戦前に樺太にあった開法寺の御住職辰野開道御尊師様

猛暑お見舞い申し上げます。

皆様こんにちは。達郎です。m<(__)>m
いつも私の拙いメルマガをお読み頂きましてありがとうございます。
今回は『樺太』というお話を致します。

このお話は、戦前に樺太にあった開法寺の御住職辰野開道御尊師様が、太平洋戦争の時に、お寺を守りながらも、戦火の中で、御本尊様とともに、亡くなっていくお話です。

辰野開道御尊師様は、総本山第六十六世日達上人猊下様の兄弟子に当たる方で、総本山第五十七世日上人猊下様の法類(師匠が同じ)でした。
時は昭和の15年頃ではないかと思います。
樺太(今のサハリン)の真岡に開法寺(樺太教会所)とお寺が建立されました。

そのお寺に住職として、赴任されたのが辰野開道御尊師様で、御尊師は若い頃、女性問題を引き起こし、本山で種々問題になったそうです。そして鼻つまみ者の様になって無為の日々を過ごしておられたという事です。
そして、正宗が樺太の真岡に教会所を作った時、五十近くで一念発起して樺太に渡り、その教会の御住職になられ、極寒の地樺太で、懸命に広宣流布の為に頑張られた。その事について、当時の信徒さんから私が直接聞いた話をご紹介させて頂きます。
「当時、真岡の開法寺が、樺太全土でたったひとつの日蓮正宗寺院で、お講には樺太中から随分たくさんの人が集まりました。当時はバスなどなく、樺太全土から汽車でやってきて、皆さん駅から歩いて来たと思います。
樺太はものすごく寒い土地で、冬は零下三十度にもなり、お寺に来るのが本当に大変です。そこで、信徒さんに、お寺でカレーライスの炊き出しをしました。十二の班に分かれて月毎に班で担当して炊き出しを手伝った記憶があります。
御住職様は、当時既に六十を過ぎていらして、一人暮らしをされていましたが、講の人のお子さんをよく面倒を見て下さいました。また、講の方で困った方のお子さんを、あずかって面倒を見ていらっしゃっいました。」
終戦となり、ソ連軍の侵攻が始まったが、老齢の辰野御尊師はお寺の板御本尊様を持って内地へ逃げる事が出来ない。 
そこで、自分が祈ることで信者さんだけは無事に内地に帰れるようにと、炎の迫る本堂で一生懸命にお題目を上げられ、そこで亡くなられたそうです。その事についての日達上人様の御文をご紹介させていただきます。

「さて、その辰野開道師はあの終戦の時、その前に樺太日蓮正宗の信者が増えて、樺太の真岡に教会を造りました。その教会へ、とにかく自分は今まで非常に人々から非難され、抗議ばかりされた。自分はこの寒い樺太へ行って奮起しよう、と。すでに齢も四十いくつ、五十近くになっておっただろうと思います。そして北海道へ行って、樺太の真岡において一生懸命修行しておりました。たまたまこの大戦に日本は負けた。ソ連は即座に樺太を占領した。
ある日、艦砲射撃はその真岡の町を撃ち、いたる所燃えてしまった。正宗の信者も皆帰る。婦人を始めとして皆帰るようになった。しかし辰野開道師は、もうこの御本尊様を背負って行ってもソ連の捕虜になる。
自分はこの御本尊様を持ってここへ布教に来たのである。この御本尊を内地へ移せない。その時すでに艦砲射撃によって周りはすっかり焼き払われた。
そこで辰野開道師は太鼓を叩いて、自分のこの祈りによって信者は皆内地に帰れるようにと、一生懸命にお題目を上げた。ついに寺に火がついた。そして寺は燃えて、太鼓の音はまだ聞こえておったそうです。
寺の焼け落ちるとともに、御本尊様とともに、大鼓の音が消えた。そこで辰野師は亡くなったのであります。」
(日達上人全集 第二輯 第七巻 六十三頁)

今回のお話は、大変短いお話と感じたられたことと思いますが、昭和20年までは樺太(今のサハリン)にも日蓮正宗寺院(教会)がありましたが、今はその場所は他の人の土地となってしまいましたが、東京・妙光寺の先代御住職尾林日至御尊能化様(故人)が、樺太に渡りまして、辰野開道御尊師様と戦争で亡くなった方の追善供養をなされたことが、ございました。

野開道御尊師様は、本当は御本尊様を自分の背中で、子供が年老いた親を背おうようにしていけば、御信者の皆さんと逃げることもできたと思いますが、樺太の地へ御本尊様と一緒に、布教活動に来たのだから、樺太の地で御本尊様をお護り申し上げながら、戦火の中でお題目を唱えながら、太鼓を叩きながら、亡くなっていく姿は、本当に御信者さんの1人でも犠牲にしてはならないという死身弘法のお姿を感じます。
じつは、このお話を読んだ時に感じましたことは、大変畏れ多いことでございますが、総本山第62世日恭上人様の御遷化のお姿を感じました。
日恭上人様も戦火の中で、御宝蔵(当時)に御安置申し上げております、本門戒壇の大御本尊様の方向を向かれて、端座合掌したお姿で、御遷化されたということでございますが、辰野開道御尊師様のもとにも、人づてに日恭上人様の御遷化の訃報が伝わり、時の御法主上人が戦火の中で、御本尊様をお護り申し上げながら、御遷化遊ばされたことに、弟子の一分に当たる自分が御信者さんの1人でも犠牲に出してはならないと感じ、御本尊様と一緒にお亡くなりになられたことと思います。
じつは、自分も子供の頃より、よく今は亡き父に、聞かされていたことがあります。
それは
地震や火事が起きた時には、御本尊様を御巻きして、自分が命がけで守る」
と言っていたのですが、本当はそれを私にさせるために、口癖のように言っていたのかも知れません。
今回は纏まりがなく終わるような感じも致しますが、日蓮正宗の御僧侶は、死身弘法の精神でお寺の御本尊様と、御信者さんを護っているということを感じるお話でございました。

明日は8月度の宗祖日蓮大聖人御報恩御講の日であり、また15日を中心として、総本山をはじめ各末寺で旧盆・盂蘭盆会法要が奉修されます。

1人でも多くの方をお誘いして、寺院参詣されますことを、願ってやみません。
以上をもちまして、今回のお話を終わりに致しますが、暑い日がまだまだ続きますので、くれぐれも健康管理に注意されまして、夏をお過ごしください。

達郎

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