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フレブル君日記

フレブルはゆるいよ

女人成仏

大白法・平成8年11月16日刊(第467号より転載)教学用語解説(22)


女人(にょにん)成(じょう)仏(ぶつ)

 女人成仏とは、女性の成仏をいいます。古来、インドでは、女性の地位は低くおかれ、浄土に女性はいないと考えられていました。
 この考え方は、仏教にも影響しました。『大智度論』には女鎖とか女賊という言葉が見られます。女鎖とは、女性は人を束縛して脱離しがたいということ、女賊とは、女性は愛執の根本であり、求道心を害する者である、という意味です。
 『女人成仏抄』に、
 

「女人成仏の事は此の経より外は更にゆるされず、結句(けっく)爾前の経にてはをびた(夥)ゞしく嫌はれたり。されば華厳経に云はく『女人は地獄の使ひなり、能く仏の種子を断ず、外面は菩薩に似て内心は夜叉(やしゃ)の如し』云云。銀色女(ごんじきにょ)経に云はく『三世の諸仏の眼は大地に堕落すとも、法界の諸の女人は永く成仏の期無し』云云。或は又女人には五(ご)障(しょう)三(さん)従(じゅう)の罪深しと申す」(御書 345頁)

とあるように、爾前経においては、女人は仏道を害する者であると徹底して嫌われ、成仏は許されない身と説かれました。すなわち、女人は地獄の使い、仏の種子を断ずる者、さらには五障三従の者と言われたのです。五障とは、女人には、一に梵天王、二に帝釈、三に魔王、四に転輪聖王、五に仏になることができない五つの障害をいいます。そして三従とは、幼時未婚の時には父親に服従し、稼しては夫に従い、老いては子に従うべきであるという考え方です。
 ところが、爾前経の中でも、『無量寿経』には阿弥陀仏の女人往生が説かれ、また他の大乗経典にも、女人は長い期間をかけて修行すれば男子となって成仏することができる(改転の成仏)と説かれているように、大乗経典の一部では女人成仏が許されています。しかし、それらの成仏は「未顕真実」であり、一念三千の即身成仏ではないので有名無実の成仏なのです。これに対し『法華経』は、女人と同じように成仏されないと説かれていた二乗が作仏して一念三千が確立しています。しかも『提婆達多品』には、
 

「忽然(こつねん)の間に変じて男子(なんし)と成って、菩薩の行を具(ぐ)して、(乃至)等正覚(とうしょうがく)を成じ、三十二相、八十種好(しゅごう)あって、普(あまね)く十方の一切衆生の為に、妙法を演説す」(開結 433頁)


とあるように、竜女の即身成仏の現証が説かれているのです。これは『開目抄』に、
 

「竜女が成仏、此一人にはあらず、一切の女人の成仏をあらわす」(御書 563頁)

とあるように、竜女の成仏は決して竜女一人の成仏ではなく、一切女人の成仏であり、十界の一切衆生の成仏を明かしているのです。
 法華経迹門の竜女の成仏は、「変成男子」とあるように、熟脱の仏法における改転の成仏の相を示していますが、本門から立ち還って見れば、竜女は女身のままに即身成仏を遂げたのです。
 『妙法曼陀羅供養事』に、
 

「此の曼(まん)陀羅(だら)は文字は五字七字にて候へども、三世諸仏の御師、一切の女人の成仏の印文なり」(御書 689頁)


とあるように、末法における女性の即身成仏は、御本尊を受持し、南無妙法蓮華経と至信に題目を唱えることによってのみ叶えられるのです。