【之れを修行する者は仏因・仏果、同時に之れを得るなり】 大聖人様の御照覧を意識した信心を 慈本寺様御住職の法話


  
 【凡夫は自分の経験しか信じない】

 皆さんが初めて折伏を受けた時や、入信間もない頃には、御本尊様に「南無妙法蓮華経」とお題目を唱えると「功徳がある」「幸せになれる」と言われても、とてもそんなことは信じられなかったと思います。
 この仏法の真実の奥義は、自分の経験の範囲で判断しようとしても、なかなか理解することが出来ません。
 例えば、電波は目には見えなくともこの世に存在します。放送局からの電波の周波数が合えば、ラジオやテレビから音が流れ、映像が映ります。
 また、今から500年前までの人々は、「地球は宇宙の中心にあって、太陽や月や星が、この地球の周りを回っているのだ」というアレキサンドリア天文学者プトレマイオス(2世紀ころ)の『天動説』を信じていました。しかし、今では地球は24時間で自転しながら太陽の周りを365日かけて公転しているというのは常識であり、衛星からの映像を見ることが出来ます。

【大御本尊の功徳
 何が言いたいかと言いますと、世の中には見えなくとも存在するものや普遍の真理があるのです。命の問題もそうであり、仏の悟りも同じです。

 この御本尊様には大聖人様の久遠元初の御本仏としての悟りと、そして十界の衆生をことごとく成仏せしめる十界互具・一念三千の法門と、その功徳と用(はたらき)が具わっているのです。
 このことを大聖人様は『三大秘法稟承事(ぼんしょうじ)』に、
「名(みょう)・体(たい)・宗(しゅう)・用(ゆう)・教(きょう)の五重玄なり」(御書1595)
と仰せであり、日寛上人は『当体義抄』の御文を五重玄に配当されています。

名(釈名(しゃくみょう))
「至理(しり)は名無し。聖人理を観(かん)じて万物に名を付くる時、因果倶時(いんがぐじ)・不思議の一法之れ有り。之れを名けて妙法蓮華と為す」(御書695)
体(弁体(べんたい))
「此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して闕減(けつげん)無し」(同)
宗(明宗(みょうしゅう))
「之れを修行する者は仏因・仏果、同時に之れを得るなり」(同)
用(論用(ろんよう))
「聖人此の法を師と為して修行覚道し給えば妙因・妙果倶時(ぐじ)に感得(かんとく)し給う」(同)
と配当されています。
教(判教(はんきょう))
 これらのことから、大聖人様の仏法こそ唯一絶対の正法あでることを判釈するのが日蓮正宗の仏法なのです。
 つまり、本門戒壇の大御本尊様のみが、五重玄を具足した御当体であり、大御本尊様に南無妙法蓮華経と唱へることによって、即身成仏の功徳が受けられるのです。

 このように5つのはたらきが、御本尊様に具わっていると分かれば、むしろ成仏することが当り前と理解できます。
 一切の衆生がことごとく、一念三千の原理によって、大聖人様の魂魄(こんぱく)である御本尊様と境智冥合(きょうちみょうごう)するときに、一人一人の命が六根清浄の命へと改革されていくということは厳然たる事実なのです。
 しかし、自分の浅はかな智恵で判断をするから、「墨にしたためられた掛軸を仏壇に安置して、お題目を唱えれば幸せになる?そんな馬鹿なことがあるか!」と世の中の人は考えるのです。
 しかし、この信心を実践していけば、必ずその人の命が改革されていくのです。

【大聖人と同じ信心】
 このお題目には、私達の過去世からの罪障を消滅させていただける功徳があります。
 先程来、申しあげているのは理屈です。
 しかし、私達がこの信心を通して、一人一人の命を六根清浄の命に転換していくということは、御本尊を仏壇に御安置さえしていれば、何となく「いつかは私の罪障もしっかりと消滅されていくのだろう。」というように安易に考えてはいけません。
 信心はいつも申し上げますように、ただ功徳だけを願い、「あれを下さい。これを下さい。」と物請いをすることが、大聖人様の弟子として生きる道ではないのです。
 私達は、この御本尊を命懸けで持って、そうして大聖人様と同じ御精神、同じ信心の上に立ってお題目を唱えることが大切です。
 『身口意三業』とあるように、考えと、話すことと、行動が一致する信心が大切です。
 頭では「唱題や折伏は大事」だと思っていても、実行できない。「唱題会や御講などの寺院参詣は大事」だと分かっていても実行出来ないというのは、本当に分かっているとは言えません。なぜなら、その人の、命の奥の本音は、口では何とでも言えますが、すべては行動や態度に出るからです。
 人は自分が本当にやりたいことは、暑かろうが寒かろうが、少々具合が悪かろうが、お金がかかろうがそれらをいとわず行うものです。
 好きな芸能人のコンサートや、人であふれかえる花火大会の催しなどへは、老若男女を問わず満面の笑みで押しかけて行くではありませんか。

