創価学会が友人葬を行うようになった経緯 と友人葬なるものについての破折

《学会の戯れ言》

  <暗雲立ちこめる関係と池田大作の不遜なるスピーチ>

 平成2年

7月17日 創価学会 宗門との連絡会議の席上、日顕上人・宗門を一方的に批判し席を立つ。(東京常泉寺)

11月16日 池田大作 創価学会第35回本部幹部会において、猊下、宗門僧侶の蔑視・軽視発言。(52年逸脱路線無反省を露呈)

12月13日 日蓮正宗 創価学会との連絡会議の席上、池田大作の11月16日のスピーチについての『お尋ね』文書を学会に提出するも、創価学会は「出所不明のテープを元にした文書は受け取れない」と受け取りを拒絶。(東京常泉寺)

12月16日 日蓮正宗 創価学会へ『お尋ね』文書を発送。

12月24日 日蓮正宗 創価学会からの12月23日付『お伺い』なる9項目にわたる事実無根・捏造の宗門批判文書を受信 。

12月27日 第130臨時宗会開催 宗規一部改正を議決。

 平成3年

1月 4日 改正にともない総講頭・大講頭の資格喪失これは、池田大作をはじめ、当時の学会・法華講の幹部も同様に資格を喪失したのであった。

1月 4日 創価学会 聖教新聞紙上で宗門批判キャンペーン開始。

 <教義・信仰の逸脱>

 平成3年初頭から創価学会は、全組織を挙げて法主・宗門僧侶への誹謗・中傷・嫌がらせを開始し、日蓮正宗の信仰の命脈である下種三宝や血脈相伝の否定、2月頃より僧侶不要の友人葬の執行など、日蓮正宗の教義・信仰から大きく逸脱する謗法を犯すに至った。

 <宗門から創価学会への解散勧告と破門>

 平成3年

10月 宗門は「通告文」を送って強く反省を促す。

11月 7日 日蓮正宗の外護団体としての姿を失った創価学会に対し「解散勧告」を行ったが、学会はこれを無視し、いっそう反発を強めた。

11月28日 海外組織である「SGI」とともに「創価学会」を破門。これは、あくまでも組織そのものに対する処置であり、個々の会員については日蓮正宗信徒としての資格を残す、というものであった。

 池田大作の信徒除名と「ニセ本尊」作成>

 創価学会は勤行時における観念文を改変し、独自の過去帳を作るなどして、独立路線を露わにしていった。そこで宗門は、実質的責任者である池田大作個人に対して、弁疏の機会を与えたうえで、平成4年8月11日、【信徒除名処分】に付した。

 翌平成5年、9月7日の本部幹部会において会長の秋谷は、浄圓寺(平成4年11月12日に日蓮正宗より離脱)所蔵の日寛上人御書写の御本尊を、コピーして会員に授与する旨を発表し、ついに創価学会は『ニセ本尊』を販売するに至った。


 創価学会員の信徒資格喪失>

 宗門は、創価学会の組織破門より約7年後の平成9年9月30日、「宗規」の一部改正を行い、「本宗の檀信徒が本宗以外の宗教団体に所属したときは、その資格を喪失し除籍される」こととした。そして2カ月の猶予を設けた同年 12月1日を期限とし、創価学会にそのまま籍を置く者は信徒資格を喪失する旨、学会員に通告した。
 しかし学会は、会員がこれに応ずることのないように指導し、ついに多くの会員が日蓮正宗信徒の資格を喪失し、【除籍】されるに至った。これによって創価学会に所属する会員は、すべて日蓮正宗とは無縁の身となった。
 

 <無い無いづくしの創価学会 

 創価学会はその発足以来、日蓮正宗の信徒団体として活動し、発展してきた。したがって、その本尊も教義も化儀も創価学会独自のものは何一つとして存在しない。
 故に、破門以降は奈落の底へ転がり落ちて、行き着いたところは、日蓮正宗に似て非なる三毒充満の新興宗教・池田教である。この日蓮正宗に「似て非なる」という創価学会の形態は、存在それ自体に矛盾が存している。
 本尊の根拠・教義の根拠・化儀の根拠、どれひとつとして正当性のある根拠を持たない「根無し草」、それが創価学会なのである。
 謗法によって日蓮正宗から破門され、新興宗教団体へと変質した創価学会は、その構造的矛盾から脱出しようとして、懸命にあがいているのである。
 その正しい解決の道は創価学会の解散しかないのであるが、不正直にして貪欲な池田大作創価学会幹部達には、その勇気も健気さもない。そこで考えることは、誤魔化しである。日蓮正宗を猿マネし、よく似た形態を装いつつ、創価学会を正当化するための偽装論理の構築である。
 創価学会の本尊・教義は日蓮正宗と同じである、否、創価学会こそ正統の日蓮仏法であると僭称したいのである。盗っ人猛々しい、とは、まさにこのことである。大聖人、日興上人は、このような邪悪な法盗人の詭弁をけっしてお許しにはならない。


