日蓮正宗に入信したら、いいことだらけでとんとん拍子に人生がグレードアップすると思っている方に。

 折伏をしてくれた人から、御利益の話だけ聞いて入信したという方。
 創価学会顕正会から移ってきて、そのまんまな方。
 そういった方々に仏道修行のお話を分かりやすく、慈本寺の御住職様がお話して下さっています。
 ストイックなだけの自力本願でもなく、幸運度アップだけを願う他力本願でもなく、仏に成るための修行・・・。
 重たいなあなんて思わず、ぜひ御一読下さい。

【いまだ昔よりきかずみず、冬の秋とかへれる事を】
 冬は必ず春となる
 本日は、信仰歴が長い方であればもう何度も耳にされている『妙一尼御前御消息』の、
 『法華経を信じる人は冬のごとし、冬は必ず春となる。いまだ昔よりきかずみず、冬の秋とかへれる事を。いまだきかず、法華経を信じる人の凡夫となることを。経文には「若有聞法者無一不成仏(にゃくうもんぽうしゃむいつふじょうぶつ)」ととかれて候』(御書832頁)
の御文についてお話しをさせて頂きます。
「若有聞法者無一不成仏」とは、もし法を聞く者は一人として成仏しない者はいないという意味です。
 【御述作の背景】
 この御書は、建治元年(1275年)五月、日蓮大聖人が五十四歳の時に身延の地より鎌倉の「妙一尼」へ宛てて書かれたお手紙です。
 妙一尼の詳細については今となってはほとんど分からなくなってしまっているのですが、さじき妙一尼とも宛名され弁阿闍梨日昭への指示があるお手紙が残っている所から、鎌倉に在住し日昭とも深い関係のあった方と思われます。
 従来、妙一尼は、老齢で幼い子供を抱えた女性であるとか、あるいは反対に、老いた母と幼い子供を抱えた女性であるとされてきました。
 もし、妙一尼の夫が、幼い子供を残して死去し、残された年老いた妙一尼に対する御消息が本抄であるとすると、年老いた尼に、幼い子供がいたことになってしまいます。
 また反対に、妙一尼は老いておらず、年老いたのは母であったとしますと、本御書では妙一尼のことを「年寄り尼」と仰せですからこれもおかしいことになります。
 したがって、このとき亡くなった方は妙一尼御前の夫ではなく、子息であり、残された子息の妻と子供たちを抱えた、「年寄り尼」たる妙一尼に与えられた御手紙と見るのが自然のようです。
 
