四七日の意義

④五官王(ごかんおう) 四七日(よなのか)。本地・普賢菩薩
妄語の罪をただす。この大王のところに着く前に、大きな江(かわ)がある。名を「業江(ごうこう)」と言う。幅五百里波静か。しかし熱湯である。また猛烈に臭い。
鉄のくちばしのある毒虫がいて、渡り行く罪人に吸い付いてはその身を喰らう。七日七晩かけて大王の前に着く。ここまでの苦しみ、つらさ、むごさに罪人も疲れ果て、ついに、
「いくらなんでも、私の犯した罪業は、これほどまでとは思えません。」と言い放つ。

大王は怒り「なんと無知なのか。心には小さく軽い罪だと身勝手に思うのだろうが、それはそれ、お前の考えにすぎない。しかもその上で我らの裁きに、いわれもなく疑いを持つとは何事か、まあ所詮お前の罪はお前の身の内にためてあるのだから、それを秤(はかり)にかけてみよう。」と言い、「業秤(ごうのはかり)」を取り出して、罪人を片方に乗せる。
もう片方には、巨大な岩石が乗せられている。あれよという間に巨岩の方が跳ね上がる。
そのようすは岩石がまるで、うさぎの毛のあつまりのようだ。獄卒たちが次々に、口汚く
「それ見たことか、それ見たことか。」とあざけり恥かしめる。そして秤から罪人を下ろし、鉄の棒でさんざんに身を打ち砕く。ちりぢりになっても元通りになりまた砕かれる。

「よく聞け。娑婆にいる家族達が、ねんごろな追善をいたしておれば、ここまで来る事もなかったろうに、お前が死んでその後には、自分らの事ばかり考えて、お前の事など、次第に忘れ果ててしまおうとしている。仏説に、置いてきた家族は後世の怨(あだ)だとあるが、まさにこの事だ。しかも我が身を恨むのでなしに、我ら冥官をあなどるとは愚かさも極限である。しかし、仏法に縁あればこそ、地獄にまでは堕ちずに、ここまで来たのであろう。この罪人を次の大王に渡せ。」と大王が命じる。