「五十二年教義逸脱問題」とは、どのようなものだったのか

 

《学会の戯れ言》
 学会という組織を破門した後、学会員の登山禁止まで猶予期間をもうけたのは、ゆさぶりをかけて、創価学会の会員のうち二〇万人が宗門にくればいい、との目論見のためです。第一次宗門問題の時には事態の鎮静化を図るため、池田先生が会長勇退のご決断を余儀なくされ、学会員は先生の会長勇退に涙を流して悲しみ、悔しがりました。それが二度目ともなると、この問題の本質がはっきりしていましたので、多くの会員は謗法の山と化した大石寺などにもう未練は全くありませんでした。

 

 【破折】

①「五十二年教義逸脱問題」とは、どのようなものだったのか
 池田は、正本堂建立(こんりゅう)を機(き)に宗門に根強(ねづよ)い反感を抱(いだ)くと同時に、「学会は主(しゅ)、宗門は従(じゅう)」との本末転倒(ほんまつてんとう)の考えをもとに、宗門支配(しはい)を画策(かくさく)し、宗門に対してさまざまな圧力を加(くわ)え始めました。
 昭和五十二年には、学会に批判的な僧侶に対する吊(つ)るし上げを次々と行(おこな)い、公然(こうぜん)と宗門批判・僧侶否定(ひてい)の指導をするようになりました。
 このように創価学会は、日蓮正宗の教義信仰から次第に逸脱(いつだつ)し、ついには御法主上人の許しを得(う)ることなく、紙幅(しふく)の御本尊を勝手に板御本尊に模刻(もこく)するという大謗法(ほうぼう)を犯(おか)すに至(いた)りました。これがいわゆる創価学会の「五十二年教義逸脱(いつだつ)問題」です。このときの教義逸脱の主(おも)なものは、
 ○創価仏法の原点は、戸田会長の獄中(ごくちゅう)の悟達(ごたつ)にある
 ○途中の人師(にんし)論師(ろんし)は無用である(唯授一人(ゆいじゅいちにん)の血 脈(けちみゃく)否定)
 ○『人間革命』は現代の御書である
 ○池田会長は主師親三徳具備(ぐび)の大導師(どうし)である
 ○寺院は単なる儀式の場、会館は広布の道場である
 ○供養は在家でも受けられる
などです。
 なお、当時、創価学会が宗門支配、もしくは分離(ぶんり)独立をひそかに画策(かくさく)していた事実は、側近(そっきん)幹部が池田へ提出した次の報告書に明かです。
 『山崎・八尋(やひろ)文書』(昭和四十九年四月)
「一つは、本山とはいずれ関係を清算(せいさん)せざるを得(え)ないから、学会に火の粉(こ)がふりかからない範囲(はんい)で、(中略)いつでも精算できるようにしておく方法であり、いま一つは、長期にわたる本山管理(かんり)の仕掛(しか)けを今やっておいて背後(はいご)を固(かた)めるという方法です」
 『北条(ほうじょう)文書』(昭和四十九年六月)
「長期(ちょうき)的に見れば、うまくわかれる以外ないと思う」
「やる時が来たら徹底(てってい)的に斗(たたか)いたいと思います」
 
   【注】◇*山崎(山崎正友=当時の創価学会顧問弁護士)
       *八尋(八尋頼雄=創価学会顧問弁護士)
       *北条(北条 浩=当時の創価学会副会長・第四代会長)