 さて、本抄を知る上で重要な出来事は、この年より約四年前の文永八年(1271年)に起きた竜口の法難、そして佐渡配流に至った経緯です。
 文永八年、幕府は旱魃(かんばつ)による悲惨な状況を鑑(かんが)み、極楽寺の良観に雨乞いの祈祷を命じられました。その時日蓮大聖人は、成仏不成仏という仏法の大事に比べれば雨乞いの勝負など小事ではあるけれども、これより仏法の正邪を世にはっきりと示そうとなされ、良観との間に、負けた方が弟子になるとの約束を交わしました。
 しかし完全に負けた良観は約束を守らないばかりか、かえって仲間と結託して日蓮大聖人を幕府に訴えるという暴挙にでました。
 その結果として竜口法難、佐渡流罪へと発展していったのでした。この竜口法難の時に日蓮大聖人は、幕府の実力者、平左衞門尉に対して「法華経に背いて日蓮を迫害するならば仏天の罰を蒙り自界反逆と他国侵逼の二難が起こるであろう」と堂々と二度目の国家諫暁をなさったのでした。
 妙一尼をはじめ御子息等は、日蓮大聖人の御人柄や御振舞、御指導等を通して、日蓮大聖人こそが、この国や民衆を救う大事な方であることを確信し、法華経広宣流布を疑いませんでした。邪宗の僧らの讒言(ざんげん)によって、たとえ日蓮大聖人が流罪、死罪になろうとも、妙一尼をはじめ御子息等は我身の危険をも顧みず、日蓮大聖人をお守りすることに尽力されました。
 本抄御著述の建治元年という年は、日本は騒然とした危機感の中にあったと思われます。
 すなわち大聖人様が『立正安国論』において予言遊ばされた「他国侵逼(たこくしんぴつ)」の大難が的中し、前年の文永十一年十月五日、遂に蒙古が壱岐対馬に来襲しました。この時、蒙古の軍船は大風により壊滅(かいめつ)しましたが、翌建治元年には、鎌倉幕府は蒙古の再度の使者、杜世忠(とせいちゅう)を辰の口に斬り、蒙古の再来襲に備えて、西国の防備を一段と強固にした年だったのです。
 この現状で、幕府は有効な対策を立てる事もできずに困り果て、流罪にした日蓮大聖人を呼び戻されて意見を求めたのです。
 日蓮大聖人は、
 「経文にはいつとはみへ候はねども、天の御気色いかりすくなからず、きうに見へて候。よも今年はすごし候はじ」(御書867頁)
と答えられ、他国侵逼の原因は偏に一国謗法にある事を教示し、その対策として国をあげて謗法を退治する事と法華経の信仰をする事を求め、第三回目の国家諫暁をなされたのでした。
 しかし、幕府がそれを決断できずにいると、日蓮大聖人は、「三度いさむるに用ゐずば山林にまじわれ」(御書1030頁)
との賢人の習いに従って、五月には鎌倉を去り、日興上人の勧めにより身延に入られたのです。
 その後、五ヶ月ほど経った十月には蒙古の来襲が現実となり、世情は不安と混乱の極みに達した事は想像に難くはありません。このような中にあって、妙一尼は日蓮大聖人の身を案じ、衣の御供養と下人を一人遣わされたのです。


 【御書の大意】
 本抄は妙一尼よりの衣の御供養と下人を御給仕に遣わされたことに対するお礼の御返事です。
 妙一尼の御子息は、大聖人様が佐渡配流中に亡くなられたようです。あとには子息の妻とその幼い病弱な子と、女の子供たちが残され、年老いた妙一尼御前は息子を失った哀しみに加えて、息子の心残りな心中を察するにつけ、途方に暮れた心境でありました。
 そのような状況ではありましたが、妙一尼は下人「滝王丸」を、佐渡の大聖人様の下へ、お給仕をさせるべく遣わされたのです。
 そして、大聖人様が御赦免になって身延へ入山された後も、引き続いて滝王丸を御給仕のために身延へ遣わされました。
 これにつき大聖人様は『さじき殿御返事』に、
 「滝王丸に之を遣使さる。(中略)今の施主妙一比丘尼は貧道の身を扶けんとて小童に命じ、之を使わして法華経の行者に仕へ奉らしむ」(御書663頁)と仰せられているように、妙一尼自身、決して楽な生活ではなっかったでしょうが、貧道の身と仰せられる大聖人様のお役に立つことができればとの、純信なる志から、滝王丸を遣わされたのです。
 また妙一尼は、自身及び一家の厳しい現状を顧みるとき、その宿業の重さを痛感せずにはいられなっかったことでしょう。それだけに、法華経の行者、日蓮大聖人の仏法を信じ奉り、自身の宿命転換は如説修行以外にはないと、信心無二に御奉公なされたと思われます。

 日蓮大聖人は、佐渡配流中に妙一尼の御子息が若くして亡くなられていた事を初めて知り、大変驚かれると共に心を痛められ、年老いた母である妙一尼や幼い子供や病気の子らを残していった御子息の心中と、自分より若い息子を先立たせてしまった母の悲痛を慮って、釈尊と阿闍世王との故事を示されます。

