フレブル君日記

フレブルはゆるいよ

此経難持

大白法・平成19年10月16日刊(第727号より転載)教学用語解説(119)


 此(し)経(きょう)難(なん)持(じ)  

 「此経難持」とは、『法華経見宝塔品第十一』に説かれる偈(げ)文(もん)の一句で、「此(こ)の経(きょう)は持(たも)ち難(がた)し」と読みます。即ち、同品に、

「比の経は持ち難し 若(も)し暫(しばら)くも持つ者は 我即ち歓(かん)喜(ぎ)す 諸仏も亦(また)然(しか)なり 是(かく)の如(ごと)きの人は 諸仏の歎(ほ)めたもう所なり 是(こ)れ則(すなわ)ち勇(ゆう)猛(みょう)なり 是れ則ち精(しょう)進(じん)なり 是れ戒(かい)を持ち 頭(ず)陀(だ)を行ずる者と名づく 則ち為(こ)れ疾(と)く 無上の仏道を得たるなり」(法華経 三五四頁)

とあります。

 「此の経」とは法華経であり、「持ち難し」とは釈(しゃく)尊(そん)滅(めつ)後(ご)に法華経を受持し弘(ぐ)通(づう)することが困難であることを説いたものです。

 釈尊は『見宝塔品』において、聴(ちょう)衆(しゅう)に対し三度にわたり、法華経の滅後弘通を命じ勧(すす)める三箇の勅(ちょく)宣(せん)(付(ふ)嘱(ぞく)有在・令(りょう)法(ぼう)久住・六難九易)を説かれました。

 特に第三の諌(かん)勅(ちょく)である六難九易によって、滅後の弘通が困難であることを示し、釈尊が過去において諸(もろ)々(もろ)の経を行じた中で法華経こそが最も第一であることを説いています。そして、この経を持つ者は直ちに仏身を持つ大功(く)徳(どく)があることを示し、法華経の受持を勧め励(はげ)まされました。

 「此経難持」とは、その直後に述べられた偈文で、法華経を受持することは非常に難しいけれども、それを持ったときには、一切の諸仏が歓喜し、あらゆる仏道の功徳が成就することを説かれたものなのです。

 法華経が持ち難い理由

 日蓮大聖人は『四条金(きん)吾(ご)殿(どの)御返事(別名・此経難持書)』の中で、「此経難持」の文を挙げ、法華経の持ち難い理由と、大難と修行との関係に仏法の深い意義を示されています。

 その中で、末法にあって、法華経を受持することが困難であるその根(こん)拠(きょ)には、法華経が「難(なん)信(しん)難(なん)解(げ)」の教法であることを述べられています。

 「難信難解」とは、『法師品第十』に説かれるもので、已(い)今(こん)当(とう)の三説に法華経が超(ちょう)過(か)することを示したものです。

 つまり、法華経以外の経は、随(ずい)他(た)意(い)と言って、衆生の願うところ、求めるところに応同して説かれた易(い)信(しん)易(い)解(げ)の教えで、衆生を化導するための方便として説かれたものですから、衆生にとって判り易い教えになるのです。これに対して法華経は随(ずい)自(じ)意(い)と言って、仏様が絶対の境界より悟(さと)られた、方便を雑(まじ)えない真実の法ですから、仏様がそれを説いても、私たち迷いの凡(ぼん)夫(ぷ)・九界の衆生にはなかなか信じ難く、理解し難いために「持ち難い」とされるのです。

 それゆえに大聖人は、法華経の教えを聞き、受ける者は多いけれども、実際にそれを持つことは難しく、たとえ受持したとしても、大難が起きたときに、最後までこの経の受持を貫(つらぬ)き、仏の示された「此経難持」の教(きょう)誡(かい)を忘れない人は希(まれ)であると御教示されています。

 末法の「此の経」とは大御本尊

 さて、第二十六世日(にち)寛(かん)上人が、

「『此経難持』より『無上仏道』に至る三行の文は、即ち是れ本門の本尊なり」(六巻抄 八七頁)

と仰せのように、末法今日における「此の経」とは、三大秘法総在・本門戒(かい)壇(だん)の大御本尊です。

 この大聖人の三大秘法の下(げ)種(しゅ)仏法は、御本仏の随自意のお悟りであり、最勝・最尊の正法なるゆえに、釈尊在世以上に、信じ難く、持ち難いことを知らなければなりません。

 即ち、

「受くるはやす(易)く、持つはかた(難)し。さる間成仏は持つにあり。此の経を持たん人は難に値(あ)ふべしと心得て持つなり」(御書 七七五頁)

と、仏の真実の法である三大秘法を受持信行し、成仏を遂(と)げるためには、三類の強(ごう)敵(てき)が現れて必ず諸難に値うことを覚(かく)悟(ご)しなけらばならないのです。

 大聖人は、

「仏になる道は、必ず身命をす(捨)つるほどの事ありてこそ、仏にはな(成)り候らめ」(同 四八二頁)

と、

「末法に於て今日蓮等の類の修行は、妙法蓮華経を修行するに難来たるを以て安楽と意得べきなり」(同 一七六二頁)

さらに、

此経難持の事 御義口伝に云(い)はく、此の法華経を持つ者は難に値はんと心得て持つなり。されば則(そく)為(い)疾(しつ)得(とく)無(む)上(じょう)仏(ぶつ)道(どう)の成仏は、今日蓮等の類(たぐい)南無妙法蓮華経と唱へ奉(たてまつ)る是(これ)なり云云」(同 一七五五頁)

等と、重ねて私たちに御指南されているように、私たちが成仏という絶対の幸福境界を得ていくためには、むしろ難を受けることにより、自らの罪(ざい)障(しょう)を消(しょう)滅(めつ)させることが、大事なのです。

 したがって、難の起こる道理を知り、それに対し、どれだけの覚悟を常々持って実(じっ)践(せん)しているかが、私たちの成仏・不成仏の大事を決定していくことになるでしょう。

 ま と め

 私たちは現在、平成二十一年の御命題達成に向けて、僧俗一丸となって、日々、信行に精進しています。この信行が真剣であるからこそ、今後、様々な障(しょう)魔(ま)が競い起こってくることは必(ひつ)定(じょう)です。
 その難事の時こそ、大聖人の御指南を最後まで心に留め、忘れることなく、本門戒壇の大御本尊に対する絶対信のもとに、血(けち)脈(みゃく)付(ふ)法(ほう)の御法主上人猊下の御指南に随(ずい)順(じゅん)して不退の信心を貫き通していくところ、必ず即身成仏の大果報を得ることができるのです。