日顕上人様が大御本尊を偽物呼ばわりしたとの邪難を破す

《学会の戯れ言》


6、大御本尊を偽物呼ばわり
 日顕(上人)の側近の一人であった故・河辺慈篤の直筆メモにより日顕(上人)が昭和五十三年二月に河辺に対し、「戒壇の御本尊は偽物である」「筆跡鑑定の結果、分かった」などと発言していたことが克明に記されています。しかし、宗旨の根幹である大御本尊を否定した法主など、七〇〇年の宗門史上、ただ一人です。

【破 折】

 学会の、日顕上人が大御本尊様を否定されたという唯一の根拠が、所謂『河辺メモ』である。

「河辺メモ」なるものは、本来は単なるメモ書き程度のものであり、具体的な内容には一切触れられていないという事実。その断片を「切り文」として持ち出し、都合よく解釈した歪曲論であることが挙げられる。 

 日顕上人は

「この際はっきりしておくことは、本門戒壇の大御本尊様と日禅授与の御本尊とは全く相違している、ということである。よく拝すれば、中尊の七字の寸法と全体からの御位置においても、明らかに違いが存し、また御署名花押の御文字及びその大きさや御位置、各十界尊形(そんぎょう)の位置等にも歴然たる相異が存する。そして、もちろん模写の形跡は存在しない。したがって御戒壇様と日禅授与の御本尊とを類推すること自体が全くの誤りであり、この事をはっきり、述べておくものである。」(平成十一年九月十八日)

と一蹴されています。

《「河辺メモ」は盗人による盗品》 

「河辺メモ」は、故・河辺慈篤尊師の個人的なメモでしかない。それが何ゆえに学会の手許(てもと)にあるのか?

 なんと、盗人の手によって河辺師のもとより盗み取られ、それを、入手経路を隠したまま創価学会が悪用しているのである。

 盗品の内容を、持ち主である河辺師の許可もなく公開して御法主上人誹謗に使うとは、創価学会という宗教団体がいかに薄汚ない教団であるかがわかろう。

 平気で学会員はメモメモと半泣きで絶叫するが、メモ自体が盗品なのである。普通の人間には出来ません。

 しかも、内容も都合のいいように解釈しており、誠に恥知らずな集団である。こんな腐りきった組織にいて、おかしいとさえ思わない学会員とはどういう人間なのだろう。

 愛だ地球だ平和だと言う割に、人間として最低限の生きる上でのルールも守れない。盗聴もやっていた団体だから、平気でこのようなことが出来るのだ。実に下らない集団であると申し上げておく。

「メモ」とは、所詮、個人の覚え書きであって、万人が理解することを前提とした公式書類でもなければ、手紙でもない。当人のための覚え書きである。文中に、主語や目的語が省かれていたり、肝要な部分が省かれて記述されていることすらある。

 それ故、時の経過の中で、本人でさえメモの内容が理解できなくなることも多々ある。そうした覚え書きとしての記述を、あたかも公式書類であるかのごとく扱い、しかも、自らの主観をもとに勝手に主語を挿入して読み解くなど、メモの解読どころか創作の域に踏み込んでいる。

「大御本尊偽作疑難」は、河辺師から盗み取ったメモをもとに、創価学会が自分の主観で勝手に創作した疑難でしかない。

《大御本尊否定はむしろ創価学会である》

①会則変更より明らか

 学会は会則を変更し「大石寺安置の弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊」「本門戒壇の大御本尊を本尊とし」の条文を削除した。

 現在、日蓮大聖人御真筆の漫荼羅本尊は、百三十数幅を数えるが、日蓮大聖人の仏法の根本法体が「弘安二年十月十二日」の本門戒壇の大御本尊に限られることは、宗祖以来の伝統法義に照らして明らかである。

 その文証として、第二祖日興上人御自筆の相伝書『日興跡条々事』

「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊」(新編一八八三頁) 第二十六世日寛上人『観心本尊抄文段』

 

「弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟の中の究竟、本懐の中の本懐なり」(御書文段一九七頁)

