不知恩・先師に反逆との邪難を破す

《学会の戯れ言》

 5.不知恩・先師に反逆

 先師・日達法主の業績(六壺、大化城、大客殿など)を次々と破壊し、創価学会八〇〇万信徒の真心の結晶である正本堂の破壊という暴挙を犯します。

 正本堂建立当時は教学部長だった日顕(上人)本人も、正本堂が大聖人御遺命の戒壇であると何度も述べていましたが、その破壊にあたり正本堂の意義づけを百八十度変更しました。この点について日顕(上人)は静岡地裁から自語相違と厳しく断じられています。

 【破 折】
 そもそも、日顕上人は日達上人のお心を汲まれたからこそ、御登座以来、ずっと学会を護ってこられたのである。

 すなわち、学会の五十二年度路線の教義逸脱問題で、池田大作が模刻本尊を造ったり、謗法の経本を造ったり、会長本仏論を強いても、昭和五十三年十一月七日に大講堂大広間にて『創価学会創立四十八周年記念代表幹部会』(通称“お詫び登山”)が行われ、池田大作が正式に謝って日達上人が許された経緯を、そのまま踏襲されたのである。

 日顕上人が御登座された頃は、「学会への追及の手を緩めるな」「信用できない」という声が全国で挙がっていたが、「屍に鞭打つ行為である」と全てを押さえられ、従わない者は僧侶といえども破門にしてまで、学会を護ってこられたのである。

 それらの経緯をわざと隠蔽し、創価学会内では「学会には一点の曇りもない」と強弁する。不知恩というのは、正に創価学会のことであろう。

 

 『日興跡条々事 』には

 

「一、大石寺は御堂と云い墓所と云い日目之を管領し、修理を加え勤行を致し、広宣流布を待つべきなり。」

と日興上人が日目上人へ遺命されており、大石寺の御歴代上人は、時々に応じて総本山を荘厳し、広宣流布に備えられてきたのである。

 六壷・大客殿など、日顕上人は耐震性の問題、境内整備の一環から建て替えられたものであり、破壊という言いがかりは全く当てはまらない。

 しかも、正本堂の意義付けは何ら変わることもなく、正本堂関連の裁判は、創価学会が木っ端微塵に粉砕され、会員にはその事実すら伝えていない。

 また、正本堂建立御供養は、なにも学会員だけでなく、宗内僧侶・寺族・法華講と全宗門人がさせて戴いている。

 そもそも、本来、破門になってしまい、大聖人様の正法から退転してしまった創価学会員に、今更「正本堂を壊してけしからん」などと、言われる筋合いはない。

 どうも学会員は、己が既に退転していることにも気付いていないようだ。

 喩えて言うなら、離婚して家を出て行った妻が、数年後自分のかつて住んでいた家を見て、「私の思い入れのある家なのに、リフォームするなんておかしい。」とか「私もこの家を建てるときにいくらか出した、建て替えるのは破壊行為だ。」とわめいているようなもので、常識ある人間からは、一笑に付されて終わりであろう。

 以下に詳しく述べる。

 《正本堂建立によって大聖人越えをしようとした池田大作

 日蓮大聖人の御金言(『三大秘法抄』と『一期弘法抄』)には、

広宣流布が達成された暁に、富士山の麓に本門戒壇を建立すべきである」

との仰せがあるが、昭和四十年当時の創価学会が中心となって発願した正本堂は、まさに、未来に広宣流布が達成された時の戒壇たらんことを願って、着工した堂宇であった。

 この正本堂に対する池田創価学会の執着、思い入れには、当初より異常なものがあった。
 昭和四十二年十月の建立発願式で、池田大作(当時会長)は、

 

「栓ずる所、正本堂の完成をもって、三大秘法ここに成就し」

と言っているが、後からこれを補足するような形で、北条浩(当時理事長兼副会長)も
 

「すでに大聖人御在世中に慧たる本門の題目、定たる本門の本尊は建立された。そして、ただ戒たる本門の戒壇のみが『時を待つべきのみ』と後世に残された。(中略)ここに正本堂の建立が、三大秘法の完結を意味するという、仏法上重要な意義を考え」

と述べ、この意味は、

「大聖人は、御在世中に本門の本尊と本門の題目は顕されたが、本門の戒壇だけは顕されなかった。それを、七〇〇年後の今日、池田大作率いる創価学会が出現して本門の戒壇を建立する。これによって三大秘法が完結するのだ。」

