目先の欲に囚われる愚かさ (慈本寺様HPから)

名聞名利は今生のかざり、我慢偏執は後生のほだ(紲)しなり。嗚呼恥ずべし恥ずべし、恐るべし恐るべし。

 目先の欲に囚われる愚かさ
                                
 現在は、100年に一度の不況と言われており、景気の低迷・デフレスパイラルによって出口が見えず、倒産・リストラ・賃金カットなどが日常的に行われています

アメリカのリーマンショックが引き金だとも言われていますが、結局は目先の利益を過剰に追い求め、国民も安易にお金を借りて消費を拡大していったツケが一気に廻ってきた結果だと思います。
 日本でも、「ウチにお金を預ければ、金利が年に○割付きますよ」というあり得ない話に飛びつき、未だに多くの人が騙されています。いつから人々は目先の欲に振り回されるようになったのでしょうか?
 個人的に嫌いな、人心の荒廃を象徴する言葉で、最近よく使われる「勝ち組・負け組」があります。色んな場合に使われています。例えば、年収であったり、正社員かどうか、結婚しているかどうか、子供がいるかどうかなどです。
 人は、自分より下に見ることが出来る人間を捜し出し、「あの人より私はまだいいほうだ」などと優越感・安心感に浸っていたいようです。


 先日テレビで、明治維新後の武士が、何を考えどのようにして生活していたかという内容の放送をしていました。

 今の、混沌とした日本の状況と非常によく似ており、過去を振り返って何かヒントを捜そうという企画でした。

 その番組の内容をお話したいと思います。

 まず、明治維新とは「大政(たいせい)奉還(ほうかん)」「王政(おうせい)復古(ふっこ)」「四民(しみん)平等(びょうどう)」「富国(ふこく)強兵(きょうへい)」に象徴されるように革命であり、日本史上未曽有の政権交代と言えます。

明治維新で一番困ったのが、特権階級の武士でした。地位を失い、仕事も失い生活が成り立たなくなったのです。

江戸末期の日本の人口は3500万人で、武士や家族はその一割でした。日本人の10人に1人がリストラされた格好になります。

武士も不平ながら、生活のために商いをしましたが、大半はプライドを捨てられず失敗を重ねたようです。これらを「武士の商法」と人々からも馬鹿にされたようです。

 今では慣用句になっており、調べますと「明治維新以後、武士であった者が商売をしても、威張ってばかりいて失敗することが多かったことから、商売の遣り方が下手あるとことの喩え。」と出ています。

 そんな中、成功した武士もいました。

 津軽のリンゴ・東京の牛乳なども武士が始めたそうです。今では全く想像も出来ませんが、麹町や赤坂には武士の経営する牧場があったそうです。
 成功した武士は何が違うのか?成功の秘訣は何か?ということで、まず山形の庄内藩の話がありました。
 山形は明治4年に藩が消滅しました。県庁職員に数人はなれても、藩から俸禄(ほうろく)をもらっていた1万人が職を失ってしまいました。

元武士達が広大な原生林の開墾(かいこん)から始め、桑畑や養蚕(ようさん)を一から造り上げました。

当時生糸は日本にとって最大の輸出商品でした。

開墾は明治5年から始まり、すべての若手藩士3000人が集まりました。

徳川藩と縁の深かった庄内藩は戊辰(ぼしん)戦争で敗れ、朝(ちょう)敵(てき)にされてしまいました。賊軍という汚名を何とか晴らさなくてはならないという思いからの開墾でした。

生計の為だけで行った事業ではありませんでした。開墾した数年間は給料もなく、言わばボランティアでした。生糸を作り、新政府・日本の将来に貢献することが大きな目的だったのです。