などの御文が挙げられる。

 かつて創価学会

、「日蓮大聖人のご本懐は一閻浮提総与の弘安二年十月十二日の御本尊にあること間違いなく(中略)これは世界唯一の本尊であり、日蓮正宗は最高にして唯一の宗教である」(折伏経典 二一八頁)

と言い、池田自身も、

「三大秘法総在の御本尊こそ、弘安二年十月十二日ご図顕の本門戒壇の大御本尊である」(観心本尊抄の池田会長講義 二五頁)

と指導していた。

 しかるに、学会は従来の「弘安二年十月十二日」の文言を削除した。

 これは日蓮大聖人出世の本懐である本門戒壇の大御本尊を明確に指標する「弘安二年十月十二日」の文言を隠蔽することによって、会員を誑かそうとする思惑以外のなにものでもない。

 更に、「本門戒壇」の条文を削除することによって、会員に対して本門戒壇の大御本尊への渇仰恋慕の心を喪失せしめ、大石寺を覆い隠そうとしているのである。 

 日蓮大聖人は『三大秘法抄』に、

「霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か」(新編一五九五頁)

 と教示され、『一期弘法付嘱書』には、

「富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」(同 一六七五頁)

と明確にその場所を特定されている。これについて第二十六世日寛上人は、

 

「然るに三大秘法随一の本門戒壇の本尊は今富士山の下に在り」(六巻抄六四頁)

 

「富士山は是れ広宣流布の根源なるが故に。根源とは何ぞ、謂わく、本門戒壇の本尊是れなり」(同 六八頁)

と教示され、「本門戒壇の大御本尊」まします富士山こそ、戒壇建立の聖地であると仰せられている。

 この富士山とは第二祖日興上人以来の歴史的経緯からみても、日蓮正宗総本山大石寺をおいて他にないことは明々白々である。 

②最近の教学並びに謗法経本より明らか

 最近の学会員に、三宝(仏・法・僧)を問うと、法宝は「事行の一念三千の南無妙法蓮華経」という答えが返ってくる。「事行の一念三千の南無妙法蓮華経」とは何かと問うても、執拗に繰り返すのみで、話にならない。中途半端な答えである。学会の改悪経本にさえ「一閻浮提総与、三大秘法の大御本尊」と出ているのに、である。

 なぜ「大御本尊」という名称すら出てこないのか?出せないのか?学会員はヒステリックに「正本堂を壊した」と泣き叫んでいるが、そこには、何が御安置されていたのか?「本門戒壇の大御本尊様」である。

 しかも、謗法経本には、「本門寿量品の肝心」「文底秘沈の大法」「本地難思」「境智冥合」「久遠元初」「自受用報身如来の御当体」「十界本有常住」「事の一念三千」「人法一箇」「独一本門戒壇」等の語が削除されている。

 しかし、これらの語は、創価学会二代会長・戸田城聖氏が、『方便品寿量品講義』に、

『これは仏の十号と申しまして、御本尊に向かって左の方に、『福十号に過ぐ』とある、あの十号と、この十号とは違います。あの十号は、釈迦仏法の仏の十号なのであります。ゆえに『福十号に過ぐ』とは、御本尊を信ずる功徳は、釈迦仏法の仏の福運にすぎるぞとおおせであります。これは、末法の御本尊の十号になるのであります。御本尊の十の御徳を申しあげて讃嘆しているのであります。御本尊の別名といいますか、十のお位といいますか、十の御資格といいますか。』

と講述しているように、大御本尊様の十の御徳を挙げたもので、本尊供養の二座では欠かすことのできない語なのである。

 要するに、学会は創立以来信じてきた『本門戒壇の大御本尊様』を否定し、一般会員も盲信し、おかしいとすら思わないのである。

【学会員への質問】

①河辺メモは、何者かによって盗み取られたモノです。ご本人に無断で、これを 用いること自体、平和・愛などを表看板に挙げる組織として矛盾していません か?

②貴方の言う「戒壇の大御本尊」とはどの御本尊様を指しますか?

③学会では、「本門戒壇の大御本尊様」を会則変更観念文変更によって曖昧にし ようと試みていますがあなたはどう思いますか?

