東日本大震災についての所感(慈本寺様HPより)

【汝(なんじ)須(すべから)く一身の安堵(あんど)を思はゞ先ず四表(しひょう)の静謐(せいひつ)を祈るべきものか】


 【唱題を根本に】

 今回の東日本大震災において、マグニチュード9という、前代未聞の大地震によって亡くなられた多くの方々の成仏を心から願うものであります。
 また、被災された方々の復興(ふっこう)、日本が早く立ち上がれるように祈るばかりであります。
 今も福島の原発から放射能が漏(も )れており、現在も命がけの作業が進められていますが、目に見えない放射能に人々は怯(おび)え、周辺住民は避難し、作物や水が汚染され国中が混乱しています。
 応(まさ)に大聖人様が仰せの

『国を失ひ家を滅せば何れの所にか世を遁(のが)れん。』(御書249頁)

の様相を呈しています。
 そして、

『汝(なんじ)須(すべから)く一身の安堵(あんど)を思はゞ先ず四表(しひょう)の静謐(せいひつ)を祈るべきものか。』(御書249頁)

と、あなたが自分自身の安堵・安泰を欲するならば、四表すなわち東西南北、国中全体の静詮(せいせん)を祈るべきであると言われます。
 皆さんも、当然、御祈念はされていると思いますが、しっかり唱題を重ねていなければ、日々入ってくる深刻なニュースなどによって、知らず知らずのうちに哀しみや怒りの心にさいなまれ、さらに症状が進みますと、生きる気力が無くなったりしますので、注意が必要です。
 
 【『方丈記(ほうじょうき)』に見る鎌倉時代の災害の様子】

 大聖人様がおられた時代は、次々とこれでもかという程、災害が起きた時代でした。これらを大聖人様はどうご覧になられ、人々はどうであったか学ぶことは、今、とても重要なことであると思いますので、お話ししていきたいと思います。
 鎌倉時代の地震災害等を知るために、その資料を探してみますと、皆様も御存知かとも思いますが、幕府が編纂(へんさん)した『吾妻鏡(あづまかがみ)』があります。これを基にしまして、『富士年表』にも色々な災害の記録が載せられております。飢饉(ききん)・疫癘(えきれい)・水害・台風、様々なことが書かれています。
 しかしながら、もっと突っ込んで、この災害によって庶民がいかなる苦しみにあったのか、どういう状況で生きていたのかということにつきましては、これは『吾妻鏡』では分からないわけであります。
 災害時の庶民の様子を記録したものは、大聖人がお生まれになる1222年より10年ほど前になりますが、1212年に、鴨長明(かものちょうめい)(「かものながあきら」とも読む)が『方丈記』を書いております。この『方丈記』の中に、この頃の様相というものが詳しく書いてあります。
 以下に、かいつまんで当時の様子をお話しします。

