餓鬼界は貪る気持ちから起こる

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 餓鬼界とは、他人の物を貪り所有したくなる、貪欲多き世界です。私達は、本能的に貪る気持ちがあります。食物・衣類・家・貴金属などが欲しいという物質的欲望だけでなく、名声欲・権勢欲に支配された姿も餓鬼界です。
 貪りとは欲望であり、自分自身を律していかなければ、人生を大きく断線させる要素を持ちます。その反面、自分自身を成長させる上で、非常に大切な生命機能でもあります。この貪りにおける善と悪の両面に、しっかりとしたけじめを付けなければいけません。毎日の勤行唱題では、マイナス的な貪りは排除し、プラス面を伸ばしていきます。プラス面を善知識として伸ばしていき、それが成仏に繋がります。
 日蓮大聖人は『観心本尊抄』に、
  「貧るは餓鬼」(御書647)
と仰せです。一般的な意味として餓鬼とは、常に飢渇の苦の状態にいる鬼です。腹は山のように大きく咽は、針の穴のように小さく、飢えに苦しむ姿が餓鬼界です。餓鬼界の住処は「正法念処経」に、人中に住する者と、餓鬼世界に住む者があります。餓鬼世界は、閻浮提の下、五百由旬の閻魔王界をいいます。人中の餓鬼は十界の一つで、餓鬼の業因により行く道なので、餓鬼道ともいい六道の一つです。また三悪道や四悪趣の一つです。
 日蓮大聖人は餓鬼界に行く原因について『佐渡御書』に、
「人の衣服飲食をうば(奪)へば必ず餓鬼となる。持戒尊貴を笑へば貧賤の家に生ず。正法の家をそし(謗)れば邪見の家に生ず。善戒を笑へば国土の民となり王難に値(あ)ふ。是は常の因果の定まれる法なり。」(御書582)
と御教示であります。更に餓鬼の業因は、釈尊十大弟子である目連尊者の母が堕ちたことで有名であり、大聖人は『四条金吾御書』に、
「抑(そもそも)盂蘭盆(うらぼん)と申すは、源(もと)目連尊者の母青提女(しょうだいにょ)と申す人、慳貪(けんどん)の業によりて五百生餓鬼道(がきどう)にを(堕)ち給ひて候を、目連救ひしより事起こりて候。然りと雖も仏にはな(成)さず。其の故は我が身いまだ法華経の行者ならざる故に母をも仏になす事なし。霊山八箇年の座席にして法華経を持(たも)ち、南無妙法蓮華経と唱へて多摩羅跋栴檀香仏(たまらばつせんだんこうぶつ)となり給ひ、此の時母も仏になり給ふ。」(御書469)
と仰せです。慳貪や嫉妬などが強いと未来に餓鬼道へ行く結果になります。これは「因果応報」を説かれた部分でもあります。また同抄に餓鬼の種類について、
「総じて餓鬼にを(於)いて三十六種相わかれて候。其の中にかく身餓鬼と申すは目と口となき餓鬼にて候。是は何なる修因ぞと申すに、此の世にて夜討ち・強盗などをなして候によりて候。食吐(じきと)餓鬼と申すは人の口よりは(吐)き出す物を食し候。是も修因(しゅいん)上の如し。又人の食をうばふに依り候。食水餓鬼と云ふは父母孝養のために手向(たむ)くる水などを呑む餓鬼なり。有財(うざい)餓鬼と申すは馬のひづめの水をのむがき(餓鬼)なり。是は今生にて財をを(惜)しみ、食をかくす故なり。無財がきと申すは生まれてより以来(このかた)飲食(おんじき)の名をもき(聞)かざるがきなり。食法(じきほう)がきと申すは、出家となりて仏法を弘むる人、我は法を説けば人尊敬するなんど思ひて、名聞名利の心を以て人にすぐれんと思ひて今生をわたり、衆生をたすけず、父母をすくふべき心もなき人を、食法がきとて法をくらふがきと申すなり。」(御書469)
と御教示です。餓鬼について阿毘達磨順正理論では三種九種が説かれ、正法念処経には三十六種が明かされています。

 

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