 友人葬は初期の段階から行われた>

 宗門と学会の問題を、一般の僧侶や信徒が知ることになるのは平成2年の暮れであったが、全国で平成3年の正月から学会員が大挙して寺院へ乗り込み住職をつるし上げたり、聖教新聞では次々と実名を挙げて住職批判が開始された。

 そして、早いところでは2月から友人葬が施行される。
 理由は、「坊さんに来て欲しくない」という感情と、組織防衛の為である。

 僧俗和合を考えていたなら、一方的に攻撃し、大々的な反日蓮正宗のキャンペーンなど行わなかったであろう。平成3年の正月より行われた事を鑑みれば、あらかじめ周到に準備され、計画的に粛々と勧められていったのである。

 52年度路線で発覚頓挫した「北条報告書」にみられる「宗門を学会にうまく取り込むか、無理なら別れて戦う」を実践しただけの話しである。


    友人葬破折

 <歴代の会長を始め総ての学会員は、正宗で葬儀をしたという事実>

牧口常三郎氏 冷然院感得日常大居士
戸田  城聖氏 大宣院法護日常大居士
北条   浩氏 宣正院浩徳日基大居士


池田大作氏の家族も正宗で葬儀を行い、猊下より戒名を頂く。

池田城久氏(次男)大心院法久日賢居士
八王子法忍寺で葬儀を行い、法事も寺院で営む。遺骨は郄尾墓苑(正宗)に埋葬。

池田子之吉氏(父)種田院法子日実居士
子之吉の墓は創価学会が邪宗であると言っている真言宗の密厳院にある。子之吉には浄徳清道信士という戒名が密厳院より授けられていました。正宗で葬儀が出来なかったが、猊下が御慈悲で戒名を授けて下さいました。

池田 一氏(母) 一乗院妙大日道大姉
葬儀は日蓮正宗総本山大石寺細井日達猊下(当時)が臨席して妙光寺において営まれた。合計八十人の僧侶が読経している。

・学会員にとって邪宗である日蓮正宗で葬儀を行った池田城久氏は成仏できているでしょうか?戸田城聖氏や北条浩氏は成仏できているでしょうか?
・池田家の墓が八王子の日蓮正宗郄尾墓苑にあります。時々御参りされているようです。会員には厚田墓苑などへんぴな墓苑を買わせながら、自分達は未だに邪宗とこきおろす正宗の墓苑にしがみついています。さらに大石寺典礼院にも未だにお墓があります。おかしくありませんか?
・息子城久氏の戒名大心院法久日賢居士は、学会員がニセ法主と嫌う日顕上人がお付けになられました。成仏出来たんですか?

池田大作氏の父、子之吉氏の墓は創価学会が邪宗であると言っている真言宗の密厳院にあります。(後に分骨) 子之吉氏には浄徳清道信士という戒名が授けられていました。子之吉氏は、池田大作氏が猊下に願い出て、種田院法子日実居士という戒名を授かっています。自分の親に二つも戒名を授ける事を創価学会では推奨しているのでしょうか?
・戒名はお坊さんのお金儲けであるとするなら、種田院法子日実居士という戒名を授けるべきではなかったと思いませんか?
・戒名はお坊さんのお金儲けであると批判するなら、墓石に刻んである戒名を削って本名を刻みなおせばいいと思うのですが、なぜか池田大作氏はそれをしません。なぜですか?会員に示しが付きませんね。
・そもそも世界の指導者と崇められる池田さんが、なぜ身内を折伏出来なかったのでしょうか?


