「ペットの塔婆供養」畜生との不思議な縁について

今日は寒気も和らぎいいお天気でした。

自転車で末寺様の唱題会に参詣してまいりました。

本日は執事様から良いお話を聞かせていただきました。

ペットの葬儀や供養をどうすればよいか、心配されているかたもおいでかまもしれません。

世間ではペットの葬儀を商売にして、阿漕な稼ぎをしている業者もいると聞きます。

執事様のお話では、日蓮正宗においては基本的にはペットの葬儀はされておらず、御塔婆供養での追善を勧めておられるようです。

その理由として、ペットは畜生界の衆生ですから、口で妙法を唱えることはできません。よって自分で功徳を積むということはできない存在です。しかし、逆を言えば罪障を積むこともない存在なのです。

畜生界に身を受けるという因縁には、仏法に縁して次の生を人界に受け、成仏の境界を得て行きたいと、願って生まれてきている意味があるのだそうです。

執事様は、昨年の父の通夜式の時に追善法要の大事と作法を教えて下さり、私の長年の疑問であった「生きることの意味」を教えて下さった方です。

今回も深い仏法の道理を教えて下さいました。

妙法は功徳が大きいので、罪障の少ないものはすぐに成仏の境界を得られるのだそうです。畜生は身口意の謗法がありませんので、仏法に縁し妙法を耳に聞くだけでも大きな果報が得られます。葬儀などしなくても塔婆供養で十分なのです。

逆に人は人の道を踏み外し、謗法を重ねて悪業を積んでいます。ですから、御僧侶の葬儀が必要なのです。幸いにも私の父は、悪相が日蓮正宗の御僧侶のおかげで善相に転じることが出来ました。しかし、中には罪の重い方も居て良くなり切らない方もおいでになるのだそうです。ですから、葬儀だけでなく追善供養が大事になってくるのだそうであります。

執事様が以前に在勤されていたお寺で、庭に大きな蛇がとぐろを巻いてお題目を聴きに来ていたそうです。長生きしていた蛇なのか、まもなく死んでしまったそうですが。死ぬまで本堂の前から動かなかったそうです。

私にも思い当たる節があります。家で勤行唱題していると、夏場など虫が入ってきたりします。動きを止めてじっと唱題を聴いているとしか思えないような時がありました。

全ての命は妙法に縁し成仏することを願っている。これが人生の意味なのだそうです。

父の通夜式で聞いたお話では、ゴキブリのような生き物でもなんで必死で逃げて生き延びようとするのか、ということから生命の意味を分かりやすく教えて下さいました。哲学を学びながらも人生の意味をつかみ切れずに悶々としていた私には、そのお話が雷鳴のごとく胸に響いたことを今でも忘れられません。

願わくば罪障深い我が身が、一生成仏させていただけるようこれからも精進していきたいと思いました。