・ 養和(ようわ)の飢饉(ききん)の時、諸国の民は、ある者は土地を捨てて国境を出て放浪し、ある者は家をかえりみず山に住む。
・ さまざまな御祈祷がはじまり、特別な秘法などが行われるが、まったく効果がない。
・ 都(みやこ)は、何事も田舎に頼っているのに、何も運ばれてこないので、がまんできず、さまざまな財物を食糧と交換しようとするが、誰も目にとめようとしない。
・ たまたま交換する者は、金銭の価値を軽くし、穀物の価値を重んじる。乞食は路上に増え、悲しむ声は耳に充満した。
・ 翌年は立ち直るだろうかと思っていると、立ち直るどころか、その上に疫病(えきびょう)までが重なって、いっそうひどい状況となり、何もかもだめになった。
・ 世間の人々は皆飢えきっており、日が経つにつれて行き詰っていくありさまは、「少水の魚」のたとえにも等しい。
・ ついには、笠をかぶり、足を包んで、よい身なりをした婦人までが、一途に家々に物乞いをして歩いている。
・ このように困窮(こんきゅう)した人々が、今歩いていたかと見れば、いきなり倒れてしまう。土塀の前や道端には、飢え死にした者らの数が計り知れない。
・ 死体を取りかたづける術もなく、死臭があたり一面に充満し、むごたらしくて目も当てられない。
・ まして、河原などは死体の山で馬や牛車が通れる道さえない。
・ 身分の低い農夫や木こりも気力が失せて、薪さえ乏しくなっていき、頼るところがない人は自分の家を壊し、それを市に出して売る。
・ どうしようもなくなった者が古寺に行き、仏像を盗み、堂の中の仏具を壊して取ってきて、割り砕いて売り出す。
・ 濁りきった末法の世に生れあい、このような情けない行いを見てしまった。
・ しみじみと感動することもあった。お互いに離れられない夫婦は、その愛情が深いほうが必ず先に死んだ。なぜなら、わが身は二の次にして相手をいたわるので、ごくまれに手に入った食べ物も、相手に譲るからだ。だから、親子となると、決まって親が先に死んだ。
・ 権勢のある者はあくまで欲が深く、頼る人が少なく勢力のない者は人に軽蔑(けいべつ)される。財産があると心配が多く、貧しいと嘆きが大きい。
・ いったい、どんな場所に住んで、どんな仕事をしたら、少しの間でもこの身を安住させ、心を休めることができるのだろうか。
・ 総じて、生きにくいこの世をがまんしながら過ごしてきて、心を悩ませながら三十余年が過ぎた。その間、折々のつまずきを経て、自分のはかない運命を悟った。そこで、五十歳の春を迎えて、出家して俗世間を離れた。

 一部分だけ列記しましたが、度重なる災害に、人々が打ちのめされ、無力感と絶望感に覆われている様が見て取れます。
 幕府も諸国に国家安穏の祈祷を命じるのみで、抜本的な手は打てないでいました。
 弘長元年(1261年)、幕府は「病者、孤子(こし)(みなしご)、死屍(しし)を路辺に捨てる」ことを禁じています。
 また、捨てられた病人を無常堂に収容することも定めています。(無常堂は、由比ヶ浜にあった無縁の病人を収容する終末医療施設)
 こうした末法の様相の中で『方丈記』が書き終わる十年後に、大聖人が御誕生になるわけであります。
 まさしく末法の五濁悪世(ごじょくあくせ)という中に、大聖人が御誕生になったのです。
 そうした末法の世相の中で、人々は災害に追われ、生きることに疲れ果てる。そういった生活がうかがえます。
 そうした中では、念仏の西方浄土(さいほうじょうど)しか自分の望むところはない。極楽安穏(ごくらくあんのん)な世界はそこだけだ。この世界は苦しみの充満する娑婆世界(しゃばせかい)であり、また今は希望が持てない末世だ。そういう考えが人々の間に広がって、ますます念仏が流布する。
 そしてその念仏が広まることによって、諸天善神が去り、ますます災害が起こってくる。こういう悪循環(あくじゅんかん)の中にあるのが末法の始め、鎌倉時代の様相なのでありました。
 この末法とは、単なる五濁悪世、時代が悪いということではないのです。末法ということは、もう現存している仏法や他宗教の何をやっても救われない。そうした時代であると言えます。
 単に災害が続くということのみが末法の様相総てを表すわけではありません。故に念仏・真言・天台・禅・律のあらゆる仏教をはじめ、いかなる宗教であろうと、救うことが出来ないというのが末法というわけであります。
 そうした末法に大聖人様が御誕生になって、『立正安国論』を説かれて、幕府を諌暁(かんぎょう)し、正しい法を立て、この世を安穏にする方途を示されたこと自体、大変な意義を持っていると思うのであります。

 【大聖人様の体験された災害】

 さて、大聖人様が『立正安国論』の奥書の中で、
正嘉元年の地震によって「これを勘(かんが)う」というようにありますように、『立正安国論』を著される直接の動機となったのは、正嘉元年の大地震でありました。
 吾妻鏡には『8月23日鎌倉大地震 社寺一宇も残さず倒壊』と記されており、
 大聖人様は、「安国論御勘由来(ごかんゆらい)」にて、