武士の命と言われた刀を鍛冶屋に持ち込んで鋤や鍬に変えました。庄内藩には学校があり、江戸時代20年の長きにわたって武士は勉強したそうです。

この藩の凄いところは、家柄にかかわらず成績の優秀な者が、藩に登用されたそうです。また生活態度・勉強態度・人倫も重んじていたそうです。

大きな目的と理念があったからこそ、3000人がまとまって、180度違う仕事が出来たのだと思います。

『開墾場(かいこんじょう)綱領(こうりょう)』という、この大事業の理念が紹介されており、要約しますと、

・徳義(とくぎ)を本とし産業を興して国家に報じ、天下の模範となるべし

・正しく生きて協力し合い精を出すべし

・先祖の勤労の功を思って、創業の目的を完遂すべし

とありました。

『仕事の利益は自分の損得だけで追求するモノではない。孔子曰く「利によりて行えば則ち怨(うら)み多し」利に溺れる者は、災難が前にあっても気付かず、破滅が後に潜んでも悟らない』という一人の従事者の日記が紹介されていました。

私はこの放送を見て、教育・理念の重要性を痛感しました。
 次に、愛知養鶏の基礎を築き、名古屋コーチンを生み出した、尾張藩の元砲術(ほうじゅつ)師範、海部壮平という人の紹介がありました。

 尾張藩武家屋敷では、生活が困窮し、庭を畑にし、内職に励むなど、職人街のようだったそうです。

海部さんは、百姓にもどって養鶏場を営むことにしました。養鶏を営む際、家に伝わる兵法が役立ちました。

 『時を延ばす事は悪しきなり』
 文明開化の世の中では、食肉や卵の需要が増えると思い、思い切って事業に踏み切りました。

 『海原を泳ぐ者水になれ』(水に同化するほど慣れ親しめば泳げるようになる)

 元々放し飼いの鶏が、養鶏場ではストレスで卵を産まなくなりました。海部さんは鶏の気持ちになり、雛の時から放し飼いにせずに育てた鶏は、ストレス無く鶏舎で過ごすことを発見します。

 砲術師範は、鉄砲の制作から打ち方まで教えるので、相当の科学知識と技術があったそうです。餌の配合などで、今の養鶏の基本が確立されていました。鶏糞を肥料として売り出したのも海部さんでした。

 仕事が軌道に乗り収入が増えると、周囲に養鶏は儲かるからと話し、ひなをタダであげて飼育の相談にも乗りました。

 これは、なかなか出来るものではありません。普通の人は自分の利益を上げる事しか考えつきません。養鶏場と言いますと、数年前に鳥インフルエンザが流行したときに、病気を隠し通そうとして大問題となり、結局廃業・自殺にまで追い込まれた方をどうしても思い出してしまいますが、食品偽装で老舗(しにせ)や大企業があっという間に倒産に追い込まれた事が多数ありました。

 その後、海部さんは鶏コレラで全滅してしまうという最大のピンチを迎えます。 この時も、家に伝わる兵法の、

『的(まと)前に己(おのれ)無し』(自分の我を捨てて的に対峙すれば当たる)を思い出します。

そして、無私になろう。儲けよう、鶏を増やそうということに囚われていたと反省するのです。そして、近所にあげた鶏を分けて貰い再出発しました。

 病気に強い鶏を作ろうと試行錯誤の末、名古屋コーチンを作りました。この鶏は病気に強く育ちやすい。また、大きな卵を産むという理想の鶏でした。
 番組の最後は、渋澤栄一さんの話でした。幕臣の一人で、士魂(しこん)商才(しょうさい)を謳(うた)い、王子製紙日本郵船・造船所・第一国立銀行東京証券取引所など500もの企業を立ち上げた方です。

 渋澤さんの講演内容は今でも残っています。勉学と人柄で、将軍に仕え、明治政府でも大蔵官僚を務めるなど人物ですので、言うことが違います。

・もし自分さえ徳をすれば他はどうでもよかろうと利益を追求すれば、一体どうなってしまうか考える。

・道徳上、きちんとした振る舞いがなければ、自分自身の繁栄や豊かさも永続しない。

・その日その日を無難に過ごせればそれでいいという風潮は、国家社会にとって最も痛嘆すべき現象。一人一人が当事者意識を持って変わらなければならない。

などが挙げられます。

明治の財閥創始者と大きく異なる点は、「渋沢財閥」を作らなかったことにあります。「私利を追わず公益を図る」との考えを、生涯に亘って貫き通し、後継者の敬三にもこれを固く戒めたそうです。
 私はこの放送を見て、日蓮正宗と似ている点を多く感じました。

