「ドラッカーと論語」を読んで

昨日の御報恩御講の帰りに、書店によって安冨渉の「ドラッカー論語」を購入した。前々から気になっていた本だ。一気に読んでしまった。

安冨さんは、「超訳 論語」などの著書があり、論語の新しい読み方を提唱されている人だ。

ドラッカーと論語

ドラッカーと論語

この本の中では、ドラッカーの「マネジメント 上中下」を「論語」を使って読み解いている。

論語」は孔子やその弟子の言行録であり、「マネジメント」は経営学者のピーター・ドラッカーの主著である。この二つの本は、経営者にとって経典とされる本であるが、いずれも購入されるだけで読まれてはいないそうだ(笑)。

私は「論語」を何度も読み、ドラッカーについては「プロフェッショナルの条件」「経営者の条件」「経済人の終わり」を読んでいる。いずれも感銘を受けた。目下、「マネジメント 上中下」を読書中だ。

「マネジメント」も「論語」も安冨氏によれば、何度も繰り返し読み、読むたびに感銘を受ける場所が変わる「鏡」のような書物だという。たしか、安岡正篤氏が「論語を学ぶ」の中で「論語」を十方を映し出す、円珠経だと言っていたことを思い出した。

その「鏡」には何が映るのかというと、自分の姿であるそうな。この話を読んだ時、日蓮正宗信徒である私には御本尊様の前に座り、御題目を唱えると自分の心が映し出され、正しい形に整えられていくという話を思い出した。

なかなか面白い本である。

例えば、「仁」という概念について安冨氏は、「学習回路の開かれた状態」だと解説している。「仁」とは「論語」で修養の目標とされる徳目であるが、はっきりと説明をされているわけではない。一般に「思いやり」や「他人への優しさ」のように解釈されている。

その解釈は間違いではないとしつつも、そのためには宇宙から人間一個に至るまで、広範な興味を持ち「自分を知る」ことに努力する心を持っていなくてはならない。知己に努める心が優しさの源泉であると喝破している。

私は、ハッとさせられた。

「およそ成仏とは、我が身を知って仏に成るとは申すなり」(十二因縁御書)

ではないか。この我が身を知るということが、ドラッカーの「フィードバック」であり、我が身を知るが故に他者を知り、コミュニケーションを適正にさせるというのだ。依正不二の原理というか、境智冥合というか、仏法は世法の源泉であると実感させられてばかりだった。

その他にも唸らされることが何度もあり、すごく興奮する本である。「論語」「マネジメント」とともに、何度か読み返したい。

安冨さんも仰っていたが、世間には異端的な書物が氾濫している。しかし、「仁」を為し組織を「マネジメント」するのは「君子」であって、「君主」「帝王」ではない。常識人が座右にするべき本というのは、「孫子」「マキャベリ」「韓非子」のような、修羅界の本ではあってはならない。修己治人の学でなければならない。

「君子」は「仁」の人であれば、誰でもなれるのだ。私も君子たることを目指し生きて行きたいと思った。

論語 (岩波文庫 青202-1)

論語 (岩波文庫 青202-1)

ドラッカー名著集13 マネジメント[上]―課題、責任、実践

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