『正嘉(しょうか)元年太歳(たいさい)丁巳(ひのとみ)八月二十三日戌亥(いぬい)の時、前代に超えたる大地振(だいじしん)。』(御書370頁)

と仰せであります。
 『吾妻鏡』には、非常に多くの地震が記録されています。その中で、とくに激しかったのが正嘉元年8月23日(1257年10月9日)におきた大地震です。
 『午後8時頃(午後7時から9時までの間)、大地震があった。音をともなっていた。神社仏閣で無事なものは一つもなかった。山は崩れ、人びとの住まいは転倒した。土塀もすべて壊れ、所々で地面が裂け、水がわき出した。中下馬橋(なかげばばし)のあたりでは、地割れから炎が燃え上がった。色は青かったという。』(意訳)
 『理科年表』(国立天文台編)所載の被害地震年代表によれば、マグニチュードは 7・0〜7・5、震源は北緯35.2度、東経139.5度、相模湾内部、江ノ島の南約 10㎞です。この推定が正しいとすると、鎌倉の目と鼻の先で大地震が発生していたことになります。
 地震学が進歩した今日の予知や発達した情報網、防災完備の建築技術のレベルの高さを考えると、当時の被害状況と単純に比較はできませんが、当時の記録文書は、「八月二十三日の地震」がいかにすさまじいものであったかを物語っています。
 その結果、『立正安国論』の冒頭で仰せの   

「旅客来りて嘆いて曰く、近年より近日に至るまで天変地夭(てんぺんちよう)・飢饉疫癘(ききんえきれい)・遍(あまね)く天下に満ち広く地上に迸(はびこ)る、牛馬巷(ちまた)にたおれ骸骨路に充てり、死を招くの輩既に大半に超え悲しまざるの族(やから)敢(あえ)て一人も無し」(御書234頁)

との状況になります。
 ここで、日蓮大聖人が宗旨建立をされた建長五年(1253年)から、立正安国論を御提出された文応元年(1260年)までの七年間に発生した天変地妖等を、参考までに列挙(れっきょ)致します。

・建長五年(1253年)六月十日  鎌倉大地震
・建長六年(1254年)一月十日  鎌倉大火
・建長六年(1254年)五月九日  鎌倉大風
・建長六年(1254年)五月十一日  京都大地震
・建長六年(1254年)七月一日  鎌倉大風雨
・建長七年(1255年)二月十二日  東大寺坊舎等焼失
・建長八年(1256年)八月六日  鎌倉大風・洪水の後に、疫病流行
・康元二年(1257年)二月十日  太政官庁焼失
・正嘉元年(1257年)八月一日  鎌倉大地震
・正嘉元年(1257年)八月二十三日  鎌倉大地震、鎌倉社寺一宇残らず倒壊
・正嘉元年(1257年)十一月八日  鎌倉大地震
・正嘉二年(1258年)一月十七日  鎌倉寿福寺等焼失
・正嘉二年(1258年)八月一日   諸国大風、田畑大被害
・正嘉二年(1258年)十月十六日 鎌倉大雨・洪水
・正元元年(1259年)春  大飢饉・大疫病発生
・文応元年(1260年)四月二十九日  鎌倉大火
・文応元年(1260年)六月一日  鎌倉大火・洪水
・文応元年(1260年)春〜夏  大飢饉・大疫病発生

 そうした途切れることのない災害の中にあって、食糧のこと一つ取って考えてみても、大変厳しい状況下にあったのではないかと思います。世の中自体が食べ物の無い時代ですので、ましてや僧侶に供養するのは二の次の話だと思うのです。
 また自給自足の生活をするといっても、大聖人様は寺院を構えているわけでも、土地を持っているわけでもありません。
 また身分が低い者は常に虐(しいたげ)げられるというのが常であります。この当時、奴卑(ぬひ)と呼ばれた小作人は、土地も財産もなく下働きをし、売買されていました。
 そうした中においては、大聖人様が大変ひもじい思いをされたであろうというように推察する次第であります。今でさえ、人々が風評に右往左往し、水や食料を買い漁っています。
 他人のことなど考えられない状況下にあっても、大聖人様は災害の根本原因を究明し、正法を立てるという御精神を本当に尊く拝するものであります。
 そうしたことが、毎年お会式に拝読いたします
宿屋左衛門(やどやさえもん)に対する『申状(もうしじょう)』の中にも、
 

