一念三千(いちねんさんぜん)

大白法・平成8年7月16日刊(第459号より転載)教学用語解説(18)


一念三千(いちねんさんぜん)

 一念三千とは、一念の心に三千の諸法を具足することをいいます。
 これは天台大師が『摩訶止観』第五に示された法理で、そこには、
 「夫(それ)一心に十法界を具す。一法界に又十法界を具すれば百法界なり。一界に三十種の世間を具すれば百法界に即ち三千種の世間を具す。此の三千、一念の心に在り。若し心無くんば已(や)みなん。介爾(けに)も心有れば即ち三千を具す」
と説かれています。
 一念三千の構成を挙げると、刹那(せつな)の一念に十界があり、その十界各々に十界が具わって百界となり、さらに十如是が具わって千如是となり、千如是に衆生・五陰・国土の三世間が具わり三千世間となるのです。ただし、三千は、単なる数量を意味するのではありません。天台は、思議・言説を絶した法界の実相を総括して三千と称し、この法界三千における実在と現象の互具(ごぐ)融通(ゆうづう)を説いているのです。
 それは、一念三千を体得することにより私たち自身が、そのまま妙法の当体として活現することになるからです。
 このような天台の一念三千説を踏まえた上で、末法御出現の日蓮大聖人は、文底下種の仏法の上から、迹門・本門・文底の三重の一念三千を御指南されています。
 迹門の一念三千は、『方便品』に説き明かされた諸法実相の義により、凡夫の己心に具わる三千の妙理を説かれたもので、先に述べた天台の一念三千の義です。これは、己心に具わる十界互具の理を観ずるので理の一念三千といいます。理の一念三千を説く仏は始成正覚の仏であり、本門の仏に対すれば未だ真実の仏ではありません。ゆえに、日蓮大聖人は、迹門に説かれる一念三千は有名無実であり、熟益の教法と判ぜられています。
 次に本門の一念三千は、『寿量品』に至って久遠実成が説かれ、釈尊の本因・本果・本国土に約して仏の三世常住が明かされたので事の一念三千といいます。釈尊在世の衆生は、本仏常住の化導を聴聞して、仏の永遠の生命と自らの生命とが同体であることを自覚し、能化所化同体の一念三千が成ぜられました。これを日蓮大聖人は、釈尊仏法の極理とし、脱益の教法と決判されています。
 そして、文底の一念三千とは、文上五百塵点劫の本因文底の当初において、久遠元初の御本仏が即座開悟した南無妙法蓮華経をいいます。この本地難思境智冥合の南無妙法蓮華経は、日蓮大聖人が所有し、初めて唱えいだされた仏法の根源、人法一箇・事の一念三千の実体です。
 ゆえに、日蓮大聖人の文底・事の一念三千に対すれば、釈尊の文上・本迹二門の一念三千は、ともに理の一念三千であり、文底の妙法こそ真の事の一念三千となるのです。
 『草木成仏口決』に、
 「一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり」(御書 523頁)
とあるように、日蓮大聖人は御内証を本門戒壇の大御本尊と御建立あそばされました。この大御本尊こそ、事の一念三千・日蓮大聖人の御当体なのです。
 末法の衆生は、この大御本尊を信じ奉り、南無妙法蓮華経と唱える時、仏界即九界、九界即仏界、境智冥合して即身成仏することができるのです。