最近の学会員がネットで書き込む大御本尊

《学会の戯れ言》

 大聖人様が「諸宗は本尊にまどえり」「此の経は相伝に有らざれば知り難し」と仰せの現証が、破門され、根無し草になった学会員に表れています。
 最近のインターネットで交わされている話を何点か拾い上げ、破折を加えておきます。

①たとえ本門戒壇の大御本尊が御真筆でなくとも、偉大な御利益により創価学会は大発展を遂げた訳ですから、創価学会の正しい信仰が御本尊の偉大な功力を引きだしたことになるでしょう。
 創価学会は物体としての側面の御本尊様を信仰の対象としているのではなく、その御本尊の相貌に表現された御本佛日蓮大聖人の御生命を信仰申し上げているのです。
 従いまして、本門戒壇の大御本尊の物体的側面の真偽と信仰は別次元と考えています。
 正しい信仰者の拝する御本尊様が即、真実の正しい御本尊様。正しい信仰を持たない輩の曼荼羅は、単なる宗教遺物に過ぎないのです。
 物的な御本尊は、あくまでも拝む対象であり、信仰対象ではないので、別段、何も思わない。?拝む対象と信仰対象は別である。
 汚れたり、ぼろぼろになったり、永遠ではない。ぼろぼろになったら、取替えるでしょ。形あるものは、いつか滅ぶんですよ。

【破 折】
 ニセ本尊に功徳などあり得ません。そうでしたら、信心さえあれば身延のみやげ屋に売っている大聖人様のコピー本尊でも、学会員が拝めば功徳があるのでしょか?
 『物体としての側面の御本尊様を信仰の対象としているのではなく、その御本尊の相貌に表現された御本佛日蓮大聖人の御生命を信仰』とは、正信会と似通った理論です。
 彼らは、久遠元初の法を信仰すると言っています。大御本尊様から離れて、自らの正当性を主張する者はこうやって退転していくという後代へのいい見本になります。
 『自分達が正しい正しい』と連呼しますが、正しいかどうかはどうやって判断するのでしょうか。ただ群れて、「センセイスゴーイ」「俺たちスゴーイ」と誉め合っても意味がありません。
 一番の学会の誤りは、御本尊様(仏)より煩悩充満の凡夫が偉いと思っている点です。違うと思っても結果的にやっていることは同じなのです。
 凡夫が自分達の都合で御本尊様(仏)を取捨選択する不遜さ、『創価学会の正しい信仰が御本尊の偉大な功力を引きだした』との発言の傲慢さを理解できない点。
 『正しい俺たちが拝めば、どんな本尊であっても正しい御本尊になりうる』と言い放つ本末転倒の謗法の発言に気づくべきです。
 凡夫の信力行力によって、どんな本尊だろうと正しい仏力法力を具えるとバカのことを言っております。 日蓮大聖人は『観心本尊抄』に、

釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与へたまふ。』(御書653)

と、妙法受持の功徳を説かれています。
 この御文について総本山第二十六世日寛上人は『本尊抄文段』に、

『この文の中に四種の力用を明かすなり。謂く、「我等受持」とは即ちこれ信力・行力なり。「此の五字」とは即ちこれ法力なり。「自然に譲り与う」と豈仏力に非ずや。』(日寛上人文段集486頁)

と、妙法五字の四種の力用について御指南されています。

 この理論だと、御本尊様を拝む意味が分かりません。拝む対象と信仰対象は別と悩乱しています。御本尊様を拝みながら、何を信仰するのでしょうか? 拝む=信仰です。
 そんなことも分からなくなっている学会員に、哀れみを感じます。


創価学会員は「日蓮大聖人が魂を墨に染め流してあらわされた御本尊」を?「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」と信じ、?末法の御本仏日蓮大聖人に南無し、日興上人に南無しているのです。
 正宗は詐欺教団で、学会は詐欺の被害者だったわけ。??本門戒壇の本尊が贋作だったにもかかわらず、広宣流布が進展したのは、創価学会が仏意仏勅の団体であり、大聖人の正しい信心の血脈は僕たち学会員一人一人の中にある。??
 胸中の肉団におわします。九識心王真如の都である。御本尊は、その有りの侭のすがたを図顕したものです。御本尊が己心の外にあるのではありません。自己の内にあるのです。

【破 折】
 「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊」とは具体的にどの御本尊様を指すのですか?
 日寛上人の御本尊様が「日蓮大聖人が魂」となり得る理由は?
 学会と何の関係もない、大石寺のしかも江戸時代の日寛上人様の御本尊様を持ち出し、勝手にコピー販売する理由は?
 『本門戒壇の大御本尊様』が贋作だったといつ気付いたんですか?破門前から知っていたのですか?
 破門前から知っていたというなら、学会首脳も学会員を騙していたのですね?
 公式見解ですか?あなたの願望ですか?
 ニセ本尊を御安置する為に必死で御供養して正本堂を建立したのですか?
それだったら、なぜ学会員は正本堂にこだわり、粘着質にいつまでも壊した壊したと言うのですか?

