戦時中日蓮正宗は軍部に迎合し、学会は反戦の団体だという妄想を砕く

 【当時の宗門として、神社に参詣したり、お札を拝んではいない】
 日達上人は、
 

『最近よく、本山で戦争中、天照大神のお札を貼ったとか、拝んだとかで、それだからして、本山の血脈相承がどこかへ飛んでいってしまった、というようなことを言っている人がままあります。それについて、少々申し上げたいと思います。

 総本山において、天照大神のお札を貼ったことは一度もありません。今時の大戦争において、国において軍部が大変に力を得て、我が国を滅ぼしたような状態でございました。昭和十八年ごろ、いよいよ戦争が激しくなってきた時分、この総本山においては当時客殿、御宝蔵、庫裡、六壷、それから大奥と、そのちょうど真ん中あたりに書院がございまして、(中略)そこは大書院ですから、御本尊は祭ってありません。

 その所を、昭和十八年の、戦争がいよいよ盛んになった時に、国で借り上げてしまった、国に借りられてしまったわけです。その時にその書院を『中部勤労訓練所』ということにされてしまったのでございます。(中略)その時に所長である上中甲堂と云う人が、書院の上段の間へ天照大神のお札を祭ったんです。 それに対して、こちらは再三異義を申し立てたんですけれども、しかし国家でやる仕事である、国の仕事であるから、いくらこちらで何を言っても、それは及びもしない。何とも仕方がないから、そうなってしまったのであります。

 ただそれだけのことで、別に我々がその天照大神のお札を拝んだことなどありもしない。また、実際その中へ入って見たこともない。入れてくれもしない。まあ借家同然で、借家として貸したんだから向こうの権利である。そういうような状態であって、決して我々が天照大神のお札を祭ったとか、拝んだとかいうことは事実無根であります。」

と仰せである。


 不敬罪で投獄された、戸田会長の宗門への認識】

 戸田会長は、戦後(昭和26年)日蓮正宗の僧侶について、
 

「わずか小勢百数十人の僧侶が、七百年間、チリもつけず、敵にもわたさず、みなみな一同、代々不惜身命の心がけで、一瞬も身に心に心身一つに、御本尊を離れずに、今日にいたったのである。(中略)ということは、真実の仏法哲学を滅しないことであり、実に偉大なる功績ではないか。」

と述べている。

 「神札問題」等に関して多少宗門批判的言辞はあるものの、創価学会の活動自体は日蓮正宗の教義に依存し、総本山大石寺に参詣することによって、信徒の幸福を願ってきたのである。したがって、戸田会長から見ても、当時の御僧侶の行動が国民一般の感覚以上に突出していたとは言えず、非難に当たらないことを証明しているのだ。

 創価学会は、不戦、平和主義、民主主義を貫いたという嘘】

 当時の日本は、軍国主義のもと、軍部のみならず国民全体が否応なしに戦争に巻き込まれ翻弄された時代であった。
 それをただ、創価学会だけが、不戦、平和主義を貫いたと事実を曲げて美化しても仕方がない。
 戦時中の創価教育学会は、座談会の最初に「宮城遥拝」をし、軍歌を歌って、口々に「戦勝祈願」を訴えていた。これらは、牧口常三郎全集に明らかである。

 ポイント
 創価教育学会は、昭和6年の会発足に当たり、11人の顧問を置いているが、その中には、貴族院議員や官僚の他に、海軍大将・野間口兼雄氏や、台湾総督・太田政弘氏が名を連ねている。(『牧口常三郎全集』第8巻421頁)
 創価教育学会が、当初から反戦・平和を唱え、天皇制を批判していたのなら、軍人や植民地支配の最高責任者に顧問就任を要請するはずなどなく、また軍人らも、要請されたとしても、それを承けようはずがない。
 この事実をもってしても、創価教育学会が反戦・平和の団体であった、というのが、大ウソであることがわかる。
 また、昭和15年4月30日に行なわれた、創価教育学会第2回総会の会場となったのは、九段の軍人会館(現在の九段会館)。
 反戦・平和の団体が、こともあろうに「軍人会館」で大切な総会を開催するとは、どう考えてみても不自然であろう。加えて、軍人会館の側も、反戦団体に会館を貸す、などというのも、全く考え難い話ではないか。
 
 牧口会長の行動や思想
· 牧口創価教育学会会長が主催していた大善生活という、当時の座談会等々の記録等によると、牧口会長自ら、時の天皇に対しまして、天皇は現人神である、生き神であるということを、はっきりと、何回も繰り返し繰り返し言っている。
· 当時の牧口会長も、靖国神社へ行っている。
靖国神社へは、それはただ神として、真実の神として拝むんではない。国の為に尊い命を捧げられた方々に対して、感謝する気持ちでお参りするんだと、言い訳をしている。
· しかし、当時は国から通達があって、学校の先生が生徒を連れて靖国神社に行き、学校を挙げて参拝させられていた。
 牧口会長だけがそんなことはしなかったというわけではない。

 【神札を受けなかった本当の理由】 牧口氏の国家神道観によれば、「天皇(現人神)」に天照大神以来の神が、全て集約しているという一元論に立脚して、神棚・神札を受持しなかったということである。
※大聖人の謗法厳誡を遵守したというより、自分の教義信条によっての行動である。

 【学会がいわれなき誹謗を繰り返す日恭上人について】
 法義を曲げず、ギリギリのところで令法久住に苦心された日恭上人を、学会員の好きな日亨上人は、
 

「晩年に法主管長としての時代に、宗教合同問題の難関を切り抜け宗開両祖の清流を少分も濁され無かった事は仮令役僧門下真俗の努力があったとしても、平素の優柔らしきに似合はづ強硬さを感謝せねばならぬが、是れとて法兄に取ては悠々たる神通師子遊戯三昧の 一遍であったらうと推察する」

と賞賛され、
 逆に『低級な御信者の中には池袋の隠居は国諌は嫌ひぢやげな先聖に背く怪しからぬ悪魔』といわれ無き誹謗者を、低級な御信者と日亨上人は切って捨てている。
 創価教育学会は、日本が戦争に勝つためには、国家諫暁が不可欠と考えていた。
· ※「国家諫暁だね。陛下に広宣流布の事を申し上げなければ日本は勝たないよ。これを御本山に奏請(しんせい)して、東京僧俗一体の上に国家諫暁をしなければ国はつぶれるよ。並大抵でない時に生まれ合わしたね」(戸田城聖著『人間革命』) まるで顕正会と同じではないか。
 注意
· 今の学会員のようなゲス勘ぐり(謗法を犯して焼け死んだ)を憂慮されて、戸田会長は日恭上人の御遷化に関して「凡庸の推察は、差し控えなければならない」と仰せである。現在の創価学会員がバカにしている血脈相承も、平成2年までは全ての学会員が信じていたのだ。学会員は不正直で不誠実な人間しかいないようだ。日恭上人が御相承をされていないとしたら、それ以降の猊下にも相承が無い事になる。創価学会本部安置常住本尊(大法弘通慈 折広布大願成就・第64世日昇上人 ・昭和26年5月19日) をはじめ、日恭上人以降の猊下の御本尊を全部本山に返してから言いなさいね。

黒い手帖 創価学会「日本占領計画」の全記録

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