 何も、コンサートや催しに行くなと言うのではありません。余暇を楽しむことも時には必要です。
 しかし、私達は、せっかく受けがたき人身を受け、会い難き仏法に巡り会っているのですから、大聖人様の御指南を通して、自分の命を全うすることが大切だと申しあげたいのです。
 すなわち、大聖人様の御精神を体して一生懸命、勉強をする。大聖人様の御指南を通して、仕事に従事する。そして大聖人様の御指南を通して、病や悩みを克服していくのです。  
 あらゆる生老病死をはじめ、一切の悩みや苦しみに向き合いながら、それを乗り越えて行くのです。
 常に大聖人様の御指南、御当代日如上人猊下の御指南を根本に人生を全うしていくときに、私達の身口意の三業、命の一切が六根清浄の即身成仏の境涯へと生まれ変わっていくのです。
 ただ法華講に入っていればいい、ただ願い事だけをしていればいい、ということではないのです。
 そのことを心に置いて、少しでも大聖人様の御精神に近付ける自分になれるように、常に意識するのです。「大聖人様が今の私を御覧になって、何とお声をかけて下さるだろうか?」と唱題しながら御本尊様に問うのです。
 その気持ちの上に立って、御本尊を信じ、題目を唱え、生きていくということが大切だと思います。そうしますと、必ず六根清浄なる命へと変わっていけるのです。例を挙げますと、
・弱く臆病な心、怠惰な心が淘汰されて、仏性が顕れる。
・情愛をや慈悲を持って、人を見、ものを見る事が出来る。
・人の言葉を聞いても、正邪の弁別が正しく判断できる。
・話す言葉も、大聖人様の仏法に叶った言葉になれる。例えば、折伏に行っても慈悲にあふれた大聖人様の心に従った言葉に変わっていく。
 このようにして、自分の命も知らず知らずに磨かれ変わっていけるのです。

【ブラジルのメンバーの求道心を見習おう】
 先月の18日は、ブラジル信徒25名が来寺し、有意義な交流会が出来ました。
 今年の3月の記念登山は人数制限等で来日できなかった方々の登山でした。
 中には、車椅子の子供さんを連れて登山される方もいらっしゃり、道のりの長さを考えたときに、尊くて涙が出そうになりました。
 また、同じ御本尊を信じる同志というのは、言葉の壁を越え、通じ合えると再確認できました。
 さらに、現地の御主管である関良務師が、ポルトガル語がペラペラで、僧俗和合の元、固い絆で結ばれている様子が見て取れました。
 これは、学会が一番嫌がっていた姿で有り、私がブラジルへ行っていた24年前は、すべての原稿は組織に先渡しし、通訳を介してしかメンバーと話が出来ませんでした。
 当時の学会は、のらりくらりと海外での寺院建設や僧侶常駐は難しいと常に言っていました。
 また、現地法人の代表役員も、ブラジル人か帰化した人間で無いと国法でなれないと騙していました。
 南米には、当時はブラジル一ヶ寺しかなく、アルゼンチン・パラグアイウルグアイ・コロンビア等の出張御授戒に、ブラジル一乗寺から出向いていました。
 御授戒、御本尊下付、法事、塔婆供養、結婚式などの全ての御供養は、「広宣流布のお役に立てて下さい」と、当時の取り決めで、そのまま現地の学会へ渡していました。
 我々が受け取るのはおかしいと、ある国の心ある理事長の奥さんが言っておりましたが、それだけ宗門は学会を信用し、お金の問題で無く、世界広布の役に立てていることを誇りとしていたのです。
 宗門と学会の問題が起きると、法論ではなく、学会はブラジルから僧侶を追い出すことに腐心し、政府関係者が買収され、私を含め当時の僧侶は、全員ビザの更新が出来ず強制帰国となりました。
 そもそも一乗寺は本山から寺院建設の資金が送金されて建立されましたが、その後、学会でこの問題が起きる5年以上も前に秘密裏に行った寺院定款の勝手な変更(代表役員を住職から学会幹部に変更)を盾に、寺院までも学会に乗っ取られてしまいました。
 当然、宗門でも訴訟を起こしましたが、裁判官が宗門敗訴の判決を出したまま、海外に長期休暇で出て行ってしまうと言う異常なものでした。
 学会では現地メンバーに、「学会で建立した寺院だから学会へ返してもらっただけ」と嘘をついていますが、今思うと、私のいた遙か前から、学会はいつでも宗門と手を切ってもやっていけるように、様々な手を打っていたことが分かります。
 帰国の際、法華講メンバーから「私達の国がひどくて、嫌な思いをさせてすみません。でも、私達のことを嫌いにならないで下さい。私達で良い国にしていきますから。」と言われたことが今でも心に残っています。

