顕正会員は、戒壇の大御本尊に直結しているという妄想

【邪説の主意】

顕正会員は戒壇の大御本尊に直結している。

(1)「戒壇の大御本尊様は、『一閻浮提総与』です。地球上の全人類に、総じて授与して下さった御本尊様であります。ですから、私たち一人ひとりは、実にこの戒壇の大御本尊様に直接つながっている」(顕正新聞 H19.9.15号)

(2)「どんなに離れていても、恋慕渇仰の信心さえあれば、直ちに大聖人様に直ちに通じ」(顕正新聞 H19.9.15号)

「一閻浮提総与の大御本尊だから、全人類の御本尊だから、だから私たちは大御本尊に直接つながっている」という論法だと、何も顕正会員でなくても、身延日蓮宗の者でも創価学会員でも、「私は大御本尊を信じている」と主張する者は皆、大御本尊に直結できることになります。
顕正会員だけが直結できる理由がどこにもありませんが、少しはおかしいと思わないのでしょうか。

■三宝一体

日蓮大聖人は『真言見聞』に、

「凡(およ)そ謗法とは謗仏謗僧なり。三宝一体なる故なり」

と仰せになり、「仏(日蓮大聖)」「法(本門戒壇の大御本尊)」「僧(日興上人を随一とする血脈相承の御法主上人猊下)」の三宝(さんぼう)が一体不二であることを御教示あそばされています。
また第二十六世・日寛上人は『三宝抄』に、

「付属伝授は即ち是(こ)れ僧宝なり」
「金口(こんく)相承即是僧宝也」

と、血脈相伝の御法主上人が即ち「僧宝である」と明確に御指南あそばされています。
すなわち、僧宝たる御法主上人は、法宝たる本門戒壇の大御本尊と一体不二の御尊体であり、浅井顕正会のごとく血脈相伝の御法主上人猊下を悪しざまに誹謗中傷する者たちが「大御本尊直結」などと言ったところで、それがいかに空虚な妄言であるかは明白です。

第五十六世・日応上人が『弁惑観心抄』に、

「法体とは即ち吾山に秘蔵する本門戒壇の大御本尊是れなり(中略)此の法体相承を受くるに付き尚(なお)唯授一人金口嫡々相承なるものあり」

と仰せのとおり、御法主上人は本門戒壇の大御本尊を法体相承(ほったいそうじょう)あそばされるのであり、そこに信伏随順して、初めて本門戒壇の大御本尊を正しく信ずることになるのです。

浅井顕正会にせよ池田創価学会にせよ、血脈相伝の御法主上人に師敵対する輩に正しい信心などは有り得ません。

■直結信仰

浅井顕正会にせよ池田創価学会にせよ、唯授一人血脈相承に信伏随順できない謗法の者たちが判で押したように言い狂うのが「直結信仰」です。

これは、そういうことにしておかないと、自分たちの存在が危うくなるからに他なりません。唯授一人血脈相伝の御法主上人猊下の存在をないがしろにしているのですから、直結という有り得ないものをでっち上げないと、自分たちが謗法であるということになってしまうのです。
しかし、いかに「大御本尊様に直接つながっている」だの「直ちに大聖人様に通じ」だのと叫んでみても、直結信仰は「謗法」です。

第二祖・日興上人が『佐渡国法華講衆御返事』に、

「案のごとく聖人の御のちも、末の弟子どもが、これは聖人の直(じき)の御弟子と申す輩(やから)多く候。これか大謗法にて候なり」

と仰せのごとくであり、唯授一人血脈相伝の御法主上人猊下に信をとらず、いかに「直結」「直結」と叫んでみても、そんなものが大聖人に通じることは断じてありません。