まず、世襲制ではなく全ての僧侶は得度試験を合格しなければなれないこと。その試験自体もどこまでも平等です。

小僧さんの場合、中学一年生から親元を離れて修行します。六年間は親元へ帰ることも許されません。

また、高校生から本格的に仏法の勉強をし、大学で更に深く学び、その後教師になっても学林というところで10年間勉強をします。

その都度、論文や試験があり、これらをクリアーしなければ落第です。さらには、毎年、講習会で猊下から毎年甚深の御講義や御指南を賜ります。

お寺は全て日蓮正宗の財産であり、住職の任命権も御法主上人にあります。ですから住職が私腹を肥やそうという事も無く、一般的なお寺のように、そこの住職が死んだら、何の修行もしていない息子がいきなり袈裟衣をつけて住職になると言うことは有り得ません。
 人事も家柄にとらわれず、優秀な方・徳のある方が採用されます。常に正宗の僧侶は、大御本尊様・猊下様の元、令法久住と広宣流布を願っていますので、悪縁によってまれに脱落する人もいますが、よくまとまっており、大変なお寺は皆で助け合うという制度も確立され、清々しい集団だと思います。

御隠尊日顕上人は弟子に対し『道心の中に衣食あり、衣食の中に道心なし』と御指南下さったことがありました。

これは、我々僧侶だけでなく、皆様にも通じる事だと思います。明治の武士達も、私利私欲を捨て、国のためにとか、皆で良くなるためにという高い志を持って懸命に働きました。

我々の道心とは仏道修行であり、勤行唱題と折伏に尽きます。私達日蓮大聖人様の教えを信ずる者は、この法を弘めることこそ、恒久的な世界平和と何ものにも壊せない仏国土の建立につながることは、理屈では理解しているはずです。

ですから、あとは実践あるのみです。

人が生きていくため衣食は必要であり、我が身を守る唯一の財となります。

日蓮大聖人は『白米一俵御書』に、

「人にも二つの財あり。一には衣、二には食なり。(中略)人は食によって生あり、食を財とす。」(御書一五四四㌻)

と仰せです。生命を維持するため必要な衣類と食物が財となることを御教示です。

さらに大聖人は同抄に、

「いのちと申す物は一切の財の中に第一の財なり。(中略)財あるも財なきも命と申す財にすぎて候財は候はず。」(御書一五四四㌻)

 と仰せのように、蔵の財があってもなくても人の命の財には遠く及びません。

また大聖人は『崇峻天皇御書』に、

「蔵の財よりも身の財すぐれたり。身の財より心の財第一なり。此の御文を御覧あらんよりは心の財をつませ給ふべし。」(御書一一七三㌻)

と仰せであります。蔵の財となる財産・財宝・家財よりも、身の財はすぐれており、身の財よりも正しい仏法を求める心、御本尊様を慕(した)い渇仰(かつごう)する心である信心が一番大事であると御教示です。
 「心の財」を積むとは、無上道を得るための信心修行を怠ることなく一生懸命に勤めることであり、勤行唱題と折伏に精進することです。


具体的な心の財とは、正しい仏法を学ぶことで知ることができます。信心修行で積むことができる無上の財を心の財といい、六根清浄の功徳、成仏につながる尊い心(求道心・慈悲)であり、心の財を寺院へ参詣して積むことができます。

自ら行動を起こして率先し寺院へ参詣して心の財を積むことが非常に大事であり、心の財を多くの人に積むことができるよう布教活動の折伏があります。

蔵の財よりも心の財が第一となり、心の財を積むための根源が御本尊様です。

つまり御本尊様が一番最高の財となり、御本尊様と向きあう時間を多く持つことが心の財を積むことになります。 
 このように、私達は目先の利益より、大切なものがある事を知っています。ですから我々は「勝ち組か負け組か」と言われれば、勝ち組です。しかも、過去の先祖も救い・現在の罪障も消滅させ、来世は善処(ぜんしょ)に生まれると約束されていますので、これほどの勝ち組はおりません。

ただし、我々はそれに驕(おご)ることなく、常に慈悲の心を持って生活して参りましょう。

慈本寺様HPの御住職の法話から転載させていただきました。