④池田氏は平成五年九月七日・本部幹部会にて、「宗祖日蓮大聖人がこの御本尊 も、ただ信心の二字におさまれりと言われたのであります。信心の二字の中に しか本尊はないんです。本門戒壇の板御本尊、なんだ寛尊、信心の中にしか本 尊はないんです、ただのモノです。一応の。機械です。幸福製造機だもの。大 聖人の御書だ。」  

 と発言しています。この発言はおかしくないです か?

⑤貴方は本門戒壇の大御本尊様を否定したと怒っているようですので、本門戒壇 の大御本尊様を心から信じているのですね?

【資 料】

 『河邊慈篤師からのお詫(わ)びと証言』

「今回の件における面談の折の記憶を喚起(かんき)致しますと、当時の裁判や以前からの『戒壇の大御本尊』に対する疑難について様々な話が出た中で、それらと関連して、宗内においても、『戒壇の大御本尊』と、昭和四十五年に総本山へ奉納(ほうのう)された『日禅授与の御本尊』が共に大幅(たいふく)の御本尊であられ、御筆の太さなどの類似(るいじ)から、両御本尊の関係に対する妄説(もうせつ)が生じる可能性と、その場合の破折について話を伺(うかが)ったものであります。

 但しこの話は強烈(きょうれつ)に意識に残りましたので、話の前後を抜いて記録してしまい、あたかも御法主上人猊下が御自(みずか)らの意見として、『本門戒壇の大御本尊』を偽物と断じたかのごとき内容のメモとなってしまいましたことは明らかに私の記録ミスであります」(平成一一年七月一〇日)

日顕上人御指南』

「いわゆる河辺メモは、客観的な言旨を極めて自己の主観的な形に書き変えた慈篤房の記録ミスである。則(すなわ)ち主として創価学会の存在によって生じた日蓮正宗に対する種々の批判(ひはん)中の一環として、御本尊と血脈(けちみゃく)等に関する疑難(ぎなん)悪口があることの内容について、ある時に慈篤房と客観的な話しをしたような記憶は存する。しかし学会で発表したあのメモのような諸件についての主張をしたことは断じてないのである。

 そこで此の際はっきりしておくことは、本門戒壇の大御本尊様と日禅(にちぜん)授与の御本尊とは全く相違(そうい)しているという事である。よく拝すれば中尊(ちゅうそん)の七字の寸法(すんぽう)と全体からの御位置においても、明らかに異なりが存し、また御(ご)署(しょ)名(めい)御(ご)花(か)押(おう)の御文字及びその大きさや御位置、各十界尊(そん)形(ぎょう)の位置等にも歴(れき)然(ぜん)たる相異(そうい)が存する。そして勿論(もちろん)模写(もしゃ)の形跡などは存在しない。

 したがって御戒壇様と日禅授与の御本尊とを類推(るいすい)すること自体が全くの誤りであり、この事をはっきり、述べておくものである」(平成一一年九月一八日)

ブログ運営者追記

顕正会の浅井昭衛は、この学会の邪難を「不思議な経緯で知った」などと、総幹部会席上で値打ちを付けて披露し、学会がネタ元であることは顕正会員に伏したままである。

常々、創価学会を謗法団体呼ばわりしておきながら、その団体が不正に入手し勝手な解釈で御法主上人貎下を攻撃していることに、あからさまに便乗したのである。その頃から、日達上人様・日顕上人様を呼び捨てにし始め、元学会員で顕正会員になった者たちの家に御安置してあった、両上人貎下様の御本尊様を、顕正会版の日寛上人様御形木本尊にすり替え始めたのである。しかし、この回収とすり替えは公にされていない。

いまだに顕正会は、自分たちの所持する御本尊が大石寺から授与されたものであると装ってはいるが、当時の状況や大石寺側の記録から整合性が破綻してしまっている。

彼ら顕正会員の拝んでいる御本尊も、大石寺の認可なき私家版ニセ本尊である。顕正会諸氏も学会諸氏ともども、早くこのことに気付いてほしいと願うものである。

創価学会員・顕正会員の相談を受け付けています。

メール porigin@yahoo.co.jp