お盆には御塔婆供養をいたしましょう。

お盆には御塔婆供養をいたしましょう。皆様の御先祖様や先立たれた御家族へ最高の供養となるのが御塔婆供養です。

 日蓮大聖人様は『草木成仏口決』に、
「我等衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは、死の成仏にして草木成仏なり」(御書五二二頁)

と仰せであります。盂蘭盆会は寺院に参詣し御塔婆を建立して、御本尊様へ住職と共に御題目を唱え御焼香をすれば、先立たれた御家族が必ず成仏していくのであります。御塔婆供養することで先立たれた御家族の未来を安穏にしていきます。

 更に御塔婆供養の大切さを日蓮大聖人様が私達に御指南されておられ『上野殿御返事』に、
「此の子そとばに此の木をつくり、父の供養のためにたて、てむけりと見へたり。日蓮も又かくの如くあるべきか。」(御書一三六〇頁)

と仰せであります。先立たれた御家族には白木の御塔婆を建立して供養することが大切であります。御塔婆供養することで先立たれた御家族を供養している証拠になり、日蓮大聖人様が仰せのように御塔婆供養を寺院で行わなければ、供養されず成仏できずにおります。

 日蓮大聖人様は白木の御塔婆に御題目を認めるように御教示であります。故に『中興入道御消息』に、
「去りぬる幼子のむすめ御前の十三年に、丈六のそとばをたてゝ、其の面に南無妙法蓮華経の七字を顕はしてをはしませば、(中略)此より後々の御そとばにも法華経の題目を顕はし給へ」(御書一四三四頁)

と仰せであります。また日蓮大聖人様は春と秋の御彼岸以外の御法事となる十三回忌にも、御題目が認められた御塔婆を建立して先立たれた御家族を供養することが大切であると仰せであります。

大聖人は塔婆の功徳と意義を明確に説かれています。
 その御教示に随って塔婆供養をすることは当然のことではないのですか。

学会員の皆さん、あなたの考えは、間違っています。下の文面をよくお読み下さい。


 大聖人は、『中興入道御消息』に、
「去(みまか)りぬる幼子(おさなご)のむすめ御前の十三年に、丈六(じょうろく)のそとばをたてゝ、其の面に南無妙法蓮華経の七字を顕はしてをはしませば、北風吹けば南海のいろくづ、其の風にあたりて大海の苦をはなれ、東風きたれば西山の鳥鹿、其の風を身にふれて畜生道をまぬかれて都率(とそつ)の内院に生まれん。況(いわ)んやかのそとばに随喜をなし、手をふれ眼に見まいらせ候人類をや。過去の父母も彼のそとばの功徳によりて、天の日月の如く浄土をてらし、孝養の人並びに妻子は現世には寿を百二十年持ちて、後生には父母とともに霊山浄土にまいり給はん事、水すめば月うつり、つゞみをうてばひゞきのあるがごとしとをぼしめし候へ等云云。此より後々の御そとばにも法華経の題目を顕はし給へ。」(新編1434㌻)
と、塔婆供養の功徳の大きさを明確に御教示されています。
 第三祖・日目上人は、御母堂が亡父・重綱の塔婆供養(石板・宮城県新田に現存)をされたとき、その題目等をお書きになられました。古来、日蓮正宗では大聖人の教に従い、亡くなった方に対する追善供養として塔婆を建立して供養してきたのです。
 また、かつては創価学会、第二代会長・戸田城聖氏は、
「塔婆供養の原理についていえば、人が死ぬと宇宙の生命に溶けこみます。色心の二法であるゆえに、この生命を塔婆という体を作って供養すれば、聞いた題目が生命に感じて業がうすくなり、苦悩を少なくしうるのです。」(戸田城聖全集2ー176)
と指導していました。池田大作氏の師匠である第二代会長の戸田氏がはっきりと、塔婆供養の原理を指導しているのです。
 しかし創価学会は今回の問題が起こると、聖教新聞等で日蓮正宗が金儲けのために塔婆を利用しているという趣旨の事実無根の誹謗・中傷記事を掲載し、塔婆供養を宗門誹謗の道具としています。そして塔婆はあってもなくても良いものと結論づけています。それでは第二代戸田会長の指導は間違いだったんでしょうか。もしそうであるならば、「戸田会長は間違った指導をしていた」と、はっきりと会員に知らせた上で塔婆無用論を言うべきでしよう。
 現在の創価学会は、組織防衛のためには、以前の指導と正反対のことでも平気で会員に押しつける欺瞞集団に成り下がっているのです。そのような創価学会にはもはや、日蓮大聖人の正しい教えなどあるはずはないのです。

