最近の創価学会が主張する日顕上人への邪難を破す

1.相承詐称で宗門を乗っ取り
 日顕は昭和五十四年七月二十二日、先師日達法主の急逝によって、そのどさくさに紛れて第六十七世法主の座を掠め取る。相承(正式な継承)の証拠も証人も何一つ、誰一人いない日顕の血脈相承。



2.破和合僧
 日蓮大聖人の御遺命である世界広宣流布を現実に進めてきた創価学会に対し、日顕と宗門の首脳部は謀略によって創価学会の壊滅を図りました。
 広宣流布を進める団体の破壊を画策するのは広宣流布そのものを破壊する行為です。

3.不知恩・先師に反逆
 先師・日達法主の業績(六壺、大化城、大客殿など)を次々と破壊し、創価学会八〇〇万信徒の真心の結晶である正本堂の破壊という暴挙を犯します。

 正本堂建立当時は教学部長だった日顕本人も正本堂が大聖人御遺命の戒壇であると何度も述べてしましたが、その破壊にあたり正本堂の意義づけを百八十度変更しました。この点について日顕静岡地裁から自語相違と厳しく断じられています。

4.大御本尊を偽物呼ばわり
 日顕の側近の一人であった故・河辺慈篤の直筆メモにより日顕が昭和五十三年二月に河辺に対し、「戒壇の御本尊は偽物である」「筆跡鑑定の結果、分かった」などと発言していたことが克明に記されています。しかし、宗旨の根幹である大御本尊を否定した法主など、七〇〇年の宗門史上、ただ一人です。

5.宗門私物化
 宗門事件勃発直後、日顕は「流浪の身となり」「粥をすするようなことがあっても」(平成三年一月)と涙を見せたが、その陰で「粥をすする」どころか豪遊・放蕩の限りをつくしてきました。そこでの散財も、もとは学会員からの供養のみならず、全ての信徒や全国の末寺から巻き上げた供養です。

6.謗法厳戒に違背
「謗法厳戒」は宗開両祖(日蓮大聖人と日興上人)の根本精神であるにも関わらず、日顕はそれを教導すべき立場にありながら、自らの先祖の墓を禅寺に建立。大石寺周辺の檀徒の謗法を放置したうえ、あろうことか身延派日蓮宗とも迎合するなど謗法を犯しています。

(身延派とは日蓮大聖人・日興上人と師敵対した宗派。)

7.最高裁で2度も断罪されるなど、稀代の大嘘つき
「シアトル事件」について宗門が「学会はアメリカ連邦政府のコンピューター・データベースに、シアトル事件に関する虚偽の情報を埋め込む犯罪行為を行った」とする荒唐無稽な大ウソを喧伝した事件では、日顕が宗門を指揮してデマ報道を行わせたとしてその悪質さが糾弾されています。平成十五年九月九日に判決が確定。日顕は宗門と連帯して、四〇〇万円の賠償金が命じられています。

 その他の戯れ言

 戦後、財政難に陥った宗門は本山を観光地化して信徒のみならず、一般の参詣者からの供養を得ようと決定し、当時から本山外護の功労者であった戸田第二代会長に相談されますが、戸田先生は日蓮大聖人の御精神に反して、信仰心の欠片もない物見遊山の観光客を立ち入らせることで本山が荒れることに深く憂慮され、強く反対されました。そしてより一層、宗門を財政面から支えるために、創価学会員による総登山(月例の登山会)を企画しました。本山を荘厳することは、日蓮大聖人の広宣流布への精神に繋がることですし、草創期の学会員さんは皆喜んで、真心からの浄財を供養してきたのです。当然ながら戸田先生、池田先生ご自身も多額のご供養をされています。このように戸田先生の時代から学会は組織的に本山を経済的に、また様々な形で外護してきたのは紛れもない事実です。  学会という組織を破門した後、学会員の登山禁止まで猶予期間をもうけたのは、ゆさぶりをかけて、創価学会の会員のうち二〇万人が宗門にくればいい、との目論見のためです。第一次宗門問題の時には事態の鎮静化を図るため、池田先生が会長勇退のご決断を余儀なくされ、学会員は先生の会長勇退に涙を流して悲しみ、悔しがりました。それが二度目ともなると、この問題の本質がはっきりしていましたので、多くの会員は謗法の山と化した大石寺などにもう未練は全くありませんでした。

 《 邪 難 》
 1.相承詐称で宗門を乗っ取り
 日顕は昭和五十四年七月二十二日、先師日達法主の急逝によって、そのどさくさに紛れて第六十七世法主の座を掠め取る。相承(正式な継承)の証拠も証人も何一つ、誰一人いない日顕の血脈相承。