 というものであり、このことから、彼等が言わんとしたのは、

「大聖人ですら顕すことのできなかった本門の戒壇を、池田センセーが建立される。したがって、池田センセーは大聖人よりも勝れる仏である」

との『池田会長本仏論』であった。(事実、当時の学会内には、そうした指導が流されていた)

 要するに池田創価学会にとって、『正本堂=本門戒壇』の建立は、『池田大作が大聖人をも凌ぐ仏である』という池田本仏論の現証として「重要な意義」をもっていたのであり、これこそ、彼らが正本堂に異常に執着した、その最大の理由だったのである。

 しかし、正本堂が完成した昭和四十七年、日達上人は訓諭(日蓮正宗における公式決定)を発せられ、現時にあっては、いまだ謗法の徒多きが故に、広宣流布の達成には至っていない。したがって現時点における正本堂は、未来の広宣流布の暁に本門戒壇たることが期待される堂宇である旨、御示しになられた。

 これでは、正本堂がただちに本門戒壇建立とならないため、不満を抱いた池田大作は、正本堂完成後、日達上人及び日蓮正宗に強い圧力をかけ、兵糧攻めにしようと学会員を登山させないという暴挙に出たが、ついに日達上人の決定を覆すことはできなかったのである。
 この時のことを日達上人は、
 

「それは正本堂を造ってもらって有り難い。正本堂は、その時の日蓮正宗の信心をする人の集まりによってできた建物である。だから、もし学会が来なくて、こちらの生活が立たないというならば、御本尊は御宝蔵へおしまいして、御開帳願う人があったら御開扉しようと覚悟を決めたわけです」(昭和四十九年七月二十七日)

と、述懐されている。

 池田らは、その後も、折りあるごとに「正本堂建立をもって広宣流布は明確に終わった」「正本堂は本門戒壇である」等と蔭で言い続けていたが、平成三年、ついに日蓮正宗から破門となったのである。

 これにより、近い将来に期待された日蓮正宗広宣流布は、大きく遠のき、その時を期待して建立された正本堂は、存在意義を失ったのである。

 さらに、呆れたことに池田創価学会では、破門されて日蓮正宗と無関係になった後も、なお、「正本堂は本門戒壇である。これを建立した池田センセーは、仏法上、未曾有の大偉業を成し遂げたのである。」等と言い続けていた。

 この現実(すなわち正本堂が池田本仏論の依り処として利用され続けていること)に鑑み、日蓮正宗では、『ここで池田本仏論という前代未聞の大謗法の根を断ち切るべきであり、また、そのような建物を、清浄であるべき総本山の境内地に残しておくことはできない。』との判断から、正本堂の解体を決断されたのである。

 民衆の真心からの御供養を、池田本仏論などという大謗法を押し通すことに利用した、池田大作の所業こそ、「暴挙」として責められるべきである。

 池田大作の本門の戒壇軽視の文証》

 池田大作 はかつて、
 

戒壇建立ということは、ほんの形式にすぎない。実質は全民衆が全大衆がしあわせになることであります。その結論として、そういう、ひとつの石碑みたいな、しるしとして置くのが戒壇建立にすぎません。したがって、従の従の問題、形式の形式の問題と考えてさしつかえないわけでございます」『会長講演集』(一一ー二一六頁)

と、大聖人が御遺命の戒壇建立を「形式に過ぎない」といっていたのである。すなわち、よほど教学が理解出来ないか、「創価学会八〇〇万信徒の真心の結晶である正本堂」といえども、「形式の形式の問題、従の従の問題」と慢心しきった脳内で、本気でそう思っていたかどちらかである。

 学会員は、池田大作に発言の真意を聞いてみてはいかがか?