 <戸田会長の奥さんも正宗で葬儀>

 平成十二年三月六日、創価学会二代会長・戸田城聖氏の夫人・戸田幾さんが逝去された。享年八十九歳。  
 お通夜ならびに告別式は、三月十二日、十三日と、東京都品川区の桐ケ谷斎場において、日蓮正宗常在寺住職・細井珪道尊師の導師で、厳粛に執り行なわれた。  
 戒名は「照寿院妙護日操大姉」、御法主日顕上人猊下より賜わった日号である。

 幾さん逝去の報をキャッチした創価学会では、最高幹部二名を戸田家に送り込んで、日蓮正宗で葬儀を行なわないよう懇願。しかし、この企ては、子息・喬久氏(城聖氏長男)によって退けられ、正宗での葬儀執行となった。

 城聖氏の信心を引き継いだ戸田家においては、常在寺に所属する日蓮正宗の信徒である、との自覚を鮮明に持ち、昭和三十三年四月の戸田会長の葬儀も、常在寺に願い出て執行。
 それ以来、四月二日の祥月命日には、毎年、東京・目黒の戸田家へ同寺の御僧侶が訪問、追善供養の読経・唱題が行なわれてきた。

 また、今回、正宗での葬儀が実現したのは、何といっても、幾夫人ご本人の生前からの強い希望によるものであった。  

 告別式において、最後のお別れに臨んだ参列者達が目にしたのは、逝去より一週間を経てもなお、生前と変わることなく、安らかに眠る、幾夫人の素晴らしい成仏の相であった。
 
 なお、創価学会二代会長夫人の葬儀に、池田大作は欠礼。秋谷栄之助、和泉覚、粕原ヤスら、学会最高幹部三十名が参列し、細井尊師の唱導のもと、共々に日蓮正宗の導師曼荼羅に手を合わせていた。

・あれだけ日頃から師弟不二を連呼する池田が、師匠の奥さんの葬儀に参列されないのは、不知恩ではないですか?
・戸田家は日蓮正宗の信徒であるとの自覚があるということは、それが戸田会長の意志なのではないですか?
・戸田幾さんは成仏されたと思いますがいかがですか?
・学会幹部が参列しただけでなく、導師曼荼羅に手を合わせる行為は法謗ではないのでしょうか?


 創価学会過去帳のおそまつさ>

・戒名を否定する学会員らしく、牧口・戸田会長を俗名で載せるも、大聖人の御両親は、御父が「妙日」、御母が「妙蓮」という法名をそのまま載せている。まさか、御父が「貫名二郎重忠」、御母が「梅菊女」と知らないわけでもあるまい。また、法名と戒名は同義であることは、学会の仏哲にも掲載されている。おかしくありませんか?
・なぜ、四代会長は亡くなっているのに過去帳に記載されないのか?初代・二代と何が違うのか?だから池田教と言われるのである。
・また、日道上人以下の御歴代上人も削除しながら日寛上人のニセ本尊を拝む不知恩の姿を憐れむものである。削除したことをどうおもいますか?

 <学会は友人葬と会館寺院葬の二本柱>

 僧侶不要論・寺院不要論を強硬に唱えてきた学会が、自ら寺院を造って、そこに住職として脱落僧を配置し、さらには利用まで呼びかけている。
 
 平成18年に、僧侶不要を叫ぶ創価学会が、「法宣山光泉寺」という会館寺院なるものを東京台東区に開院した。このような会館寺院は全国に数ヶ寺あり、離脱坊主に冠婚葬祭をさせている。
 昭和52年における第1次謗法逸脱問題の時から、創価学会は「僧侶不要」を叫び学会の会館が現代の寺院である」などと会員達を洗脳してきた。
 近年の学会の主張によれば、単なる会館を造ればよいわけで、もとより会館寺院など不要であり、僧侶も不要であると思われる。
 いったい何を目的としたものなのか?
 
 一つ確実にいえることは、会館寺院を造ることによって、学会は、葬儀・法要を新たな〝資金源〟にする道を開いた、ということである。
 自分達が「無意味だ」とさんざん罵倒してきた「戒名」を付け、供養を出させている。
 学会のデタラメな信仰観と、異常なまでの守銭奴ぶりが、よくわかる。
 

 

「離脱僧の問題も含めて、創価学会における聖職者の役割はどうあるべきかはまだはっきりとしていないんです(中略)共通しているのは、客観主義の立場で僧の存在論的な特殊性は認めたくないという点ですね。では、積極的な役割として何をやらせるのか、そうすると基本的には無いのです」
(東洋学術研究 三二−二−三〇)創価大学教授 中野毅