  《 破 折 》
 掠め取ったというが、邪推も甚だしいものである。日顕上人は御登座以来、唯授一人の血脈相承を受けられたお立場から、何とか創価学会池田大作を善導しようと心を砕かれ御指南されてきたのである。御登座以来、十年以上も御相承に関して、学会は何も言わないどころか、表向きは最大限の讃辞を送っていたのである。こういうのを、不正直・ご都合主義というのだ。


【かつて創価学会が主張していた文証】 

『広布と人生を語る』池田大作 
日蓮正宗の僧俗であるならば、絶対に御法主上人猊下に随順(ずいじゅん)すべきである。それに反して、随順せず、いな、弓をひく行為をする僧や俗は、もはや日蓮正宗とはいえない。私どもは無数の讒言(ざんげん)や画策をうけながらも、一貫して総本山を外護したてまつり、御法主上人猊下に随順してまいった。これが真実の信心であるからだ。 
 それを、増上慢と権威とエゴと野望のために踏みにじっていく僧俗は、まったく信心の二字のなき徒輩であり、もはやそれは、日蓮大聖人の『広宣流布をせよ』との御遺命に反した邪信の徒と断ずるほかないのである」(2ー37頁)

『広布と人生を語る』池田大作 
「法灯連綿と七百三十年のあいだ、厳護されてきた法水は、御当代御法主日顕上人猊下に受け継がれておられる。御法主上人の御説法を拝しながら正しく信行に邁進していくことが大切なのである」(3ー297頁)

『広布と人生を語る』池田大作
「現代においては、いかなる理由があれ、御本仏日蓮大聖人の『遣使還告』であられる血脈付法の御法主日顕上人猊下を非難することは、これらの徒と同じであるといわなければならない。批判する者は、正法正義の日蓮正宗に対する異流であり、反逆者であるからである」(1ー230頁)

『広布と人生を語る』池田大作 
「日達上人御遷化の後、御当代御法主上人猊下を非難している徒がいる。私は、命を賭して猊下をお護り申し上げる決心である。彼らは、以前には、総本山が根本であると私どもを叱(しっ)咤(た)しておきながら、いまは手のひらを返して、みずからがその根本を破壊しているのである。言(ごん)語(ご)道(どう)断(だん)もはなはだしい」(3ー143頁)

 池田大作は一度もこれらの発言を、訂正も撤回もしていない。実に不誠実な人間である。
「いかなる理由があれ、御本仏日蓮大聖人の『遣使還告』であられる血脈付法の御法主日顕上人猊下を非難することは反逆の徒」とまで言い切っている。いかなる理由とは、『破門されても』も含まれると思うがいかがか?
 また、日達上人が、唯授一人のお立場として、誰にも御相承されずに御遷化されるなど次のお言葉からもあり得ない話である。

 『日達上人お言葉』 
「私には、法主として、宗開両祖以来連綿たる法門を厳然と守り、かつ一千六百万信徒の信仰を安穏ならしめる責務があります(中略)宗門の権威は少しも傷つけることなく次へ譲るつもりでおります」(達全2ー6ー424頁)
 また、日達上人の娘婿であられる大宣寺御住職 菅野日龍御尊能化もこう証言されています。


 『菅野日龍能化の証言』 
「たしかに、後継の件について、日顕上人猊下(当時総監)から御確認がありました。それに対して、かねがね日達上人は日顕上人を後継にとお考えになられており、そのことを日顕上人御本人にもお伝えされていたことは遺族一同も承知しており、別の方へというお話は一切伺っておりませんから、遺族を代表して、その場におられた日顕上人や藤本総監(当時庶務部長)に、『次は阿部さんがなると日達上人より伺っております』とお答えしたのです。それを創価学会や憂宗護法同盟の者が、日達上人は誰にも血脈相承をされずに御遷化あそばされたので、我々遺族が日達上人の後継として日顕上人を指名したなどと言うのは、とんでもない虚偽(きょぎ)の言いがかりであり、まったく迷惑千万な話です」
「このように申し上げるのはまことに失礼ですが、あの西奥番部屋での確認のお尋ねの折、創価学会や憂宗護法同盟の者たちが誹謗するような『猊座への執念』など少しも感じられませんでした。ただただ、法をお護りあそばされるための配慮というか、そういう大きな御立場から御確認なされたと感じています」(大白法 平成十五年十一月一日号)と仰せである。
 さらに、学会で言う〝相承箱は所在不明〟は単なる中傷でしかない。御相承箱に関しては宗義の大事であり、平僧(ひらそう)や信徒が軽々に論ずべきでは無い。御相承箱といわれるものは、古来、総本山大石寺に厳護されている。 
 学会では、「ある僧侶」の話「宗内の若手中堅の囁き」とか、「宗内の複数の僧による言質(げんち)」などと言いながら、「相承箱など無い」とか「相承箱は大宣寺にある」とか支離滅裂なおとぎ話を作り出している。 