 阿闍世王は提婆達多にそそのかされて父を殺してしまい、その反省懺悔のために仏門に帰依した王です。
 この故事とは、釈尊は、御涅槃の時(入滅する時)に嘆いておっしゃるには「私はまもなく涅槃を迎えるだろう。ただ心残りなのは阿闍世王だけである」と言いました。
 すると迦葉が、仏に申し上げるのです。
 「仏は平等の慈悲です。一切衆生のために命を惜しみなさるべきです。どうして私たちを払いのけて阿闍世王一人と仰せになるのですか」と問い申し上げたところ、その御返事として言われるのには「例えば一人の人に七人の子供がいたとしよう。この七人の子供の中に一人の子供が病に遇ったとしたら、父母の心は平等でないはずがない。しかし、病の子供に対しては、心をより多く傾けるようなものだ」等と仏はお答えになられました。
 大聖人様はこの譬えを引かれて、大切な家族それも病気の子を残していく親の気持ちを思いやられています。
 更に御子息はあの竜口法難の折に領地没収という憂き目にあいながらも決して退転せず、命を法華経に奉り強盛な信仰を貫かれた功徳により必ず成仏している事を法華経の御文を示されつつ、もしも御子息が生きておられたならば、日蓮大聖人が生きて佐渡から戻られた事、予言が的中し幕府に呼び戻され国難に対する対策を尋ねられたりした事などを知れば、何程かよろこばれたであろうかと、在りし日の姿を忍んでおります。
 そして、子息もこの道理によって考えるならば、すでに成仏されておられるのである。常に妻子たちを見守っておられますから、決してこれを疑ってはなりませんと、仰せになられています。
 最後に、自分の方から訪問したいと思っていた所に、思いもかけず尼御前から「衣」の御供養と下人を遣わされた事に対して深く感謝されると同時に、日蓮大聖人も妙一尼の御子息が幼き子供たちを心にかけて見守っていく事を仰せられています。
 冒頭にも紹介しましたように日蓮大聖人は、『妙一尼御前御消息』において、
 『法華経を信じる人は冬のごとし、冬は必ず春となる。いまだ昔よりきかずみず、冬の秋とかへれる事を。いまだきかず、法華経を信じる人の凡夫となることを。経文には「若有聞法者無一不成仏」ととかれて候』(御書832頁)と仰せられています。
 これは、確実なる季節の運行の法則に信仰の法則を重ね合わせての御指南です。

 余談でありますが、地球は毎日24時間で地球を一周(自転)しています。また、太陽の周りを365日で一周(公転)します。地球の地軸は、赤道面で公転面で23度26分傾いています。自転軸の傾斜によって、太陽高度と、日照時間が変わり、最も影の長い日が冬至になります。季節の運行は、これらの原因から生じます。
 また、地球の自転は6億年前には約22時間あり、1年は400日たったようです。地球誕生直後の1年は2、000日相当と考えられています。
 このようにかつて早かった自転速度は遅くなっています。これは、月や太陽の引力によって起こる潮汐(ちょうせき)作用で動く海水が自転運動よりも遅く、摩擦抵抗として作用するためだそうです。10億年後には地球自転は31時間になると試算されています。
 ともあれ、この地球はこれらの微妙且つ完璧なバランスの元、四季を織りなし生命を育んでいるのです。

