読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

フレブル君日記

フレブルはゆるいよ

神様にお願い事をしてはいけないのはなぜだろうか?

教学用語の基礎知識

大白法・平成13年7月16日刊(第577号より転載)教学用語解説(72)


諸天善神 

        f:id:ashuhokkekoshu:20151026171509p:plain

 「諸天善神」とは、大梵天王・帝釈天王・大日天王・大月天王・大明星天王等に代表される、法華経の行者を守護する善神をいいます。
 古来、我が国において国を守る神として重んじられてきた天照大神八幡大菩薩等も、仏法の意義の上から初めて諸天善神に含まれるのです。
 
初座「諸天善神供養」の意義
 「初座」は、諸天善神に対し、法味を供えて威光・勢力の倍増を御祈念するものです。
 御観念文の中に、

「諸天昼夜。常為法故。而衛護之」(法華経 396頁)

 という語が出てきますが、これは法華経『安楽行品』の経文で、その内容は、釈尊の滅後に法華経を弘通する菩薩には常に諸天善神がつきしたがって、菩薩が法華経を説くのを側で聴き、威光・勢力を増し、また説法を聴くために菩薩を守護する、という諸天善神の誓いが示されています。

 私たちも大聖人の仏法を実践するならば、必ず側に諸天善神がつきしたがい、そして私たちの自行・化他の題目を聴いて威光・勢力を増し、私たちを守護するということです。
 すなわち「初座」において東天に向かって読経するのは、東天より諸天善神を呼び、法味を供え、さらに「二座」以後の読経・唱題をも同座の諸天善神に聴かせて威光・勢力の倍増を祈念するという、本宗伝統の化儀なのです。
 
「神天上法門」
一国謗法の故に善神は天上に帰られている

          f:id:ashuhokkekoshu:20151026171603j:plain

 諸天善神は法界に実在しますが、ことさらに神だけを祀った神社に詣でることを大聖人、日興上人は厳に禁じられています。
 大聖人は『立正安国論』に、

「世皆正に背き人悉く悪に帰す。故に善神国を捨てゝ相去り、聖人所を辞して還らず。是を以て魔来たり鬼来たり、災起こり難起こる」(御書 234頁)

  と仰せられ、法華経の法味を食して威光・勢力を増す諸天善神は、邪宗邪義の蔓延によって法味を味わえないために天上へ去り、逆に神社には魔神・鬼神が乱入して、国中に災いを起こし、そこに詣でる者は鬼神につかれて災いを招くのであると御指南されています。

 また日興上人は『五人所破抄』に、日興上人以外の五老僧が、法華経の行者には善神が降りてくるのだから、大聖人の門徒は神社に詣でてもよいのだとする主張に対して、

「何ぞ善神聖人の誓願に背き、新たに悪鬼乱入の社壇に詣でんや」(同 1880頁)

 と仰せになり、あくまでも『立正安国論』の御指南の通り、悪鬼乱入の神社に詣でることを厳禁されています。

 
神の本来の姿 

       f:id:ashuhokkekoshu:20151026171631j:plain

 大聖人は『諌暁八幡抄』に、 

「日本国一万一千三十七の寺並びに三千一百三十二社の神は国家安穏のために崇められて候。而るに其の寺々の別当等、其の社々の神主等は、みなみなあがむるところの本尊と神との御心に相違せり。彼々の仏と神とは其の身異体なれども、其の心同心に法華経の守護神なり」(同 1538頁)

 と御指南され、あらゆる仏・菩薩、あらゆる神が、すべて同心に法華経の守護神であることを明かされました。

 何故に、一切の仏・菩薩、また神々が法華経の守護神なのかと言えば、大聖人は『四条金吾許御文』に、 

「大事の法門一つかき付けてまいらせ候(中略)法華経の人々は正直の法につき給ふ故に釈迦仏猶是を守り給ふ。況んや垂迹八幡大菩薩争か是をまぼり給はざるべき」(同 1523頁・1525頁)

と、諸天善神の一人である八幡大菩薩釈尊の仮の姿であり、その故に法華経の行者を守護するのであると御指南されました。推して考えれば、すべての神が、釈尊が仮に姿を顕したものと言うことができます。
 さらに『諸法実相抄』には、 

「釈迦・多宝の二仏と云ふも用の仏なり。妙法蓮華経こそ本仏にては御坐おわし候へ」(同 665頁)

 と仰せられていることから拝せば、釈尊を含む一切の仏・菩薩や神々は、南無妙法蓮華経の仏、すなわち御本仏大聖人が衆生を救済するその用の一環として用きがあるのですから、大聖人の御意を離れたところに善神の守護はないのです。

 
諸天善神は正直の行者を守護する

   f:id:ashuhokkekoshu:20151026171705j:plain

大聖人は『四条金吾許御文』の結びに、 

「されば八幡大菩薩は不正直をにくみて天にのぼり給ふとも、法華経の行者を見ては争いかでか其の影をばをしみ給ふべき。我が一門は深く此の心を信ぜさせ給ふべし」(同 1525頁)

と、八幡大菩薩は不正直を憎んで天に上られているが、私たちが正直の信心をもって仏道修行に励むならば、常に諸天善神が頂に影を落として守護してくださると御指南されています。
 正直の信心とは「正直捨方便」、すなわち一切の邪宗・邪義の教えを捨て、大聖人の仏法が世の中に唯一無二、絶対の仏法であるとの確信をもって信心に励むことです。そうすれば誰しも必ず諸天善神の加護を受けることができるのです。
 私たちはこの加護を確信して、平成十四年に向かってますます折伏弘通に邁進してまいりましょう。

 

日蓮正宗 勤行要典の解説

日蓮正宗 勤行要典の解説