顕正会は御本尊様を十二分に保有しているとの虚言を破す

【邪説の主意】
顕正会が将来全国展開するための、各地方拠点に安置する御本尊は十二分に、故・松本日仁御尊能化より託していただいている。



(1)「顕正会で護持している御本尊は、すべて日蓮正宗妙縁寺住職・松本日仁尊能師より授与され、私が護持申し上げてきたものである。(中略)妙信講に解散処分が下されたとき、私は松本尊能師に将来の広布推進のため、御本尊を大量に御下げ渡し下さるよう願い出た。松本尊能師には私の意をよくお聞きくだされ、自ら護持されていた大幅の常住御本尊七幅と、日寛上人書写の御形木御本尊数百幅を私に託してくださった。この七幅の常住御本尊とは、二十八代日詳上人・五十四代日胤上人・五十五代日布上人・五十六代日応上人・六十代日開上人・六十四代日昇上人等の歴代上人御書写の御本尊であり、このうち日布上人書写の御本尊が高知会館に御安置されたのである」(顕正新聞 S60.3.15号)



(2)「私は数年以内に、全国四十七都道府県に会館を建てる決意をしている。会館こそ一国広布の砦である」(顕正新聞 H14.6.25号)



(3)「また顕正会で格護する日布上人・日昇上人の四幅の導師曼荼羅について等、大事な指導を長時間にわたってなされた」(顕正新聞 H15.2.15号)



(4)「ここに、松本尊能化は、妙縁寺に所蔵するところの歴代上人の御直筆御本尊七幅、それから日寛上人の御形木御本尊、ならびに日布上人の御形木御本尊を多数用意して下さったのであります」(顕正新聞 H11.4.25号)



(5)「ゆえに私は、将来の大規模な広宣流布の戦いに備えて、地方会館に安置し奉る大幅の日布上人の御形木御本尊と、自宅拠点に懸け奉るべき日寛上人の御形木御本尊を、松本尊能化にぜひ用意してくださるよう、敢えて願い出て、これを授与して頂いたのであります。このときさらに松本尊能化は『葬儀のとき困るでしょう』とおっしゃって、日布上人御書写の『大日蓮華山大石寺』の脇書がある導師曼荼羅の御形木御本尊まで、六幅授与して下さったのであります」(顕正新聞 H19.10.5号)



■七幅しかない常住御本尊で36の会館

群馬に会館が落成したとき、浅井は「日布上人(中略)の御本尊がお出まし」(顕正新聞 H19.9.5号)と言っていますが、(1)にあるとおり昭和60年に『高知会館に安置』したはずの日布上人の御本尊が、他県でまたもや登場しているのです。これはどういうことでしょうか。
考えるまでもありません。松本日仁御尊能化より賜ったとされる常住御本尊は七幅のみであり、36ヶ所もの会館に常住御本尊を安置することは不可能であるから、自前で『ニセ本尊』を作成し安置するしかない。そうでなければ、同じ日布上人の常住御本尊が高知と群馬に存在するはずがないのです。
このように、顕正会の会館に祀られている本尊はれっきとした『ニセ本尊』です。
創価学会のニセ本尊と同じく、ニセ本尊には「正法に敵対する魔の用(はたら)き」があります。血脈の断絶したニセ本尊で飾る顕正会の会館は、まさに魔の巣窟なのです。

■存在しない「大幅の日布上人の御形木御本尊」

大幅の日布上人の御形木御本尊なるものは、過去日蓮正宗には存在しない本尊です。いったいどこから発生した本尊であるのか、浅井は説明できるのでしょうか。

■言うたびに数が合わない

浅井は(3)において「日布上人・日昇上人の四幅の導師曼荼羅」と言っていたものが、その4年後の(5)では「日布上人御書写の『大日蓮華山大石寺』の脇書がある導師曼荼羅の御形木御本尊まで、六幅授与して下さった」と言っています。すべて松本尊能化から託されたにもかかわらず、言うたびに数字が合わないのはどういうことなのでしょうか。

■授与書きのない導師曼荼羅

導師曼荼羅とは葬儀の際に掛け奉る御本尊ですが、導師曼荼羅は導師である御僧侶に対して下附されるものであり、御僧侶に対しての授与書きを省略した「御形木の導師曼荼羅」というものは古来より日蓮正宗には存在しません。これはどういうことでしょうか?

■日応上人の常住板御本尊

顕正寺落慶入仏式(昭和53年3月)では、安置御本尊は五十六世日応上人の「常住板御本尊」となっていますが、浅井が松本日仁御尊能化から賜ったというのは「大幅の常住御本尊七幅」であり、日応上人の御本尊も「紙幅」であって板御本尊ではなかったはずです。
つまりこの日応上人の常住板御本尊なるものは、許しもなく勝手に彫刻された「ニセ本尊」であると断ずるものです。さらに、新顕正寺である典礼院安置の本尊は日布上人のものであると公表されていますが、日応上人の常住板御本尊はどこにいってしまったのでしょう。