 《正本堂関連裁判 創価学会 最高裁三十九訴訟に全敗!!》

 平成十二年一月から四月までのわずかな期間に、全国各地で三十九件もの訴訟が提起された正本堂関連訴訟。動員された創価学会員らの数は四百二十人超、合計請求額三億数千万円におよぶ、まさしく創価学会による「同時多発訴訟テロ」とも言うべきものであった。

 創価学会員ら原告の主張は、「正本堂建立における御供養は、正本堂を保守・維持管理する契約の対価であり、日蓮正宗総本山大石寺は未来永劫、正本堂を保守・維持管理する義務があった。」という笑止千万なものだった。

 しかし御供養というものは、「法を護る」という純粋な信仰心の発露によってなされるものであり、ギブアンドテイク的に何かの見返りを求める等、不純な動機があってはならない。

 本件訴訟において、学会員らは御供養に対する不純な動機や信仰心の欠如を露呈し、日蓮正宗に帰依していない一般人である裁判官から、「仏教における御供養は信仰心の発露でなされるものであって、条件や負担をつけるものではない。」と諭(さと)されるという、誠に情けない結果となった。

 そして創価学会は、聖教新聞紙上等において、提訴時にあれほどの大報道をしておきながら、三十九件全戦全敗の事実を隠蔽(いんぺい)し、学会員には何一つ伝えていない。こうしたことは今回に限らず、いつものことであるが、勝訴も敗訴も包み隠さずに宗内僧俗に公開する日蓮正宗とは違い、不正直な学会の体質をかいま見る思いがする。

 心ある学会員諸氏は、早く創価学会の本質を見抜いて欲しいものである。

【資 料】

 『日達上人御指南』

 

戒壇の御本尊在(まし)ます処(ところ)は、すなわち事(じ)の戒壇である。究(きゅう)極(きょく)を言えば三大秘法抄あるいは一期弘法抄の戒壇で、もちろん事の戒壇であるけれども、そこにまつるところの御本尊が、今この処にある。この御本尊様は戒壇の御本尊である。ゆえに、この御本尊おわします処がこれ事の戒壇である。それが御宝蔵であっても、奉安殿であっても、正本堂であっても、あるいはもっと立派なものができるかもしれない、できたとしても、この御本尊まします処は事の戒壇である」(昭和四十五年五月三十日)

 

 『日達上人訓諭』
 

「正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時(げんじ)における事の戒壇なり。
 即ち正本堂は広宣流布の暁(あかつき)に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり。但(ただ)し、現時にあっては未(いま)だ謗法(ほうぼう)の徒(と)多きが故に、安置の本門戒壇の大御本尊はこれを公開せず、須(しゅ)弥(み)壇(だん)は蔵(くら)の形式をもって荘厳し奉るなり」(昭和四十七年四月二十八日)

 『賞与御本尊の裏書き』第六十六世日達上人

 

「此の御本尊は正本堂が正(まさ)しく三大秘法抄に御(ご)遺(ゆい)命(めい)の事(じ)の戒壇に準(じゅん)じて建立されたことを証明する本尊也」

 『日顕上人慶讃文(けいさんもん)』(大石寺開創七百年慶讃大法要)

 

「其の当体は三大秘法惣在(そうざい)の本門戒壇の大御本尊にしてこの大本尊まします処(ところ)是れ即ち本門事の戒壇真の霊山事の寂光土なり即ち正本堂は未曾有(みぞう)の広布進展の意義を含む本門事の戒壇なり(中略)深意を拝考するに仏意の明鑑に基く名実共なる大本門寺の寺号公称は事の戒法の本義更(さら)に未来に於(おい)て一天四海に光(こう)被(ひ)せらるべき妙法流布の力(りき)作(さ)因(いん)縁(ねん)に依るべし」(大日蓮 平成二年十一月号八六頁)

 《創価学会員への質問》

問い一 
 そもそも、あなた方は破門されて不幸にも退転してしまった団体です。今更、宗門のやる事に関し、とやかく言うこと自体おかしくないですか?

問い二
 この問題が起きた当初、個々の学会員が破門になる前は、願えば登山し御開扉も受けられたのに「池田先生が行かないから行かない」「今まで行ったからもういい」「家の御本尊様を拝んでいれば充分」などと言っていました。なぜ、正本堂という建物に粘着質にこだわるのですか?

問い三
 かつて学会は、友好の証として富士宮市白糸にノエリガ庭園を建設したが、パナマの麻薬王ノエリガ将軍が逮捕されるや壊してしまい、全国の池田専用の超豪華施設も国会で取り上げられそうになると、一夜にして取り壊すという醜態を晒しました。こっちを怒るべきではありませんか?

問い四 
 池田大作の『戒壇は形式の問題、従の従の問題。』という戒壇論はどう思いますか?大聖人の御遺命に反していませんか?

問い五
 正本堂が大聖人御遺命の戒壇であるのなら、正本堂が建立された時点で、広宣流布が達成されたことになります。おかしくないですか?