【塔婆に関する創価学会の指導】

 創価学会では、塔婆供養について、会員の質問に答えるという形で、以下の様に指導しています。
「Q 大聖人は、塔婆供養についてどう仰せられているのか。
A 御書で塔婆供養についての言及は「中興入道消息」と「草木成仏口決」の二編だけです。
信仰上、塔婆が絶対不可欠などとは仰せられていません。当時の塔婆の流行に対し、随方毘尼(仏法の本義に違背しない限り、各地域や時代の風俗・習慣を用いることがある)の立場から認められたのです。塔婆そのものを勧められたのではな<、中興入道が塔婆に妙法の題目を書いたことを賛嘆されたのです。」(教宣ハンドブック54㌻)
この指導に於いて創価学会は、大聖人が塔婆供養について言及された御書が、二編だけであると指導し、御書における言及数で教えを取捨選択するというまことに不遜きわまりない考え方を明かにしています。

創価学会の「随方毘尼」という主張】

 創価学会は、大聖人が随方毘尼の立場から塔婆を認められたと決めつけています。
 そこで、随方毘尼の意味を同会の辞典によって調べてみると、
「仏の未だ制禁していない事例については仏教の本義にたがわない限り、各地域の風俗・習慣や時代の風習に従ってもよいということ。」(御書辞典629)とあります。
 つまり釈尊自らが造立し、造立を許可したことが、『十誦律』、『摩詞僧祇律』等に説かれている塔婆に関する御教示は、随方毘尼にならないのです。
 また、『瑜伽論記』第二十一には、
「卒覩波は此に供養處という」
とあり、塔婆には、故人に対する供養の意義を有していました。
この塔婆の意義が仏教東漸に伴って、中国、日本に受け継がれ、仏塔の意義としては、五重塔などの堂塔として建立され、故人への供養の意義としては、五輪・角・板塔婆として伝えられてきたのです。
 大聖人は、
「我等衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは、死の成仏にして草木成仏なり」(『草木成仏口決』新編522㌻)
と仰せられ、仏法の本義から塔婆建立の意義について解釈され、文底下種の題目を顕された塔婆は衆生成仏の姿を示すものとされています。
 これは、大聖人の正義による塔婆供養をご教示されたのです。決して、創価学会が主張する「随方毘尼の解釈から消極的に認められた」などというものではありません。
 したがって創価学会の主張は、大聖人の御書の御文を都合の良いように解釈したものであり、大聖人の御金言を軽んずる大謗法です。
このような創価学会の主張は、塔婆供養ができないことを不審に思う会員を欺(あざむ)くための詭弁(きべん)という他ありません。

【塔婆題目の書写について】

 創価学会は中興入道が塔婆の題目を書いたと断定しているようですが、そのような確証はどこにもありません。
 また、第九世日有上人は、『化儀抄』に、
「卒都婆の事、縦ひ能筆なりとも題目計りをば書くべき人にかかすべし」 (聖典978㌻)
と、さらには『有師談諸聞書』に、
「題目計りをば其の所の住持書くべきなり」(富要2-143)
と示されているように、宗門では古来、題目を書写するのは僧侶であり、信徒が題目を書写することは許されていないのです。

 以上述べましたが、学会員のみなさん、一日も早く正しい信心に目覚め、日蓮正宗の正しい化儀にのっとった塔婆供養によって、亡くなった方々の追善供養をおこなってください。


また、塔婆の裏側には「乃至法界平等利益自他俱安同帰寂光」と書かれています。宇宙全体を供養しているのです。地球を超えた慈悲なんです。