愚癡多き人は命が畜生界である

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 世間一般的に動物を総称した言葉を畜生と呼びます。飼い畜(やしな)われて生きるものの意で傍生ともいいます。
 人間界に置き換えた畜生界とは、理性がなく倫理・道徳をわきまえないで、本能的欲求に我が身が支配されている生命状態です。愚癡も自分自身を振り返ることなく、心に感じることをストレートに出す、畜生的な作用があります。 
 日蓮大聖人は『観心本尊抄』に、
  「癡かは畜生」(御書647)
と仰せです。因縁により私達は、知らず知らずに愚癡をいい、それが畜生の命だと御教示です。愚癡をいう時の生命が畜生界であることを理解し、理性を失うことなく、感情に左右されないように勤めることが大事です。
 この畜生の命によって人間関係を気まずくします。信心では御本尊様に向かう姿勢で、畜生の命である愚癡を止めていくことが出来るのです。愚癡に費やす言葉が、御題目を唱える言葉に変えることで人間関係を豊かにすることが出来ます。愚癡は我が身を知らぬ間に破壊し、人徳を失います。
 畜生界は、三悪趣・六道・十界の一つで、目先にとらわれやすい命であります。「分別業報略経」や「成実論」には、愚癡・悪口の多い者や淫欲・瞋恚などの盛んな者は、来世に畜生として生まれてくることが説かれています。つまり因果応報です。
 日蓮大聖人も『十法界明因果抄』に、
「第三に畜生道とは、愚痴無慚(ぐちむざん)にして徒(いたずら)に信施の他物を受けて之を償(つぐな)はざる者此の報いを受くるなり。法華経に云はく『若し人信ぜずして此の経を毀謗せば○当に畜生に堕(だ)すべし』文。巳上三悪道なり。」(御書208)
と他人の恩を受けても報いない人は、畜生界に堕ちることを御教示です。自己中心的な言動が畜生界に行く可能性を持ちます。
 また『佐渡御書』に、
「畜生の心は弱きをおどし強きをおそる。当世の学者等は畜生の如し」(御書579)
と御指南のように、畜生は弱い人には強く出て、強い人には恐れの気持ちになります。
 日蓮大聖人は畜生の命も成仏できることを『女人成仏抄』に、
「然るに竜女、畜生道の衆生として、戒緩(かいかん)の姿を改めずして即身成仏せし事は不思議なり。」(御書346)
と仰せであります。『法華経』の「提婆達多品第十二」に、竜女の成仏を釈尊が説かれています。動物である畜生の成仏は、三大秘法の御本尊様に御題目を唱えなければ不可能です。『法華経』以外の経典では、畜生の成仏は出来ません。
 地獄・餓鬼・畜生を「三悪道」といいます。この三つの生命は貪瞋癡の三毒であり、悪因を積み、悪縁に紛動されやすい命です。信心では、三悪道に通じる命を御本尊様の力用で止めていきます。毎日の勤行唱題が三悪道の道を塞ぐ大事な修行です。

 

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