開会(かいえ)

大白法・平成8年2月16日刊(第449号より転載)教学用語解説(13)


開(かい)  会(え)

 開会とは、権を開して実に会(え)入(にゅう)せしめることをいい、「開」は開く、「会」は合わせる、一つになるなどの意味があります。
 開会には、法(ほう)開会・人(にん)開会があります。法開会とは、すべての教法が一法に帰(き)入(にゅう)すること、人開会とは、三乗の人々が平等に仏になれるということです。この人法の開会を兼ねて説かれるのは、釈尊一代仏教中にも法華経にしかありません。
 法華経迹門は、『方便品』に、
 

「一仏乗に於いて分別して三と説きたもう」(開結 170頁)
 「唯一乗の法のみ有り 二無く亦三無し」(開結 174頁)


と説かれているように、爾前方便の三乗法を開いて、真実の一仏乗を顕わし、三乗即一乗を明かしています。一切の爾前経は、三乗の機根を調えるために設けられた方便であり、法華経の一仏乗から開き説かれた教法なのです。従って法華経説教の後は、三乗の教えはすべて法華経の一仏乗に会入されるのです。
 法華経迹門は、九界の衆生の命に仏界が具(そな)わるという性(しょう)具(ぐ)の思想を明かしたことにより、二乗・女人・悪人などの一切衆生に成仏の可能性を開顕したのです。
 このような開顕思想を天台大師は、開三顕一、または会三帰一と称しています。
 また法華経本門は、『寿量品』において、釈尊の始成正覚を破して久遠実成を説き、一切の諸仏を寿量品の久遠の本仏に統一帰入せしめました。これは同時に、能化の仏が永遠であることを開顕して、所化の衆生の生命も仏とともに永遠であることを示したものです。天台大師は、これを開迹顕本と称しています。
 このように、法華経が諸経に超過して勝れているのは、開会を説くからです。
 日蓮大聖人は『諸宗問答抄』に、
 

「絶待妙と申すは開会の法門にて候なり。此の時は爾前権教とて嫌ひ捨てらる所の教を皆法華の大海におさめ入るゝなり。随って法華の大海に入りぬれば爾前の権教とて嫌はるゝ者無きなり。皆法華の大海の不可思議の徳として、南無妙法蓮華経と云ふ一味にたゝきなしつる間、念仏・戒・真言・禅とて別の名言を呼び出だすべき道理曾(かつ)て無きなり」(御書 32頁)


と仰せられています。法華経は爾前権教の教(教法)・行(修行)・人(修行者)・理(法理)のすべてを納める大海であり、法華経に開会された爾前経は法華経の体内の権として蘇生されるのです。ゆえに、法華開会の上から見れば、すべてが法華経に包摂されたのですから、かえって法華経以外に爾前権経として存立することはありません。
 しかし、日蓮大聖人が末法に文底本因下種の南無妙法蓮華経を唱え出されたならば、南無妙法蓮華経の一法に、法華経をはじめとする釈尊仏教のすべての教法が帰結されるところに、開会の真の意義があることを知らなければならないのです。