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フレブル君日記

フレブルはゆるいよ

知恩報恩

教学用語の基礎知識

大白法・平成20年4月16日刊(第739号より転載)教学用語解説(124)


知(ち) 恩(おん) 報(ほう) 恩(おん)  
「知恩報恩」とは、恩を受けていることを知って、恩に報いることをいいます。仏法では、私たちが縁(えん)する一切のものに対して恩を知り、恩を報ずべきことを説いています。
 
 四恩を知って知恩報恩をいたすべし

 日蓮大聖人は『開目抄』に、

「聖賢(せいけん)の二類は孝の家よりいでたり。何(いか)に況(いわ)んや仏法を学せん人、知恩報恩なかるべしや。仏弟子は必ず四恩をしって知恩報恩をいたすべし」(御書五三〇頁)

と仰(おお)せのように、仏弟子たる者は孝養を尽(つ)くすべきであり、その孝養とは四恩を知って報恩感謝することであると御(ご)教(きょう)示(じ)されています。
 四恩とは、

「一には父母の恩を報ぜよ、二には国主の恩を報ぜよ、三には一切衆生の恩を報ぜよ、四には三宝(さんぼう)の恩を報ぜよ」(同九二二頁)

と示されるように、父母の恩、一切衆生の恩、国主の恩、三宝の恩をいいます。私たちは、この四恩を知って、真の報恩をいたすべきなのです。
 
 父母の恩 

父母の恩とは、

「六道(ろくどう)に生を受くるに必ず父母あり(中略)然(しか)るに今生の父母は我を生みて法華経を信ずる身となせり」(同二六七頁)

とあるように、私たちをこの世に生み、育(はぐく)み、しかも大聖人の仏法を信ずる身を与(あた)えてくれた父母に感謝すべきことをいいます。
 
 一切衆生の恩

 次に、一切衆生の恩とは、

「一には一切衆生の恩、一切衆生なくば衆生無(む)辺(へん)誓(せい)願(がん)度(ど)の願を発(お)こし難し。又悪人無くして菩(ぼ)薩(さつ)に留(る)難(なん)をなさずば、いかでか功(く)徳(どく)をば増長せしめ候(そうろう)べき」(同)

とあるように、一切衆生がいなければ菩薩の四(し)弘(ぐ)誓(せい)願(がん)の一つである衆生無辺誓願度の願いを発すことは困難です。また、謗法(ほうぼう)の衆生の様々な迫害(はくがい)があればこそ、それを乗り越えて功徳を積むことができるのです。
 私たちは誰(だれ)一人として、社会にあって一人だけで生きていくことはでき得ません。必ず、あらゆる衆生と相(そう)依(い)し、また支えられているのですから、謙虚(けんきょ)にその恩を知る必要があります。
 
 国主の恩 

次に、国主の恩とは、

「三には国王の恩、天の三光(さんこう)に身をあたゝめ、地の五(ご)穀(こく)に神(たましい)を養ふこと、皆是(これ)国王の恩なり。其(そ)の上、今(この)度(たび)法(ほ)華(け)経(きょう)を信じ、今度生死を離(はな)るべき国主に値(あ)ひ奉(たてまつ)れり。争(いか)でか少分の怨(あだ)に依(よ)っておろかに思ひ奉るべきや」(同)

と説かれるように、平穏(へいおん)に生活を送れるのも国主の恩であり、また法華経を信仰(しんこう)することによって国主から様々な迫害を受けることにより生死を離れ、即(そく)身(しん)成(じょう)仏(ぶつ)を遂(と)げることができるのも国主の恩であると仰せです。
 現在では、私たちの生活を支えている社会全体を意味します。私たちがこの世の中で政治・行政・衣食住など、あらゆる面で恩恵(おんけい)を受けつつ生活ができるのは、国家社会のお陰(かげ)なのですから、感謝の念を持つことが大事です。
 
 三(さん)宝(ぼう)の恩 

最後に、三宝の恩とは、三宝とは仏(ぶつ)・法(ぽう)・僧(そう)をいい、本来一切衆生は、この三宝の高く広い無辺の御(ご)恩(おん)を知らなければなりません。
 即(すなわ)ち、仏の恩とは、仏はすべての衆生を我が子として一人残らず平等に救済してくださるのですから、その大(だい)慈(じ)悲(ひ)の救済に報恩感謝しなければいけません
 法の恩とは、法は諸(しょ)仏(ぶつ)の師(し)であり、諸仏が尊いのは法に依ります。それ故(ゆえ)、仏の恩を報じようと思うならば、法の恩を報じていくべきなのです。
 そして、僧の恩とは、仏宝・法宝は必ず僧侶(そうりょ)によって護り伝えられていくという、付(ふ)嘱(ぞく)伝(でん)持(じ)の恩徳をいいます。
 
 下種三宝の広大無辺の御恩 

 日蓮大聖人は、

「末代(まつだい)の凡(ぼん)夫(ぷ)、三宝の恩を蒙(こうむ)りて三宝の恩を報ぜず、いかにしてか仏道を成ぜん」(同二六八頁)

と、末(まっ)法(ぽう)の衆生は三宝の大きな御恩徳を戴(いただ)いているのであり、その御恩徳を報ずることなくして、どうして成仏が遂げられようか、と仰せられています。
 つまり、仏とは御本仏日蓮大聖人、法とは本門戒壇の大御本尊、僧とは大聖人より唯(ゆい)授(じゅ)一(いち)人(にん)の血(けち)脈(みゃく)を御(ご)相(そう)承(じょう)あそばされた日(にっ)興(こう)上(しょう)人(にん)をはじめ、歴代の御(ご)法(ほっ)主(す)上(しょう)人(にん)をいいます。
 末法の一切衆生をことごとく即身成仏せしめるこの三宝の恩徳は、広大にして無量無辺であり、三(さん)世(ぜ)に亘(わた)る故、四恩中、最も大切なのです。したがって、私たちが仏道を成就していくためには、この三宝を中心とした四恩を努(つと)めて報じていかなければなりません。
 
 不自惜身命の折伏こそ最高真実の報恩 

この三宝の恩を含(ふく)めた四つの恩に対して、私たちはどのようにすることが、最も大きな報恩となるのでしょうか。
 日寛(にちかん)上人は『報恩抄(しょう)文(もん)段(だん)』に、

「問う、報恩の要術、其の意は如何(いかん)。答う、不(ふ)惜(しゃく)身(しん)命(みょう)を名づけて要術と為(な)す。謂(い)わく、身命を惜(お)しまず邪法(じゃほう)を退治し、正(しょう)法(ぼう)を弘(ぐ)通(づう)する、則(すなわ)ち一切の恩として報ぜざること莫(な)きが故なり」(御書文段三八四頁)

と述べられ、不惜身命の心構えを持って邪法を退治し、正法を弘通することが真の報恩であると御教示されています。
 私たちは不惜身命の決意を持って折(しゃく)伏(ぶく)を行じていくことが仏(ぶっ)祖(そ)三(さん)宝(ぼう)尊(そん)への御報恩であり、一切に対する真の知恩報恩であると確信し、日々の信行に励(はげ)んでまいりましょう。

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