人間界に生を受けるは希である

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 日蓮大聖人は『観心本尊抄』に、
「平らかなるは人なり」(御書647)
と仰せであり、一念三千における人間界の生命について御教示されたところです。平常で安定している命です。しかし、一時的な生命状態で縁に触れ左右します。大聖人は人間に生を受ける原因を『十法界明因果抄』に、
「人間に生ずること過去の五戒は強く、三悪道の業因は弱きが故に人間に生ずるなり。」(御書207)
と仰せであります。何故、人間として生まれることが出来たのかという、疑問を回避する御指南です。
 大聖人は人間界に生を受けがたいことを『顕謗法抄』に、
「涅槃(ねはん)経に云はく『末代に入りて人間に生ぜん者は爪上(そうじょう)の土の如し。三悪道に堕(お)つるものは十方世界の微塵(みじん)の如し』と説かれたり。」(御書277)
と示され、『祈祷抄』には、
「人間に生を得る事、都(すべ)て希(まれ)なり。適(たまたま)生を受けて、法の邪正を極めて未来の成仏を期(ご)せざらん事」(御書635)
と御教示で『守護国家論』にも、
「夫(それ)三悪の生を受くること大地微塵(みじん)より多く、人間の生を受くること爪上(そうじょう)の土より少なし。乃至四十余年の諸経に値(あ)ふは大地微塵より多く、法華・涅槃に値ふことは爪上の土より少なし。」(御書154)
と人間として生まれることは希であり、更に成仏できる真実の教えに値うことの難しさを仰せです。人間に生を受けたことを感謝し、仏祖三宝尊にも当然御報恩申し上げなければならないのです。恩を忘れるところに、三悪道に堕ちる原因があり、人間界に生まれることが出来なくなるのです。
 そして人間に生を受けても、信心することが難しいことを『新池御書』に、
「願はくは今度人間に生まれて諸事を閣(さしお)いて三宝を供養し、後世菩提をたす(助)からんと願へども、たまたま人間に来たる時は、名聞名利の風はげしく、仏道修行の灯(ともしび)は消えやすし。」(御書1457)
と仰せです。仏道修行は持続させることが大事で、多くの悪縁を克服するところに人の一生成仏があります。
 今生で五逆罪や正法誹謗を犯しても、人間として生まれてくる場合について『呵責謗法滅罪抄』に、
「五逆と謗法とを病に対すれば、五逆は霍乱(かくらん)の如くして急に事を切る。謗法は白癩病の如し、始めは緩(ゆる)やかに後漸々(ぜんぜん)に大事なり。謗法の者は多くは無間地獄に生じ、少しは六道に生を受く。人間に生ずる時は貧窮下賤(びんぐげせん)等、白癩病等と見えたり。日蓮法華経の明鏡をも(以)て自身に引き向かへたるに都(すべ)てくもりなし」(御書711)
と御指南です。正法誹謗の業を背負い、未来世において人間に生まれても、貧窮下賤や白癩病を煩い、生涯にわたり辛さを背負い生きなければなりません。 
 人間として生まれ、更に正法に巡りあえることを感謝して、生活していくことが大事です。

 

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