    

【御相承箱は総本山に厳護】 

 御相承箱に関して、日淳上人から日達上人への御相承の時の記録には、 
「十五日午後六時十二分 日淳上人の命により、御相承箱を守護して左記の六名、大講堂横より出発(中略)十六日午前六時 山門着、御大事、御宝蔵へ納」(大日蓮 昭和三十四年十二月号七十五頁)
とあり、総本山大石寺御宝蔵に納められていたことが記されています。 
 また日顕上人が、 
「御先師よりお承(う)けした『御相承箱』は、総本山内のしかるべき場所に常時厳護申し上げてある」(院達3633号 平成十五年七月二十二日)
と仰せのように、御相承箱は、昔も今も総本山に厳護されているのです。 
 なお、「相承箱の中身についても一言も触れられないでいる」と創価学会は誹謗しているが、御相承箱の中の大事は宗門の奥義(おうぎ)であり、創価学会などの邪宗の輩の疑難に対して、御法主上人が一々お答えになるはずがないのだ。 
 さらに、創価学会は、菅野日龍御尊能化からの通告文にも明確に答えられないままなのだ。

  

『通告書』 

「今般、創価学会機関紙『創価新報』七月十六日号十一面・十二面に掲載された記事は本宗に対する許しがたい誹謗である。 
 特に本宗の血脈相承に関して、ある僧侶の言として、『相承箱』が国分寺市大宣寺にあるとしているが、もとより大宣寺には『御相承箱』なるものは存在しない。ある僧侶とは何者か、その僧侶の氏名を公表せよ。 
 また、最近興味深い話が飛び込んできたとして、複数の本宗僧侶が、昭和五十六年一月十三日大宣寺を訪れ、『御相承箱』を奪い取ろうとしたが失敗した、などとの記述があるが、かかる記述も、当然ながら全くの事実無根である。そのようなことを話した者の氏名を明示せよ。もし公表できなければ、捏造の謀略と断ずる。 
 かかる虚偽の報道により、人心を迷惑することは、社会的にも絶対に許されない悪質極まる卑劣な行為である。 
 よって、本書面到着後、十日以内に、当該記事内容を撤回し、謝罪するよう断固要求する。 

  平成十五年七月二十二日 

東京都国分寺市内藤二丁目三四番地五   
大宣寺住職
    菅 野 日 龍 印
             (大日蓮 平成十五年八月号二十二頁)

 創価学会は、御相承は「決して秘密に行われるのではない」などといっているが、本来、御相承は宗祖以来の血脈を唯我与我という師弟間においてなされる秘伝の授受をいうのであり、必要に応じては役僧が相承を警護する場合もある。しかし、「御相承の儀式」に必ずしも役僧による警護が必要なわけではない。確かに、日昇上人から日淳上人、日淳上人から日達上人への御相承の時は、役僧が警護にあたったが、過去の事例においては、お二方のみで秘伝の授受がなされ、警護を必要としなかったことも数多くあったのだ。 
 例えば、日蓮大聖人から日興上人への御相承に門下の弟子が警護に当たったなどの記録はない。日興上人から日目上人への御相承も立ち会い人や警護役が存在したという記録はない。さらに日目上人から日道上人への場合も、日目上人が天奏に旅立たれる前の正慶二年十月に、あらかじめ内々に日道上人に法を付されているが、この時も警護役が立った記録はない。 
 このように、上代における御相承の形式は、その形式も一様ではない。その時々の状況次第で異なりがあるのは当然のことであり、したがって、創価学会が「慣例と違う」などというのは、門外漢の空言にすぎない。
 なお、日顕上人より日如上人への御相承は、平成十七年十二月十二日早暁、厳粛に行われ、このときは少数の僧侶が警護にあたっている。 



 《学会への質問》

1、大作の『広布と人生を語る』は正しいのか間違っているのか?その理由は?大作は訂正していない。破門されたから昔の発言は関係ないというのはおかしいではないか?

2、日顕上人が御相承されなかったとして、なぜ御法主日顕上人の認められた御本尊様に功徳があったのか?破門されるまで多くの学会員が、各家庭や会館で日顕上人の御本尊様を拝み、会合等で体験を語ってきたはずである。あれはウソだったのか?功徳があったならなぜか?拝む側の信心さえあればいいというのなら、身延だろうが誰が書いた御本尊でも充分ということになるがいかがか?

3、そもそも、こういう邪推は、大作が戸田会長亡き後、根回しと謀略で三代会長に就任したからこそ出る発想である。戸田会長亡き後、池田大作が就任するまで二年間会長職が空白だったのはなぜか?ハッキリと、大作が戸田氏から任命された公的文章なり証言者はいるのか。


戦後、財政難
と指導していました。あなたはどう思いますか?