②「五十二年教義逸脱問題」は、どのような形で収束したのか
 創価学会の数々の逸脱(いつだつ)行為に対し、宗門僧侶を中心として学会批判の声が全国的に広がり、脱会者が続出しました。池田はこのままでは創価学会の崩壊(ほうかい)につながると危惧(きぐ)し、日達上人に謝罪(しゃざい)して事態(じたい)の収束(しゅうそく)を願い出ました。
 そして昭和五十三年六月三十日、創価学会聖教新聞に「教学上の基本問題について」と題して、教義逸脱に関する訂正文(ていせいぶん)を掲載(けいさい)しました。しかし、その内容は不明瞭(ふめいりょう)で、会長である池田大作の責任を明らかにするものではありませんでした。
 さらにこのころ、創価学会による本尊模刻(もこく)問題が発覚(はっかく)し、同年九月二十八日、学会は急きょ、七体の模刻本尊を総本山に納(おさ)めました。
 これらのことで、窮地(きゅうち)に追い込まれた学会は、同年十一月七日、総本山において、幹部二千名による「創価学会創立四十八周年記念代表幹部会」(通称お詫(わ)び登山)を開催(かいさい)し、謝罪(しゃざい)の意を表明(ひょうめい)しました。
 しかし実際には、その逸脱は何ら改められず、宗内からは池田大作の責任を問う声があがったため、池田は昭和五十四年四月二十四日に創価学会会長を、同月二十六日には法華講総講頭(そうこうとう)をそれぞれ辞任(じにん)しました。
 これを受けて日達上人は、同年五月三日、本部総会の席上、「創価学会日蓮正宗の信徒団体としての基本を、今後忠実(ちゅうじつ)に守ること」を条件としたうえで、学会問題の収束(しゅうそく)を宣言されました。
 池田の辞任後、第四代会長には北条浩(ほうじょうひろし)が就任(しゅうにん)し、昭和五十六年には第五代会長に秋谷栄之助が就任しています。


③今回の「創価学会問題」はどのようにして起こったのか
 昭和五十九年、御隠尊日顕上人は、大石寺開創(かいそう)七百年を記念して二百ヵ寺の建立(こんりゅう)寄進(きしん)を願い出た池田大作の反省の心を汲(く)まれ、池田を法華講総講頭(そうこうとう)に再任(さいにん)されました。
 その後、池田大作は宗門への恭順(きょうじゅん)を装(よそお)っていましたが、平成二年十一月十六日、ついに増上慢(ぞうじょうまん)の本性(ほんしょう)を露(あら)わにして、全国の学会員に対し衛星(えいせい)放送をとおして、法主誹謗(ほっすひぼう)と宗門蔑視(べっし)のスピーチを行(おこな)いました。その内容は、
 「猊下(げいか)というものは信徒の幸福を考えなきゃあいけない。権力じゃありません」(第三十五回本部幹部会スピーチ)
 「五○周年、敗北の最中(さなか)だ。裏切(うらぎ)られ、たたかれ、私は会長を辞(や)めさせられ、ね。もう宗門から散々(さんざん)やられ・・・」(同)
というもので、これは昭和五十三年の「お詫(わ)び登山」における反省懺悔(ざんげ)を反故(ほご)にする、法華講総講頭にあるまじき発言です。
 これに対して宗門は、平成二年十二月十三日、学会との「連絡会議」の席上、「お尋(たず)ね」文章をもって池田スピーチの真意を確(たし)かめようとしましたが、学会側はこの文書の受け取りを拒否(きょひ)しました。そのため宗門は同月十六日、同文書を学会本部に送付しましたが、これに対して学会は、誠意(せいい)ある回答を示すどころか、かえって敵意(てきい)を露(あら)わにした「お伺(うかが)い」と称(しょう)する詰問(きつもん)書を送りつけてきたのです。
 このような経過(けいか)のなかで、宗門は同年十二月二十七日に宗会(しゅうかい)を開き、かねてからの懸案(けんあん)であった、法華講本部役員の任期(にんき)に関する「日蓮正宗宗規(しゅうき)」の一部改正を行い、これにより池田をはじめとする総講頭・大講頭は、その資格を喪失(そうしつ)しました。したがってこの時、池田大作以外にも創価学会幹部十二名、法華講連合会幹部二名がともに大講頭の資格を喪失しました。この経過措置には、従来の役員がそのまま再任される可能性も残されていましたが、増上慢の極(きわ)みにあった池田大作は、この措置に逆(ぎゃく)上(じょう)し、宗門と日顕上人に対する悪質な攻撃を開始したのです。
 したがって、池田大作が「罷免(ひめん)」すなわち〝辞(や)めさせられた〟かのように創価学会はいっていますが、それは「資格喪失」を「罷免」にすり替えて、被害者意識を会員に植え付けようとしているにすぎません。また創価学会は、日顕上人が池田大作を「嫉妬(しっと)」によって処分したなどと執拗(しつよう)にいっていますが、日顕上人が池田大作などに嫉妬する理由も必要もまったくありません。これも会員に宗門への憎悪(ぞうお)の念を増幅(ぞうふく)させるために作り上げたデマカセなのです。