と言い放ち、これまで生産性ゼロであった脱落僧を積極的に使って金を稼がせている。
 どうしても僧侶に来てももらわなければ脱会する、という会員のためには、利用価値のないと言っていたニセ僧侶を積極的に利用する。
 これがまた、宗門での修行が厳しくて逃げ出した脱落僧や、還俗して改造車を乗り回し、茶髪にしていた兄ちゃんが再び衣をつけた、というような者までいる始末である。
 そして、その倫理観・道徳観の全く欠如した学会の在り方に、何の疑問すら持たない学会員は、もはや、自らが〝思考〟し、〝判断〟することをやめてしまった、「生ける屍」というべきである。
 

 <史実に見る葬儀と追善供養>

・葬儀が釈尊の在世より行なわれていたことは、『仏説浄飯王般涅槃経』に説かれる浄飯王の葬儀や、『大般涅槃経後分』に説かれる釈尊の葬儀等によって、広く一般に知られている。 
あるいは、また阿難が釈尊に対して、滅後における葬儀の儀礼の在り方を問訊した『長阿含遊行経』も、また有名である。因みに、『仏説浄飯王般涅槃経』には、浄飯王を火葬した後、収骨して金函に盛り、塔を起てて供養したことが説かれている。このことは、釈尊の時代において、既に墓や塔婆につながる起塔供養が行なわれていたことを意味する。

日蓮大聖人は、文永二年三月に南条時光殿の父君南条兵衛七郎殿が亡くなったとき、鎌倉からはるばる駿河上野の地に下向され、故人に「行僧」との戒名を与えられて、墓前で追善回向された。
 
・阿仏房は弘安2年3月21日に亡くなった。その年の7月2日、子息藤九郎が阿仏房の遺骨を抱いて、身延の日蓮大聖人のもとを訪ねた。当然そこで骨葬が営まれ、遺骨は身延山に埋葬された。翌、弘安3年7月1日、再び藤九郎は日蓮大聖人のいらっしゃる身延を訪い、阿仏房の墓参りをされている。

・戒名についても「江戸時代に始まった」というのはでまかせの大嘘で、大聖人の時代から戒名はあった。最初の事例は、大聖人が御父に「妙日」、御母に「妙蓮」という御名を授けられている。また南条時光殿が「大行」曽谷教信殿が「法蓮」。

・富木常忍が母の葬儀を日蓮大聖人にお願いしたことが記されている。

「御宝前に母の骨を安置し、五体を地に投げ、合掌して両眼を開き、(中略)然(しか)る後、随分に仏事を為(な)し、事故無く還(かえ)り給ふ」(御書九五七頁)

すなわち富木常忍が、母の死去に際して、下総より身延山まで遺骨を抱持して参詣し、大聖人のもとで葬儀を営んだことが記されている。  

・大聖人の御葬儀を記録した『宗祖御遷化記録』にも、僧侶による葬儀の次第が明記されている。

・日興上人御筆の『曾禰殿御返事』に、

「なによりハ市王殿の御乳母他界御事申はかり候ハす、明日こそ人をもまいらせて御とふらい申候ハめ。又聖霊御具足法花聖人の御寶前ニ申上まいらせ候」 とあります。つまり、日興上人が「明日こそ人をもまいらせて」お弟子の御僧侶を遣わして、「御とふらひ申候ハめ」お葬式をいたしましょう、と言っておられる。(歴代法主全集1巻153頁)

 創価学会「大聖人は生前に法名を授与されたことがあっても、亡くなった人に戒名を授けた例はない」などといい、さらに、「宗門ではこれらを金儲けの道具にしている」と主張しています。
 しかし、元々日蓮正宗に戒名料などは存在しない。無いことを知っている創価学会は、確信犯である。

 <御書に無いからと言い張るのは大聖人への冒涜>

 信徒に対して生前に法名(戒名)を授与された日蓮大聖人が、"亡くなった人には戒名を与えない"という創価学会の理屈は、一般常識から判断しても、実におかしな話である。
 
 創価学会では、大聖人が「亡くなった人に戒名を授けた例はない」というが、それは御書の記述にそのような例がみられない、というだけのことであって、大聖人を信奉する喪主が、亡き肉親の法名を大聖人に願いでることは当然のことであり、その願いを受けて法名を授与されることも当然あったであろう。
 
