宗門 が本山を観光地化して一般の参詣者からの供養を得ようと決定したという嘘

《学会の戯れ言》
 戦後、財政難に陥った宗門は本山を観光地化して信徒のみならず、一般の参詣者からの供養を得ようと決定し、当時から本山外護の功労者であった戸田第二代会長に相談されますが、戸田先生は日蓮大聖人の御精神に反して、信仰心の欠片もない物見遊山の観光客を立ち入らせることで本山が荒れることに深く憂慮され、強く反対されました。そしてより一層、宗門を財政面から支えるために、創価学会員による総登山(月例の登山会)を企画しました。
 戸田先生の時代から学会は組織的に本山を経済的に、また様々な形で外護してきたのは紛れもない事実です。


 【破折】
 《宗門が本山を観光地化して一般の参詣者からの供養を得ようと決定したという嘘》
 「富士北部観光懇談会」
・昭和25年11月23日に総本山客殿で行なわれた。
・本山側からは、堀米宗務総監(後の第65世日淳上人)、細井庶務部長(後の第66世日達上人)などが出席され、地元からは富士宮市長、記者団などが出席している。
 この席で日淳上人は、

『近来、観光に付いて社会ではいろいろと施設や計画が進められているが、当本山として、今までそうゆう事には無関心のごとく見られていた。今後は清浄(しょうじょう)なるこのお山をけがすことなく世道人心(せどうじんしん)に益(えき)したい』(第65世日淳上人『大日蓮』昭和25年12月号)

と仰せになられた。
 あくまでも「清浄なるこのお山をけがすことなく」を前提に、「世道人心に益し」ていくことを目的としていたのであるから、邪宗教のごとく、一般の人々から賽銭(さいせん)や御開帳料を取ることなどありえない。


◆「会議」当日の新聞記者たちの提言
1、建物その物が国宝的に準ずる。
1、要所々々には立札を立て説明を付けてもらいたい。
1、 観光道路を大々的に改修する、とくに黒門までの道路を早急に改修し、大石寺は総門からと考へるべきだ。
1、三門から入って塔中手前までの間を庭園化する必要がある。
1、桜は全国的と云はれ、自然のまま保存されたい。
1、三門付近で観光客案内所をおく必要がある。
1、 五重の塔があることは知られていない。自動車の車窓より見える様に研究されたい。遠くから見るところに価値があると思われる。
1、観光客に対しての宿泊の設備を考えられたい。
1、 三門から本堂に至る参道は恐らく日本一を誇り得ると思ふ、この点十分に保護し古色をこわさぬ様にお願ひしたい。 (『大日蓮』昭和25年12月号)

※あくまでも本宗の教義・信条とは無関係な、一般人としての「要望」でしかなく、この「観光懇談会」の「提言」をもって、本宗を攻撃するのは、まったくの筋違いである。
 本山側は、拝観料を取ろうなどと思ってもいないし、記者団のそういった記述も無い。
 また、他宗の人々が観光のためとはいえ、本山に参詣することは謗法ではない。むしろ正法に縁を結ばせることになり、布教の契機ともなるのである。
 第9世日有上人は『有師化儀抄』にて、
 

『法花宗の御堂なんどへ他宗他門の人参詣して散供まいらせ花を捧くる事有り之れを制すべからず、既に順縁なるが故なり、但し大小の供養に付いて出家の方へ取り次ぎ申して仏聖人へ供養し申せと有らば一向取り次ぐべからず、謗法の供養なるが故に、与同罪の人たるべし云云。』(『富士宗学要集』第1巻75頁)

と仰せである。
  学会は、「学会の登山会が、本山の困窮を救った」などといっているが、この懇談会が行なわれたのは、昭和25年11月であり、学会の登山会が始まったのは、その2年後の昭和27年10月からである。この2年間のズレを考えても、「観光懇談会」と「登山会」とは、まったく関係ないものであったことがわかるのである。
 窮乏→観光地化→謗法、というのは学会の邪推でしかない。また、本山は登山会がなくとも、貧乏は貧乏なりに正法を伝持したはずである。そのことは、『人間革命』に当時の御僧侶が、生活苦と闘いながらも正法を護持された姿が描かれている。
 

