竟の意義における事の戒壇ではないということなのです。

 それから、さらに日達上人は

  「正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり」(同ページ)

ということを仰せになっておられます。この「たるべき」の「べき」は、推量の意味に使われる助動詞であります。推量ということは「推し量る」ということですから、現在、そうでないから推し量るのです。そこには、それが「正本堂であってほしい」という願い、あるいは「現在は、そのようになると考えていい」というような意味も、たしかに当時の考え方としては含まれていた。

 しかしまた、そのような意味もたしかにありましたが、推量はすなわち、予想、予定ということにもなる。「予定は未定にして確定にあらず、しばしば変更することあり」という言葉もあるように、やはり、日達上人が定義され、決められたことは、要するに「正本堂は直ちに『三大秘法抄』『一期弘法抄』の戒壇ということではない」ということであります。

 大聖人様の『一期弘法抄』のお言葉は

  「国主此の法を立てらるれば云云」(全集一六〇〇ページ)

という、わずかなお言葉ですけれども、本門戒壇建立を一切衆生の成仏得道のための大仏法の究極の道とするという意味ですから、大変な御文なのです。

 ですから、『三大秘法抄』『一期弘法抄』の戒壇が出来たということは、大聖人が一切衆生救済という大慈悲の根本においてお示しになった、本門戒壇という我々に与えられた大理想が終わってしまったということになるわけですから、あとは池田名誉会長の考えでやっていくということになる。そのようなことになるでしょう。そのような一つの図式が出来ているということをよく考えてみなければならないと思うのであります。

 だから、私どもは一時、そのような考え方に多少、引き込まれたけれども、その後においての色々な事情の中で、日達上人が今のような意義内容の定義にされたわけです。

 しかし、池田名誉会長はもともと「こうだ」と言い切っていますから、おもしろくないわけです。そこから日達上人に対する不信の気持ちが起こったのです。私は、あの当時の宗務役員として、その経過や色々な過程から、このことを深く感じておるものであります。おもしろくないから「宗門に難癖をつけてやろう」、まして「我々はこれだけのことをやったではないか」という、慢心・傲慢がありますから、あの当時、色々なことを言ってきたのです。「仏法史観を語る」というような論文を書いたり、あるいは「御歴代の観念文のあとに歴代会長を入れろ」といって突き付けてきたり、事実、そのような観念文を作ってきました。要するに、今考えれば、本当に驕りとしか思えないようなことまで言ってきている。そのほかにもまだ、多々あるでしょう。そのようなことにより、色々な問題が起こったことは事実であり、それらについて当時、一部僧侶が決起した意味もあります。

 それらの全体を大きなお心の上から、全部を含んで日達上人が御指南をされて、創価学会が最終的に「これでは仕方がない」ということでお詫びをして、「お詫び登山」等の色々な形があり、それで六・三〇、一一・七の色々な意味の反省というものが文書で作られて、それを会員に回して徹底させたというけれども、実質的には効果的な反省があまりなかったというような話も当時ありました。

 しかし、ともかく日達上人が、昭和五十四年の五月三日の創価学会の総会の時に、このような問題の一切を「学会がすべて誤りを正し、誤りを今後しない」という、そのような条件のもとに「創価学会が今後とも、宗門の信徒団体としてやっていくように」というお言葉をもって大慈悲の収束があったわけであります。

 私は登座して基本的にそれをお受けしましたけれども、「正信会」という者どもは、一口に言えば勢いがついてしまったものだから、どうにも止まらなかった意味もあるのです。私達も、また宗務院当局も何とかして、これをやめさせようと思った。だから、何とかして思いとどまってもらいたいと、第五回の檀徒大会の時には、その中心者十人に対して私が実際に書いた手紙を送ったこともある。ところが、それを聞かずに遂行したわけだ。この中にもその時、出た人がいるだろう。

 だから、やむをえず、その時は一往、軽い処分をしたのです。ところがその軽い処分を不服として、正信会の一部の者どもが結束して、今度は私を訴えるというような形が出てきてしまった。しかも法主の血脈を疑って訴えるということですから、この内容については話にならない。本当に断腸の思いであったけれども、その時に擯斥処分にしたのであります。

 そのような経過がありまして、池田名誉会長が、形式的には秋谷会長が中心者であるけれども、ともかく、それらの人達が「お詫び登山」の趣旨に則って、あくまでその反省のもとにやってきてくれるものと思っていたわけであります。

 また、彼等が自ら反省したという証拠も色々と残っております。例えば、戸田先生の二十三回忌の時に発表した池田名誉会長の「恩師の二十三回忌に思う」というようなこと、それから、亡くなった北条第四代会長が創価学会として発表したものに実にはっきりと残っております。また『大白蓮華』に載せられた教材の中には「三宝を敬う」ということがある。法主のみならず、法主によって袈裟・衣を授けられた僧侶までが三宝の一分であり、これを尊敬し尊重し、供養していかなければならないということをはっきり言っております。それはみんな文献に残っています。

 それにもかかわらず、最近、また何か変なふうになってきてしまったわけです。それは、一貫して見ると、全部、池田名誉会長の仏法に対する考え方が元になっているように思うのであります。一番最初の正本堂の意義付けも、それから五十二年路線もそのとおりであり、さらに今度は、本当か嘘かは知らないけれども、「五十二年路線で揚げ足を取られ失敗したから、今度は絶対に揚げ足を取られない」というように言っているという噂を漏れ聞きましたが、そのようなつもりで、絶対に尻尾を掴まえられないように会員全部を洗脳しつつ、それで自分の手下にして、宗門もその中に巻き込んでしまおうと考えているらしいのです。本当はこのような流れなのです。みんな、この辺をよく考えてもらいたい。

 はっきり言えば、「法主は本尊書写係、法要係の長」ぐらいのところで、一切が創価学会の傘下に入るような形で、創価学会の顔色を見なければ何も言えないというような状態になったら、私は本当に大聖人様や御先師に申しわけないと思うのです。皆さんにそこを解っていただきたい。

 たとえ将来、本山の参詣者がなくなって、粥をすするようなことがあっても、私は正義は正義として立てていこうと思って、今回、この問題に踏み切ったわけである。是非、その根本的なところから考えていただいて、今後、宗門の僧侶として、宗務院の指示によって、きちんとした根本信念を持って、堂々と相手の誤りは誤りとして正し、また僧侶が無道であるとか非道であるというようなことも当然、彼等は言ってくるであろうから、その辺もよくわきまえつつ、正しく振る舞って、そして、「あの人達全部を、その堕ち込んだ執着から解き放し、大慈悲をもって正しい信心の眼を開かせよう」という気持ちで、大慈悲の言葉をもって対処していくことが大切と思うのであります。

 しかし、その者達は徒党を組んで、その非常に大きな組織を活用した形で、我々にあること、ないことを言って誹謗するかもしれない。しかし、我々はそれに耐えてどこまでも正しい立場で、その人達を救っていこうという慈悲をもって前進していくことが肝要であると思うのであります。

 以上、色々と言ったけれども、意のあるところを取っていただいて、是非、今後の前進と精進をお願いしたいと思います。

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