④「創価学会問題」の実状と創価学会の破門に至る経緯について
 平成三年初頭から創価学会は、全組織を挙(あ)げて御法主上人や宗門への誹謗(ひぼう)・中傷(ちゅうしょう)やいやがらせを開始し、日蓮正宗の信仰の命脈(めいみゃく)である下種三宝(げしゅさんぼう)や血脈(けちみゃく)相伝の否定(ひてい)、創価学会が独自で始めた友人葬の執行(しっこう)など、日蓮正宗の化儀(けぎ)・化法(けほう)から大きく逸脱(いつだつ)する謗法(ほうぼう)を犯(おか)すようになりました。
 これに対して宗門は、日蓮正宗本来の信仰姿勢に立(た)ち返(かえ)るよう訓戒(くんかい)を重ねましたが、創価学会はまったくこれを聞き入れず、さらに誹謗(ひぼう)を繰(く)り返したのです。
 そこで宗門は、平成三年三月に、これまでSGI(創価学会インターナショナル)に委任(いにん)してきた海外信徒の指導を宗門が直接行うこととし、また同年七月には、創価学会組織を通じて許可してきた総本山への登山方式を、所属寺院による「添書(てんしょ)登山」方式に切り替えました。
 謗法(ほうぼう)行為を重ねる創価学会に対し、同年十月、宗門は「通告文」を送って強く反省を促(うなが)しましたが、学会はこれを聞き入れず、御法主上人及(およ)び宗門への誹謗・中傷を繰(く)り返したため、宗門は十一月七日、創価学会に対して「解散勧告(かいさんかんこく)」を行いました。しかし、学会がこれを無視(むし)して、宗門に対する悪口雑言(あっこうぞうごん)をエスカレートさせたため、十一月二十八日、創価学会を破門(はもん)に付したのです。
 さらに宗門は、その実質(じっしつ)的責任者である池田大作に対し、弁疏(べんそ)の機会を与えましたが、それに対し何らの返答(へんとう)もないため、平成四年八月十一日、池田を信徒除名(じょめい)処分に付しました。
 このときの処置(しょち)は、あくまでも創価学会組織と責任者である池田大作に対するものであり、個々の会員を日蓮正宗から排除(はいじょ)するものではありませんでした。


創価学会員が日蓮正宗の信徒資格を喪失した経緯について
 宗門から破門された創価学会は、池田大作の信徒除名(じょめい)処分以降も、さまざまな謗法(ほうぼう)を重ね、平成五年十月には、ついに『ニセ本尊』を作製し販売するという、仏法の根幹(こんかん)にかかわる大謗法を犯(おか)すに至(いた)ったのです。
 これらの状況のなかで、宗門は平成九年九月三十日、「宗規(しゅうき)」の一部改正を行(おこな)い、「本宗の檀信徒(だんしんと)が本宗以外の宗教団体に所属したときは、その資格を喪失(そうしつ)し除籍(じょせき)される」という規定を設(もう)けました。
 これを受けて、宗門は創価学会員に対して二カ月間の猶予(ゆうよ)を設け、平成九年十一月三十日を期限として、創価学会に籍(せき)を置く者は信徒資格を喪失する旨(むね)を通告(つうこく)しました。
 このような経緯を経(へ)て、創価学会に所属する会員は日蓮正宗信徒の資格を喪失するに至りました。
 こうして創価学会は、組織も会員もともに、日蓮正宗とは全く無関係の団体となったのです。