 また、創価学会が、自信をもって世に出した『仏教哲学大辞典』第1巻の「工藤左近尉」の項に、
 

「『別頭統紀』には次のような伝説を述べている。(中略)大聖人は僧礼をもって葬儀を行ない妙隆院日玉上人と号した。」(同書1018) と述べている。

 ここで判ることは、伝説とはいいながらも、大聖人が在家の葬儀を行なったということである。
  また、工藤吉隆は、身は在家であったけれども、心は直弟子の僧侶にも劣らぬ、純真で強盛な信心をしていたため、亡きあと、戒名を頂戴し、出家の礼をもって葬儀をしていただいたのである。
 他宗の僧が著したものではあるが、これらのことについて、学会も、かつては当然のように理解していたがために、わざわざ引用していたのである。
  
 以上のように、教義・信仰の上からも、また事跡の上からも、大聖人の時代より、僧侶によって葬儀が執り行なわれていたことは明らかである。
 事実、学会においても、破門前までは、何のこだわりもなく、僧侶に葬儀を願い出ていたではないか。
 
 こうした事実を隠して、「大聖人の時代には無かった」と言い切り、学会葬を正当化しようとする行為自体が、大聖人を冒涜していることになるではないのか?
 
 学会の内部では、「大切なのは故人を悼む真心である。戒名なんかより、いつもの名前で呼ばれたほうが故人も喜ぶ」 などと言ってごまかしているが、真心さえあれば成仏できる、というのであれば、仏法は必要なくなってしまう。こういうのを詭弁というのだ。 

 <さらに大聖人の墓参まで冒涜> 

学会では、【遺骨への礼拝供養は成仏の絶対的要件ではありません】と墓参や遺骨でさえ重要ではないと説く。

『御書にある大聖人の墓参は、報恩やお礼参りの意味で、風習のうえからのお振る舞いであり、回向には墓参が大事であるという主旨ではありません。もし、故人への追善回向のために墓参が必要であるとするなら、親への報恩を大事にされた大聖人が、「父母の墓を見ずして数年なり」(御書P1413)ということはなさらないはずです。』 日蓮正宗青年僧侶改革同盟『仏事―常識と非常識』《潮出版社》より

 ご丁寧に御書を引用してまで大聖人を貶めているが、その引用の前には、
 

極楽寺殿の御方人理をまげられしかば、東条の郡ふせがれて入る事なし。父母の墓を見ずして数年なり。』

と仰せの如く、極楽寺良観の息のかかった武士が常に見張っており、墓参に行きたくても思うようにならない心情を吐露された部分である。
 こういうやり方を切り文というのだが、最早、信仰者としてと言うより人間としておかしい。

 こんな指導をするから、遺骨を大事にしない学会員が増え、何年も仏壇の横に置きっぱなしにしたり、遺骨を放置していなくなったりする会員が出現するのである。

 また逆に、2003年7月10日、学会の走狗たる工藤玄英ら脱落僧共とアメリカSGIメンバー(テロの学会員犠牲者の遺族も含む)により、突如として、「グランド・ゼロ」で同時多発テロ追善(ついぜん)法要が行われた。学会の理屈からすると、その場所自体に何の意味もなさないのではないのか?

 日顕上人が赴かれると聞きつけ急遽行なったのであったが、そもそも創価学会では、テロの犠牲者となった学会職員の葬儀を「友人葬」で行い、一周忌に当たる昨年9月11日にも、会館等で追善の勤行会を行っている。
 
学会の一貫性のない行動をおかしいと思いませんか?

 《 学会の遺骨軽視の象徴『コーヒーカップ骨壷事件』》

 最高裁で持経寺の完全勝訴が確定。

 事件は、平成5年、持経寺が学会員より、「遺骨をコーヒーカップで保管していた」として訴えられていたもので、一審が不可解にも寺院側敗訴になったこともあり、創価学会が機関紙等で盛んに報道し、宗門誹謗中傷の材料とされてきた。
 これに対し、寺院側は、遺骨管理は正当に行われていたとして控訴していたが、高裁判決で逆転の勝訴判決を得た。これは、学会員の主張する納骨堂の立て替えの時期には、問題のコーヒーカップに描かれたキャラクター(ウサギ)の絵柄はまだ存在していないことが判明したためで、事件は創価学会の手による「自作自演」である可能性が高いことを判示、学会員らの供述がにわかに信用出来ないことが明らかになったからである。

 平成10年10月17日、最高裁判所は高裁での逆転判決を不服とした学会員らの上告を棄却し、日蓮正宗持経寺の前面勝訴が確定した。すなわち、真相は学会員らが遺骨を引き取ってからの5分間に、遺骨がコーヒーカップに移し替えられたということであり、本事件が創価学会による謀略であることがはっきりとした。

 学会では、遺骨を軽視するからこういう有り得ない行動をとるのである。子供の遺骨まで使って、日蓮正宗寺院を陥れようとする学会員のやり方は、人として終わっていませんか?