 『御本尊が己心の外にあるのではありません。自己の内にあるのです』との己身本仏論なら、御本尊を拝む必要がありません。しかるに、なぜ学会は御本尊を販売し、会員は拝むのですか? 
 御本尊様の仏力・法力を蔑ろにする大謗法の発言と断じます。

 大聖人様の御本尊御顕現にしても単なる観念観法による御顕示でないことは、観心の本尊抄を拝すれば明かです。「事の一念三千」「事行の題目」等の下種仏法を意味する言葉の中にもそれが如実に顕れています。
ですから、我々信仰者も
・宇宙法界に遍満する妙法を観念的に信じて帰依するモノではない
・煩悩充満の己心に埋没する妙法を自分で探り出すものでもない
・経巻を智恵で悟るモノでもない
のです。

 大聖人が仰せの『習いそこないの学者』とはまさに学会員です。

 大聖人様の出世の本懐たる大御本尊様を否定しながら、何を持って『創価学会が仏意仏勅の団体』と言い切るのですか?大作の勲章や顕彰ですか?人数ですか?人数ならキリスト教徒やイスラム教徒の方が遙かに多いですよね。

 日蓮正宗の信徒団体だった頃は、そう言えても、破門された今は、ただの邪宗でしかありません。現実を見ましょう。
 何を持って大聖人は正しい、末法の御本仏であると証明できるのですか?
 また、大御本尊を否定していますが、大聖人様の出世の本懐は何なのですか?どうやって、大聖人様は、大聖人滅後の一切衆生を御在世と変わらず救われるのですか?

かつて池田大作は、

『本門戒壇の大御本尊の仏力・法力は絶大であられる。ゆえに総本山に参詣し、また御本尊 に題目を唱えていけば、大功徳がある』(広布と人生を語る・六―一二八頁)
『この日蓮正宗の御本尊を受持し、信行する以外に、永遠にわたる幸福、成仏の因はもはやない』(同・四―二六七頁)

等の御本尊様に対する正しい発言をし、また学会員に指導をしていました。これは間違いなのですか?公式に大作本人も、学会も訂正しておりません。


③「大御本尊」無くして「広宣流布」は成しえません。創価学会執行部・池田名誉会長はただちに軌道修正して頂きたい。先ずは腐りきった宗門執行部を折伏し宗祖御在世当時に戻して行く事を実行する様求めます。

【破 折】
 「大御本尊」無くして「広宣流布」は成しえません。その通りです。なぜ学会員はここのところが理解できない人が多いのでしょう。しかし、残念ながら、宗門は腐敗も堕落もしていません。
 学会にとっては、あくまでも学会を破門した宗門は腐敗堕落しており、自分達は被害者でないと困るので、職業幹部達にいいように洗脳されています。
 私も賛成します。公場対決とかやって正邪をハッキリさせれば学会員の目も醒めるでしょう。
 しかし、自分が11・16で好き放題スピーチしてこの問題の原因を作っておきながら、幹部の陰に隠れてしまい、一度も釈明なり意見を堂々と述べることなく破門された池田氏に、折伏する勇気も信仰心も教学力も無いでしょう。



【かつての学会の指導】
 創価学会会則《この法人は、日蓮大聖人御建立の本門戒壇の大御本尊を本尊とし、日蓮正宗の教義に基づき、弘教および儀式行事を行い》

 弘安二年の本門戒壇の大御本尊に帰依し奉る以外に、成仏得道の道は絶対にないのである。『折伏教典P171頁』

 日蓮正宗の本尊を除いては、ことごとく天魔外道の本尊である。姿は仏に似せようと神を顕そうと、みな内証においては天魔外道である。『折伏教典P45』

 本宗(日蓮正宗)に伝わる末法総与の大御本尊をまねたり一機一縁の御本尊を担ぎ出す、いわゆる付属のないもの。これはニセ札本尊といって、これらを本尊と立てる連中は、ご本尊は誰が書いてもよい等と口走るのである。『折伏教典P329』

池田大作
「三大秘法総在の御本尊こそ、弘安二年十月十二日ご図顕の本門戒壇の大御本尊である」観心本尊抄講義 25頁


 戒壇の大御本尊はいらない、もしくはニセ物というならば、学会の80年近い信心は、完全に間違っており、昔から池田が承知の上であったなら、前代未聞の大詐欺事件となる。
 それにしても、よくも自分が行ってきた過去の信心を全否定できるものだ。と言うしかありません。



【第65世日淳上人】御指南
 

凡(およ)そ法門に於(おい)ては総別の二義があるのでありまして此れを忘れると地獄へ堕ちることになります。日蓮大聖人は「総別の二義を違へば成仏思ひもよらず」と仰せられてありますが、此れは行人(ぎょうにん)の最も心ををくべきところであります。法華経の行者は大聖人唯御一人だけで末法の仏も大聖人であります。総じて申せば妙法を信受する程のものは行者といへますが別して逆縁の衆生でありまして順逆の分別は行功によるところであつて畢竟(ひっきょう)御一人の仏に対しては凡夫であります。かへすがへすも此のところが根本でありまして、その御本尊を信受し奉る上の修行が題目になるのであります。既に仏身地であらせられる大聖人の建立し玉ふ大曼荼羅を信受し持ち奉ることが肝要でありまして、此れ以外は皆偏見であり邪道であります。(『日淳上人全集』982頁〜)


【御本尊様とは】
 御本尊様の御相貌については『本尊七箇之相承』の

「中央の首題、左右の十界、皆悉く日蓮なり」

と仰せの如く、霊山会上の儀式の姿を借りて、日蓮大聖人の一心に具わるところの十界互具・百界千如・事の一念三千の全体を顕すのです。
 すなわち中央の南無妙法蓮華経・左右の十界の聖衆ともに、日蓮大聖人の御生命全体を顕わすのです。故に大聖人は、

日蓮が魂を墨にそめながして書きて候ぞ、信じさせ給へ」

と仰せられるのです。
 よって、御本尊様は煩悩充満の罪障深い凡夫の胸中にあるのではなく、日蓮大聖人一身の当体なのです。

『久遠元初の天上天下唯我独尊は日蓮是れなり。』(百六箇抄)

との御本仏様の御言葉を虚心坦懐、拝信するべきなのではないでしょうか。

※学会員が拝んできた大石寺御歴代上人が認められた御本尊様が、何故『日蓮がたましい』となり得るのでしょうか?