『ただでさえ、食糧難の時代である。本山の僧侶達は、確保した2町歩余の土地で開墾にいそしんだ。時の来るのを待ちながら......。誰人が、止めようが、新しい栄光の時代が来ることを強く信じて......。 自分達の食料確保のためにも、本山護持のためにも、慣(な)れない鋤鍬(すきくわ)を振るったのである。来る日も、来る日も、百姓仕事である。いつしか、百姓が日課となっていた。
 たまたま、参詣の信徒が登山して来た日、そして御開扉のある時は、番僧が塔中をふれまわった。それは、月に多くて数回のことである。その日の午後は、農耕は休みとなり、みなほっとして、僧侶であったことを、しみじみと思い出すのであった。(中略)
 私は、常に感謝し、そして思う。今日の宗門の大隆盛と学会の大発展を......。そして、当時、苦難と戦い、深く強い礎(いしずえ)と、柱を築いてくれた僧侶、先輩の尊い努力と信心を...』(『人間革命』第2巻「光と影」)

 かつて戸田会長は、
 

『なんといっても、御本山に登り、親しく大御本尊様を拝まなくては、本物の信心にはなれない。こんなありがたい御本尊様を、わずかな御開扉供養で拝むことのできるのは、当本山であればこそであり、まことにもったいないことである。』 (『戸田城聖全集』第3巻490頁)
 『私のいうことを忘れずにいてほしいのは、信心を基調にして、折伏することと、お寺を大事にすることと、御本山へ尽くすことは当たり前のことなんだからね。それが自慢のようになっては、もう、信者としては資格がない』 (『戸田城聖全集』第4巻237頁)

と指導していた。
 「登山不要」を唱える今の学会は「本物の信心」ではないということになる。過去の御供養の額の大きかったことを持ち出して、宗門を「恩知らず」のごとく罵る学会は、御供養の精神がまったく分かっていない。今の学会が「信者としては資格がない」ことは明白である。


 【学会員への質問】
質問一
 『なんといっても、御本山に登り、親しく大御本尊様を拝まなくては、本物の信心にはなれない。こんなありがたい御本尊様を、わずかな御開扉供養で拝むことのできるのは、当本山であればこそであり、まことにもったいないことである。』 (『戸田城聖全集』第3巻490頁)
との、戸田会長の指導をどう思われますか?
質問二
 『私のいうことを忘れずにいてほしいのは、信心を基調にして、折伏することと、お寺を大事にすることと、御本山へ尽くすことは当たり前のことなんだからね。それが自慢のようになっては、もう、信者としては資格がない』 (『戸田城聖全集』第4巻237頁)
 との、戸田会長の指導をどう思われますか?
質問三
 過去の御供養の額の大きかったことを持ち出して、宗門を「恩知らず」のごとく罵る学会は、御供養の精神がまったく分かっていないのではないですか?
そういう命を慢心であると学会では指導しないのですか?
質問四
 本山の観光化と言っても、地元から、「素晴らしい境内で、貴重な宗教施設も多いので、一般人にも開かれた大石寺になってほしい。」という要望があり、日淳上人は、「今後は清浄なるこのお山をけがすことなく世道人心に益したい」と述べられています。
 観光地化し拝観料を取ろうなどという思惑はありませんでした。学会の言い分はおかしくないですか?
質問五
 人間革命には、戦後、農地解放により大石寺は困窮しましたが、僧侶は畑を開墾され、生活苦と闘いながらも正法を護持された姿が描かれています。あなたはこれをどう思いますか?
質問六
 かつて池田氏は、
 『登山会は、日蓮大聖人様のまします霊鷲山への参詣であり、さらに日興上人・日目上人等、三世諸仏の住処であり、われらが真如の都である、久遠元初の故郷へ還(かえ)ることなのである。 このように、学会の登山会は、極めてその意義が深いのであるから、軽々しく考えてはならない。』 (『大白蓮華』昭和38年10月号の巻頭言)
と指導していました。あなたはどう思いますか?