御逮夜御講に参詣

今日は家族で御逮夜に参詣しました。明日も仕事なので御正当の替わりにという気持ちで参詣してきました。

末寺様の受付に111月10日に行われる、前住職であらせられた河邉御尊師様の13回忌法要への、塔婆供養の御案内を見つけました。微力ながら御供養させていただきました。

河邉御尊師様の思い出といえば、小生が幼稚園以前の頃になります。母がお会式のお花作りに参加していた時、御尊師様からお菓子を頂戴した記憶があります。当時は学会の52年路線問題まっただ中の頃でした。御尊師様は幼い私を庫裡に呼びいれられ、「大きくなったら必ずこのお寺を護って下さるような人になって下さいね」と、いつもは怖いイメージの御尊師様が満面の笑みで話しかけて下さいました。

日蓮正宗では「縁」の大切さを教えて下さいます。河邉御尊師様との縁が私にもあったのでございましょうか。創価・顕正を経て、地獄の人生から戻ってくることが出来ました。往時を偲びつつ、河邉御尊師の高潔な人徳に思いを馳せました。

イケイケの学会男子部を震え上がらせた御尊師様、本当にありがとうございました。

今月の拝読御書

仰に云く此の経文の意は小善成仏を信ぜずんば一切世間の仏種を断ずと云う事なり、文句の五に云く、今経に小善成仏を明す、此れは縁因を取つて仏種と為す、若し小善の成仏を信ぜずんば、即と一切世間の仏種を断ずるなり文、爾前経の心は小善成仏を明さざるなり、法華経の意は一華・一香の小善も法華経に帰すれば大善となる、縦い法界に充満せる大善なりとも此の経に値わずんば善根とはならず、譬えば諸河の水・大海に入りぬれば鹹の味となる、入らざれば本の水なり、法界の善根も、法華経へ帰入せざれば善根とはならざるなり「御講聞書」

御講聞書きからの御法話を賜りました。

小善成仏とは有難いお話ではありますまいか。勤行唱題・折伏・寺院参詣・御供養・御登山…自分の罪業のもととなった謗法に比べ、修行できることの少なさを反省する日々ではありますが、自分の小善が大善となることの有難さを感謝いたします。

一番簡単で成仏の近道は御供養です。少額で申し訳ないですが、御供養させていただきたいと思っています。大聖人様が、直接的に御供養の功徳の大きさを信徒に御指南されているのは、私は一つくらいしか知りません。でも、最近あることに気付きました。そういえば、御書のあちらこちらに、御信徒様の御供養の御礼を事細かく記載されていたなあと。あれは、後世の弟子檀那に向けて御供養の大切さを間接的にお教えくださっていたのでは?と、思い至ったのです。

折伏成果も唱題行も凡夫にはなかなか実践できにくいかもしれません。しかし、少額の御供養を参詣のたびごとに行うことは、誰にでもできます。私の実感ですが、御供養するたびに境智冥合の境界が実現しているように感じられています。環境が私に優しくなっているのです。

自在を得る境界になって来ているような実感があります。

どうか皆様、ギブアンドテイクではなく真心の御供養を続けられますよう、心から御祈念申し上げます。