 それを思うと、今のブラジル法華講が宗門で新たに寺院と出張所を建立し、道念のある僧侶の元、日々発展している姿は、本当に尊くありがたいと思います。
 ブラジルの政府で決めた最低給料は、日本円にして3万円から4万円です。ブラジルから登山の間にかかる費用は、安い飛行機会社を探し、どんなに節約しても30万円はかかるそうです。

 物価は、日本より家電などは高く、皆、普段の生活で精一杯なのです。そんな中、必死でお金を貯め、本山の大御本尊様を目指し、猊下様にお目にかかりたい一心で地球の裏側から登山してくるのです。

 逆に皆さんが、ブラジルに本物の仏と真理があると聞かされて、真剣に信心に取り組み、お参りしようと思いますか?
 ブラジルメンバーの来日が、どれだけ尊いことか、皆さんも少しはお分かり頂けるかと思います。
 また、この方々を思うとき、我々がいかに恵まれているか思い知らされます。11月の支部登山は、全員で行こうではありませんか。


 【真の世界平和の為に】
 今、戦後70年ということで、盛んに戦争について語られる中、政権与党が憲法解釈を変えようとしています。
 この娑婆世界を寂光土・仏国土へと転じていくには、憲法解釈などの小手先では無く、大聖人の仏法をもってしか、真の世界平和は実現しません。
 本宗に於ける信仰の要諦は、宗祖日蓮大聖人が『三大秘法稟承事』に、
「末法に入て今日蓮が唱る所の題目は前代に異り自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」(御書1596)
とお示しの如く、大御本尊様を根本とした自行の精進と、折伏弘通の実践です。
 武力で他国を威圧しても根本的な解決にならないことは、日本は敗戦の教訓から学んでいるはずです。
 また、大戦後の世界各地での紛争を見ています。
 どんな大義名分があろうと、戦争は三毒強情の姿でしかありません。
 日本でも、国中が謗法に染まってしまえば、諸天善神は去ってしまい、国が混乱し、戦争が起こるのです。
 しかし、世界中が同志ならば、そもそも不毛な戦争など起こりようもありませんし、世界中で兵器開発にかける資金や労力を有意義に使っていくことも出来るでしょう。
 我々の目指す広宣流布は、こういう尊い意味と使命があることをそれぞれが自覚され、胸を張って進んで参ろうではありませんか。



〈ブラジルメンバーとの交流会の砌〉

 御住職挨拶文
ポルトガル語
 みなさんこんばんは
 住職の小橋道芳と申します。
 遠いブラジルより、慈本寺へお参り下さり、誠にありがとうございます。
 私は、25年前にサンパウロ一乗寺へ、一年半在勤しておりました。
 今でもよく覚えているポルトガル語があります。
『もしもし、すみませんが今ポルトガル語が出来る人がいません。明日、8時から18時の間に電話してください』

 こんな程度ですから、関良務師に通訳していただきます。
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【日本語】

 私がサンパウロにいた時に、学会問題が起きて、少ない法華講員がよくお寺を護って下さいました。
 結果的に当時いた僧侶は全員ビザの関係で日本へ強制送還となりました。
その時、メンバーから「私達の国がひどくて、嫌な思いをさせてすみません。でも、私達のことを嫌いにならないで下さい。私達で良い国にしていきますから。」
と言われたことが今でも心に残っています。

 その後、アングラとサンパウロに寺院が出来ました。
素晴らしい御住職と共に、法華講が発展している姿を日本で見ることはとても嬉しいことです。
 ブラジルも法華講と共にどんどん発展して、サッカーのワールドカップも成功し、来年はリオでオリンピックが開催されます。
 私がブラジルでメンバーから受けた恩を、本日こうして少しでもお返しできることを嬉しく思います。
 限られた時間ではありますが、皆さんと有意義に楽く過ごしてまいりたいと思います。