「君の為、国の為、神の為、仏の為」(御書370頁)

と、御自身のことよりも、主君、国家、諸天善神、また仏のために申すというところに、『安国論』の御精神があると思う次第です。

 【法華守護の諸天善神】

 大聖人は、『諌暁八幡抄(かんぎょうはちまんしょう)』に、
 

「経文の如くんば南無妙法蓮華経と申す人をば大梵天、帝釈、日月、四天等、昼夜に守護すべしと見えたり」(御書1543頁)

と、『法華経』の「安楽行品」・「神力品」の文に立脚した上で、御指南あそばされています。
 今まで述べたように、大聖人様の御在世当時、大変な疫病が鎌倉を中心にして蔓延(まんえん)しました。その時に、やはり大聖人様の門下、この信心を貫く人に、ほとんどその疫病の被害がなかった。そのことに対して、大聖人様は『治病大小権実違目(じびょうだいしょうごんじついもく)』という御書の中に、
 

「いかにとして候やらん彼等よりも少なくやみ、少なく死に候は不思議にをぼへ候、人のすくなき故か又御信心の強盛なるか」(御書1237頁)

ということを言われまして、念仏や真言禅宗の人達よりも、この大聖人様の弟子一門に連なった人びとは、そういう被害にあった方も少なく、この妙法の行者は強く守られたのだということを説かれておられます。
 確かに、あれだけの被害・死傷者が出た今回の地震でありましたが、消失した寺院、御本尊様はありませんでした。仏天の加護としか考えられませんが、無邪気に喜んでもいられません。残念ながら命を落とされた多くの方の中に法華講の方もいらっしゃいます。
 そうした災害や諸難、苦しみ、悩みと申しましても、この妙法を行ずる者にも絶対にないとは言えないのです。
 なぜかと申しますと、諸天善神の中にも、善神もあれば、また鬼神もあるわけです。この信心を貫くことが出来ない、また信心を蔑(さげす)み、信心を笑う人に対しては、法華誹謗(ほっけひぼう)の罪障(ざいしょう)は必ず出てくるのです。
 反対に、妙法を行ずる人であっても、ある程度の諸難というものはあります。しかし、一方は罪障が段々、雪だるま式に増えていくのに対して、こちらの方は悪鬼魔神を打ち破るための諸難なのであります。そこの違いを良く知って頂きたいと思うのであります。
 この妙法の信心をどこまでも正しく全うする人の身の上に、諸天善神は敢然(かんぜん)として、その両の肩の上にあるということを確信していただきたいのであります。そして謗法の神社、仏閣、世の中の一切に充満している悪鬼、魔神を打ち破るということも、また大切なことであります。
 要は、私達の強い妙法に対する一念心が、総ての悪鬼を、また善鬼に変える力があるのだということを確信していただきたいと思います。

 【我々の使命】

 末法の御本仏宗祖日蓮大聖人様は『立正安国論』の中で、災難を除くためには、当時、もっとも流行していた念仏を断ち、真実の正法に帰依することが肝要であると説かれました。
 いくら鎌倉時代よりも時代が進んだといえ、平成の世であっても末法に変わりはありません。
 大聖人様の御金言は、今でも厳然と生きています。周知のように、現在の日本の政治は政権交代したものの、国政はさらなる混乱の様相を呈しております。
 また昨年からの尖閣諸島北方領土の問題など、謗法の害毒が音を立てて私たちに迫ってきている現状があります。
 また、災害・疫病が無くなるわけでもありません。今回の地震津波によって、地元では「万里の長城」と言われ観光名所にもなっていた「スーパー堤防」が簡単に決壊しました。さらに、人々は放射能に怯え、右往左往しています。
 大聖人様は『撰時抄』のなかで、 

「今生にはさせる失(とが)なし。但(ただ)国をたすけんがため、生国(しょうごく)の恩をほうぜんと申せしを、御用ひなからんこそ本意にあらざる」(御書868頁)