 <導師御本尊への邪難>

 導師曼荼羅について。学会では、「邪宗日蓮正宗が葬儀専用に開発したニセ本尊を形木にしたもので、御書にもない『五道冥官』等の文が書かれ、大聖人の御本尊と明らかに異なっている」と主張している。
 
 大謗法というのは、このように、資格もない者が、御本尊の相貌にクチバシを差し挟むことをいう。学会で大聖人直結の方とする二十六世日寛上人の顕わされた御本尊の中に、明らかに天照、八幡の代わりに閻魔法皇、五道冥官と書かれている御本尊が現存している。
 また、日寛上人の御師・二十四世日永上人の書写にも閻魔法王、五道冥官の書き方が拝され、さらに上代の御先師にも存在している。
 そもそも、この「五道冥官」の語は御書の中(御書一二頁)にも示されている。あまり、いい加減なことを言うものではない。

 御金言に

「よき師と・よき檀那と・よき法と、この三つ寄り合ひて祈りを成就し」(御書一三一四頁)

と仰せのとおり、御本尊(よき法)と、御本尊への信心(よき檀那)、そして僧侶の導師(よき師)、このすべてが揃って、初めて成仏を叶えていただくことができるのである。
 この三つを揃えて執行されてきた正宗の葬儀を、詭弁を弄して誹謗し、勝手に作り上げた学会葬――、そのようなものを、大聖人がお認めになるはずがない。学会葬こそ堕地獄の最直道といえよう。

 創価学会では、導師本尊を偽本尊よばわりしているが、例外なく、今までの歴代会長・池田氏の次男、理事長の小泉隆等の大幹部の葬儀は、全部、この導師本尊であったことを末端の創価学会員は知っているのか?
 創価学会では、導師本尊では、生前の功徳が破壊され、結局三悪道に堕ちているというが、宗門に破門される前までの創価学会員は、寺院に依頼して葬儀をし、導師本尊を用いていたのである。
 
 ということは、破門前の学会員は全員三悪道に堕ちているということになるのか?
 
 戸田先生は地獄に行ったのでしょうか? 
 
 破門されるまでは、導師本尊は OKで、破門されたら NG という自分勝手な創価学会が正しいはずがない。


 <塔婆不要論破折>

 創価学会は「大聖人が塔婆を立てて供養をされたこともない」といっている。 しかし、日蓮大聖人は『中興入道御消息』に、
 

「去りぬる幼子のむすめ御前の十三年に、丈六のそとば(卒塔婆)をたてて、其の面に南無妙法蓮華経の七字を顕してをはしませば(中略)過去の父母も彼のそとばの功徳によりて、天の日月の如く浄土をてらし、孝養の人並びに妻子は現世には寿を百二十年持ちて、後生には父母とともに霊山浄土にまいり給はん」(御書1434頁)

と仰せられ、塔婆の功徳を説かれると同時に、
 

「此より後々の御そとばにも法華経の題目を顕し給へ」(同頁)

と御教示されている。
 また『草木成仏口決』には、

「我等衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは、死の成仏にして草木成仏なり」(御書522頁)

とも仰せられている。
 これらの御文を拝しても、後々の門弟に対して、法華経の題目を顕した塔婆をもって回向するよう御指示された日蓮大聖人が御自ら塔婆を建立されたであろうことは想像に難くない。

 むしろ「大聖人は建立されなかった」などという主張のほうが道理に合わないことは、誰の目にも明かである。

 このように、日蓮大聖人が仰せられる塔婆供養の尊い意義に則って、古来、宗門の僧侶は真心を込めて塔婆を建立し、回向供養しているのである。
 
 この問題以前は、学会員も池田大作でさえ塔婆を建立し、また塔婆供養の功徳までわざわざブラジルの一乗寺でスピーチしたという事実は覆らない。

「塔婆供養の意義について述べておきたい(中略)塔婆供養による唱題の回向によって諸精霊に追善がなされ、生命の我を悪夢から善夢へと転換していけるのである。」

 創価学会のゆがんだ卑俗な目から見れば、教師・医師・弁護士・研究者など、あらゆる人々がその技能や資格を、「ただ金儲けの道具にしている」ということになる。
 さらにいうなら、創価学会が発行する多数の機関紙、書籍、ニセ本尊、民音等、ありとあらゆる物が「金儲けの道具」になっているのは、世間一般の人、誰がみても明らかである。


