四十九日の意義と百箇日・一周忌・三回忌までの意義

⑦泰山王(たいざんおう)七七日(なななぬか)四十九日。本地・薬師如来
罪人の来世、生まれるところを定める。

この王の所に行き着くには「闇鉄所(あんてつじょ)」という悪所を越えなければならない。とても狭く細い路であり両側は壁のような岸が続いている。

身を細めてそろそろと進むのだか、とがったギザギザの鉄の壁面にあたりながら身を横にしたり入れ替えたりしつつ通っていかなければならない。
肉や骨を削がれながら息をつめてずりずりと七日七晩かけてやっと大王の前に着く。

「生きてある時、仏法に縁するために、何かしたか。説法法話など聞きにおもむいた事があるのか。正直にありのままを言え。」

これに罪人はこたえて、
「自分の思いのままにすごそうとして、暇を惜しみ修行にも興味を持たず、仏さまの お話を聞きに行くことも他にやる事が多すぎて一度もありませんでした。」

大王は言う。
「今お前が見ているように、ここには、インド、中国、日本はおろか、あまたの国々の罪人が集まっているだろう。この場所にいるという事こそ、もっとも恥ずべき事のだ。見るが良い、群衆が各々、獄卒に打たれ泣き叫んでいるさまの見苦しさを。受け難き人身をたまわりながら、なすべき事を軽んじ忘れ、調子よく我がままに過ごして今ここにいる。これほどの恥がまたとあろうか。・・・・見苦しい。」と。

細くした身をさらに縮まらせ、そして打たれに行くほかはない。

やがて、六の鳥居があるのが見える。順に「地獄」「餓鬼」「畜生」「修羅」「人間」「天上」におもむく門だ。
すべての罪人はこの大王の裁きによって、この門のいずれかをかいくぐる。

この鳥居を出ると、地獄に入るべき者は即座に地獄に行き、餓鬼は餓鬼の住処に行く。他もまた、しかなりである。もしも生きて残る人達の追善が多くあれば、善き門にかわって、善き処に生を受ける。だからこそ四十九日のとむらいは、ねんごろに丁寧におおいに行うべきなのである。

これでもまだ定まらない者は、百箇日の王の所へ遣わされる。             

以下、三回忌までの大王。

⑧平等王(びょうどうおう)百箇日。(ひゃっかにち)本地・観世音菩薩。
与えてさまざまに教化し、かつ公平に罰(ばち)する。難所は鉄氷の河原(鉄氷山)

⑨都弔王(とていおう)一周忌。本地・勢至菩薩
法華経及び阿弥陀仏造立の功徳を説く。光明箱を用いて罪人の罪業をたしかめさせる。

⑩五道輪転王(ごどうりんてんおう)三回忌。本地・阿弥陀如来
衆生の愚痴、煩悩をただす。また八大地獄(恐怖)をあらあら教え、さとす。

以上、大王以下の獄卒までも、歓喜させる妙法を唱えかけられ、丁寧な追善を贈られて、その場で成仏をとげる者は、きわめて、まれではあるが、だからこそいずれの王も娑婆にいる人達の追善によって、本地の如来の慈悲を起こし、成仏の得道に亡者を導くのである。

以上のようなお話を胸に秘め、日蓮正宗で正しい追善回向をして下さいませ。きっと御先祖様を救い歓喜させてあげることが出来るのではないでしょうか。

真偽未決書ということですので、あくまでも仏教説話として受け止めておいてくださいね。