と仰せになられております。
 すなわち「大聖人が折伏を実践されたのは危機に瀕した日本を絶望の底から救い出したい、生を受けた国土の恩に報いるためである」との尊い御精神を拝せられます。
 大聖人は立正安国実現のために国家権力に恐れることなく、多くの人に法を説き、唯一無二の正法を広められたのであります。
 信仰は、奇跡でも手品でもありません。実践が最も大切なのです。我々の信心も大聖人様の御本尊様を持ったからといって、もう何事もない、全く無風状態になるかと言うと、そんなことの上で信心を貫いても何の意味もないのです。やはりそこに苦悩がある。辛いこともある。それを凌(しの)いで見せるところに、妙法を貫く者の値打ちがあるわけです。
 そこを良く考えて、どんなことがあっても、そういうことに紛動されない。強い一念心を持って、気概を持って乗り越える。そこに必ず諸天善神の大きな守護と、大御本尊様の御加護が絶対あるということを確信して頑張って頂きたいと思います。
 今回の災害を受けて、皆さんもそれぞれお考えのことと思います。
 インターネットなどで「この大災害の理由は邪宗教によるものです。この機会に、邪宗教の恐ろしさを認識されて、真実正しい宗教である日蓮正宗に帰依することをお勧めいたします。」とする書き込みを見かけました。それに対し「人の不幸に乗じて布教活動するな。」と激しく非難されていました。しかしこの人は、「私を批判した人は地獄に堕ちます。」と言い放っていました。
 教学的に間違っていないかも知れませんが、慈悲も感じられず、法を下げる行為であります。こういう輩を日亨上人は

「内に世相を無視して宗熱に突喊(とっかん)(意味 一気に突き進む)する似非信行(えせしんぎょう)の門徒」(富要9ー247)

と破折されております。
 御法主日如上人猊下は昨年、

「今こそ我々は、一切衆生救済の秘法たる大聖人の本因下種の仏法をもって、世のため、人のため、真の世界平和実現を目指して立ち上がり、憂国の士となって折伏を行じていくことが重要課題である」(大日蓮・平成二二年二月号) 

と御指南あそばされました。
 すなわち、この危機的状況にあるこの世を、折伏をもって正常化するために、我々一人ひとりが憂国の士となって、慈悲の折伏を根本に闘っていかなくてはならないということであります。
 この御指南は一昨年の御指南でありますが、まるで今のこの日本の状況を鑑みられたかのような御教示であります。
 我々は、どこまでも御法主上人の御指南に添い遂げてるべく、精進して参りたいと思います。
 この度の罹災(りさい)された方々、そしたまた、甚大な被害に遭った地域の皆さんの復興を心から御祈念申し上げると共に、われわれが今成すべき事を再確認し、共々に完遂して参りましょう。

慈本寺様HP「御住職の法話」から転載させていただきました。

ブログ管理人ポリ銀の感想

なぜ、今になってこの御法話を掲載させていただいたかと申しますと、まもなく非常に強い台風19号が四国を襲おうという前夜であるからであります。

明日、明後日の私が健在であるかどうか分かりません。我が家も無事であるかどうか分かりません。妻子ともども無事であることを、大聖人様に御祈念申し上げるばかりの境遇であります。

本年は台風・土砂災害・火山噴火と災難続きの一年でありました。

私の住む四国では、真言宗四国八十八か所1200年祭があり、全国から大勢の遍路が四国に参集しました。真言亡国との大聖人様の御言葉通り、真言宗の活動が盛んであることに呼応するかのごとく、我が地域でも大洪水の被害が出ました。

そして10月の中旬に巨大台風の襲来でございます。

これほど台風に怯えたこともございませんでした。

幸いにも明日は会社が休みでございます。どのような結果が待ち受けていようとも、日蓮大聖人様を信じ、祈りつくそうと思います。

所詮、最後は祈ることしかできないとのが、人間でございます。

どうかこのブログを読んで下さっている方がたも、台風19号からの被害を逃れられますよう、お祈り申し上げます。