 【池田大作という不正直者を師に持つ悲劇】
 今回の問題は、創価学会に揺さぶりをかけて学会員を取り込もうとしたというが、あくまでも宗門は迷える学会員を善導しようとしたのです。
 元々、日蓮正宗の信徒団体であった学会員を、わざわざ宗門・法華講に取り込もうという発想は、宗門にあるはずが無いのです。
 学会員が友人葬を行おうが、宗門を誹謗中傷しようが、どこまでも根気強く正法へ導こうとしていたのです。
 しかるに、未だかつてない大謗法であるニセ本尊を作成・販売するに至り、学会に所属する人は、そのまま破門となったのです。
 第一次教義逸脱問題で、池田大作が会長を退いたのは自業自得であり、お詫び登山をし、聖教新聞紙上で謝まり、教義逸脱についても反省懺悔しているのです。歴史を改ざんしようとしても、多数の証拠があるのです。
 それは、次のようなことからも明らかです。
 池田大作の「恩師の二十三回忌に思う」に
 

「たしかに創価学会中心主義的な独善性もあり『学会が主、宗門が従』というような状況もありました。その結果、宗門の一部僧侶に、この方向が、学会が独立を企図しているのではないかとの疑念を生ぜしめ、また、会内にいわゆる『北条文書』などのような感情的な議論のあったことは、まことに申し訳なく思っております。」

と反省懺悔しています。
 現在の創価学会は、御隠尊日顕上人や宗門僧侶・法華講員を誹謗して、

法華経を持つ者をば互ひに毀るべからざるか」(松野殿御返事・御書一〇四七頁)


との日蓮大聖人の御教示に背き、本門戒壇の大御本尊在(ましま)す総本山大石寺へ参詣できない状態にあり、勝手に偽本尊を作製するなど、明らかに日蓮大聖人の仏法に違背しています。
 これらのことから、現在の創価学会が間違った方向に進んでいることを、池田大作は百も承知なのです。これは、ひとり池田大作のみならず、側近の学会上層部も十分に知っていることです。
 にもかかわらず、学会上層部が会員に「創価学会が正しい」と信じ込ませようとしているのは、池田大作の野望を遂げるための組織防衛と、学会上層部の保身のために他ならないのです。
 創価学会が正しいと信じている学会員は、池田大作や学会上層部によって誑惑され、洗脳されていることを知るべきです。
 

 【参考資料】
○第二代戸田会長
 「日蓮大聖人の真実のお教えは、独一本門といい、文底秘沈というも、みな一閻浮提総与の三大秘法の大御本尊を根本としたお教えでなくてはならない。この教えは今日、末法においては富士大石寺にこそあれ、ほかにはないのである」
(戸田城聖全集・三−八三頁)
池田大作発言
 昭和五十三年四月十五日に、埼玉県内で、当時創価学会会長であった池田大作と埼玉布教区の僧侶との懇談会が行われ、そのときの記録には次のようにあります。
僧侶「本山・宗門から離れてしまうと新興宗教になってしまいますからね」
会長「まったくその通りです。私どもはどこまでも七百年の伝統を守り、三宝を敬っていくことは三カ条の約束通りです」
池田大作所感
 『恩師の二十三回忌に思う』
 「広宣流布は御仏意のしからしむるところであり、これらの発展も、ひとえに大御本尊の御威光、歴代御法主上人の御威徳によるところであることは申すまでもありません、もとより、日蓮正宗総本山を離れて、創価学会は、永久にありえないのであります」 (聖教新聞・昭和五十五年四月二日付)