 戸田会長は塔婆供養の意義について以下のように述べている。
 

『色心不二の成仏、草木成仏の深い原理からきているんです。人は死ぬと宇宙の生命に溶け込みます。色心不二の二法であるがゆえに、この生命を塔婆という体を作って、供養すれば聞いた題目が生命に感じて業が薄くなり苦悩を少なくしうるのです。一個の肉体を塔婆としてこれ自体が死人の肉体に変わり自身の生命を強める事ができますこの功徳は一心法界ですから我が身に帰るんです。』(戸田城聖全集第二巻)

 
 

『形式ではありません。仏法上の儀式であります。色心不二の成仏、草木成仏の深い原理からきているのであります。(中略)一個の肉体を塔婆として、これ自体が死人の肉体に変わり、自身の生命を強めることができます。』(戸田城聖全集第4巻 )

 
これは、邪義なんですか?

 <学会のシール俗名位牌破折>

 創価学会では、現在、俗名のみをシールにし位牌に貼り付けるという、おぞましい所行をしている。位牌については、現在葬儀において、世間一般に広く用いられている。

 日有上人は、儒家伝来の俗名のみを記した世間通途の位牌は、「理の位牌」であるから用いるべきではないと仰せである。 

 本宗で用いる位牌は、妙法の題目の下に故人の戒名等を認めることによって、御本尊の示し書に準じて師弟相対の意義を顕した「事の位牌」である。
 
 したがって、日有上人は、通途の位牌を禁じられる一方で、

「又仏なんどをも当宗の仏を立つる時」

と仰せである。
 日亨上人がここでいう「仏」を位牌と釈されるごとく、日有上人の当時、既に現在のような、仮の位牌が立てられていたことが示されている。また、日達上人は、「位牌というものは亡くなった人の姿をそこに顕わすのであります。」と仰せられている。
 現在、本宗で位牌を用いるのは、このような意義に基づくのである。但し、日常の信行から見れば、過去帳記載までの仮の建立であり、決して信仰の対象とはならない。

 友人葬は堕地獄必定>

 学会においても、かつては何のこだわりもなく、僧侶に葬儀を願い出ていた。それが、問題が起きた途端、破門される前から、自分達での友人葬に踏み切ったのである。学会首脳からすれば予定通りの展開で、独立への序章である。
 

「学会や池田先生をいじめる僧侶など葬儀に呼びたくないでしょ」

と巧みに持ちかけ、それを正当化し、会員を洗脳すべく、教義や信仰を曲げ、また捏造や曲解をほしいままにして述べているだけである。
 
 つまり、本当に仏法を求め、僧俗和合を願ったわけではない。 
 友人葬という行為は、何も知らない学会員を騙し、戒壇の大御本尊と血脈の仏法から、むりやり遠避けるための手伝いをさせられているだけである。
 結局のところ、学会首脳は目的のためならば、教義や信仰を曲げてもいいと考えているようだ。
 
 富士門流の傍系ではあるが、保田郷門の『当家引導雑々記』には、
 

「不知案内にして亡霊の引導は悪道に堕すべし、是れは法然弘法に越え過ぎたる罪障なり、彼れは謗法の衆生を悪道に引く、是れは持経者として其の霊を悪道に引き入れん事浅間敷き事なれば、我が檀那なりとも智者を頼み引導さすべきなり」(富要1ー261)

と戒められている。
 
 時の御法主上人の許可を得ずして、勝手なことをすれば、それは大聖人に背く大謗法と、怖れなければならない。

 『盂蘭盆御書』に、

「悪の中の大悪は我が身に其の苦をうくるのみならず子と孫と末へ七代までもかかり候けるなり」(全集1430)

と仰せである。
 この20年間で相当数の学会員が友人葬で葬られ、堕地獄の因を積んだことであろう、これは当人のみならず、導師・家族・参列する学会員にまで及び、しかも、子孫にまで影響するのである。
 学会は直ちに友人葬を止め、正法正師に従い、反省懺悔すべきである。


と指導していました。あなたはどう思いますか?