 大聖人様は、冬は必ず春となるように、法華経を信仰する人は必ず難に逢うけれども、必ず成仏すると仰せです。それは法華経が方便の教えでなく真実の教えだからです。方便の教えでは、方便の功徳しか享受できませんが、真実の教えだからこそ真実の功徳が備わるのです。
 ではなぜ法華経を信仰する人には迫害があるのでしょうか。それは、様々な理由がありますが、一つには、末法の衆生は仏になる種を持っていない、本未有善の衆生であり、国土や社会も五濁悪世となってしまっているからです。
 二つには、我もまたその中の一人であると同時に願兼於業(がんけんおごう)という誓願を立てて生まれてきたからです。
 法華経信解品にある「長者窮子の譬」に示されているように、外に幸せを求めても煩悩業苦によって作り出された世界は虚仮の世界であって、そこには真の幸せはありません。むしろ正直に生きる人にとっては生きづらい世界です。ですから、仏法を本にしてこそ真の幸福はあるのだと気づいて人々を正法に導く為の折伏を行えば、世間の権力者やそれにつながる人達からは反発されるのみならず必ず迫害があるでしょう。
 しかしながら人々は、命の奥底では真の幸せを求めているので、縁あって正法を聞く事ができれば、その一人一人が世間の矛盾に気づき、自らの罪障の氷をとかし、ついには娑婆世界全体を寂光の都へと変える事ができるのです。
 寂光の都は自然と現れるものではなく、私たちの地道で、強情な信心活動によって築くことができるのです。末法の私達は罪障消滅という厳しい冬の時代がなければ本当の春はないのです。
 古の賢人は、この厳しい冬の時代を過ごすにあたり「松竹梅」を友としてきました。彼らは自然の中から仏法の一端を学んできたのです。「松竹梅」の性質から、私達は次のことを学ぶことができると思います。
 まず「松」には、どのような厳寒にも耐え、色を変えない所から、人はどんな困難にあったとしても節操を曲げないという事。
 「竹」には、どんなに重い雪などに倒されてもはねかえすしなやかさと強靱さ、それに一つ一つの節を大切にして成長していくあの姿には、うちに秘めた信仰の力と秩序や礼儀を大切にすること。
 「梅」は、春一番に花を咲かせ、ふくよかな香りを漂わせ皆に春を告げるように、私たちも地涌の菩薩の眷属たる自覚をもって世界広布の為にその礎とならなければならないという事です。
 
 【法華経を信ずることは】
「冬は必ず春になる」も、「寒い冬から暖かい春になる」という、言葉だけにとらわれるのではなく、人生の冬、宿業というものを、仏の眼から真実を明かされているということを忘れてはなりません。
 日蓮大聖人は、
 「聖人と申すは委細に三世を知るを聖人という」(聖人知三世事478頁)
と仰せのように、末法の御本仏として因果の法則と過去・現在・未来の三世十方の生命の原理を説かれているのです。
 過去世に積んだ宿業を、どう滅罪・転換していくかは、我々凡夫は、その法理を知っている仏に随うしかないのです。
 ですから「冬は必ず春となる」「凡夫となる事」の前に「法華経を信ずる人」という絶対条件がついているのです。
 「法華経を信ずる」とは、現在では「下種三宝様に対する正しい信心」をする人に限られています。「本門戒壇の大御本尊様への信心を血脈付法の御法主上人猊下の御指南にしたがって行ずる」ということです。
 季節の春は待っていれば時とともに春になりますが、人生の春は待っていても来ません。
 正しい信仰の実践を励むことでしか、呼び寄せることはできません。
ですから、戒壇の大御本尊を離れ、猊下を誹謗する輩には「永遠に冬のままで、春は来ない」のです。

 大聖人様は法華経を信ずる行者として、生きて帰ることはあり得ないとされた佐渡から、無事に帰られました。この現証を以て、本抄の「冬は必ず春となる」との御金言を確信すべきです。
 たとえ現在どのような苦悩があろうとも、どこまでも下種三宝様に対する正しい信心をもって、御題目を唱え抜き、信行に励むならば、冬が必ず春となるように、必ず根本的な解決があるのです。如何なる逆境にあっても、希望を捨てないで、強い信心で精進を重ねなければなりません。

 宿命転換ができない人に共通する欠点は、失意のまま、ただなんとなく信心を続けているだけで、希望を見出せないことにあります。しかし、信心しても何も変わらないと希望を見出せないことは、不信謗法であるということに気付くべきなのです。

 今宗門は、平成二十七年の「二祖日興上人御生誕七百七十年の佳節」に向かって、 新たな広布推進の闘いの真っ最中です。
 日蓮大聖人は、『米穀御書』に、
 「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ。仏種は縁に従って起こる、是の故に一乗を説くなるべし。」 (御書1242)
と仰せです。
 私たちは、今自分がいる場所こそが日蓮大聖人から広宣流布を任された場所であると自覚し、それぞれの場所で日蓮大聖人の仏法をもとに正直に真面目に、そして明るく前向きに信心に励み、なおかつ日常生活や仕事にも人一倍励み、努力し、広宣流布と正法外護に精進していく事が何よりも大切なのです。