衆生所遊楽

大白法・平成13年9月16日刊(第581号より転載)教学用語解説(74)


衆(しゅ)生(じょう)所(しょ)遊(ゆう)楽(らく)

 文の典拠とその意義

 「衆生所遊楽」とは、法華経如来寿量品第十六』の『自我偈』に説かれる文で、「衆生の遊楽する所」と読みます。これは私たちの住むこの娑婆(しゃば)世界が、そのまま仏の国土、すなわち寂(じゃっ)光(こう)土(ど)であり、衆生が遊び楽しむ所である、という意味です。

 「衆生所遊楽」は『自我偈』の、

 「園林諸堂閣 種種寳荘厳 寳樹多華菓 衆生所遊楽(園林諸(もろもろ)の堂閣 種種の寳(たから)をもって荘厳し 寳樹(ほうじゅ)華菓(けか)多(おお)くして 衆生の遊楽する所なり)」(法華経 441頁)


という一偈の中の一句です。

 この偈文は直前にある、

 「我此土安穏 天人常充満(我が此の土は安穏にして 天人常に充満せり)」(同)


の文を受けたもので、本門の仏の所有である常寂光土の荘厳と、その安楽の相を説き明かしています。
 
 我等が色心依正ともに一念三千自受用身の仏

 日蓮大聖人は『四条金吾殿御返事』に、

 「経に云はく『衆生所遊楽』云云。此の文あに自(じ)受(じゅ)法楽(ほうらく)にあらずや。衆生のうちに貴殿もれ給ふべきや。所とは一閻浮提(えんぶだい)なり。日本国は閻浮提の内なり。遊楽とは我等が色心依正ともに一念三千自受用身の仏にあらずや」(御書 991頁)

と仰せられ、「衆生所遊楽」の文が、法を享受(きょうじゅ)して楽しむ自受法楽、すなわち自ら広大の法楽を受け用(もち)いる自受用身の境地であることを示されています。

 そして、この文の「衆生」とは妙法を持(たも)つ末法の私たち凡夫であり、「所」とは日本国を含む一閻浮提すべての国土であり、「遊楽」とは私たち衆生の色心・依(え)正(しょう)が共に事の一念三千・自受用身の仏であると御教示です。

 これは、正法を中心として信心修行していくところに、その大きな功徳によって自他共に仏の境界に至り、色心二法の上に自受用身としての自受法楽の境界が顕れるということです。
 
 南無妙法蓮華経と唱ふるより外の遊楽なきなり

 日蓮大聖人は前掲の『四条金吾殿御返事』に、

 「一切衆生、南無妙法蓮華経と唱ふるより外の遊楽(ゆうらく)なきなり(中略)現(げん)世(ぜ)安穏(あんのん)・後(ご)生(しょう)善処(ぜんしょ)とは是なり。たゞ世間の留難来たるとも、とりあへ給ふべからず。賢人聖人も此の事はのがれず。たゞ女房と洒うちのみて、南無妙法蓮華経ととなへ給へ。苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思ひ合はせて、南無妙法蓮華経とうちとな(唱)へゐ(居)させ給へ。これあに自受法楽にあらずや。いよいよ強盛の信力をいたし給へ」(同)


と仰せです。真の「遊楽」である自受法楽の境界は、南無妙法蓮華経の題目を自行化他にわたって唱えていく以外にはありません。

 『経王殿御返事』に、

 「いかなる処にて遊びたは(戯)ぶるともつゝ(恙)があるべからず。遊(ゆ)行(ぎょう)して畏れ無きこと師子王の如くなるべし」(同 685頁)


とあるように、私たちはあらゆる国土、さまざまな社会的条件における障害や苦難に対しても、師子(しし)王(おう)のように決して畏(おそ)れることなくそれに立ち向かい、またそれを乗り越えて、人生を遊楽していくことが肝要です。

 そして、現世安穏・後生善処という即身成仏の大功徳も、そこにこそ得られるということを確信すべきです。「苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思ひ合はせて、南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ」との御教示を心肝に染めて、強盛の信力をさらに堅固に持っていきましょう。
 
 真の「遊楽」とは折伏弘教

 御法主日顕上人猊下は、

 「正法を信ずる人は必ず『衆生の遊楽する所なり』と示される如く、皆様方一人ひとりの生活、国土世間乃至、家庭のなかの命が、本当に悠々としたところの境界をもって生活しておるならば『自分もこのような勝れた境界をいただいておる以上、苦しんでおる人々を、この勝れた安楽の境界に導いてあげたい』ということを感じ、確信することが大切と思うのであります。(中略)要するに、我々は『衆生所遊楽』を南無妙法蓮華経の受持、すなわち唱題を根本として、いかなる所においてでも必ずはっきりと対処し、どのような問題に対してでも自らの信心と境界において正しく裁き、正しく開いていくところに、自分自身の妙法蓮華経の当体たる命の確信が生ずるのであります」(大白法 570号)

と御指南されています。私たちは、この「妙法蓮華経の当体たる命の確信」をもって、他の多くの人々を成仏の境界に導いていくことが、自他の成仏の上で最も肝要です。

 妙法当体の確信の上からの真の「遊楽」とは、すべての人々を救うために精進する折伏弘教にほかなりません。三十万総登山の成就達成は、私たち一人ひとりが、真の「遊楽」である折伏弘教に邁進してこそ可能となるのです。
 
 結  び

 現在、宗旨建立七百五十年慶祝記念事業の一つとして、本門戒壇の大御本尊御安置の奉安堂の建設が着々と進んでいます。

 本宗僧俗による異体同心の信心の功徳によって荘厳されるこの殿堂は、まさに下種仏法の寂光の宝刹(ほうせつ)です。

 私たちは、信心に基づく真心の御供養をもって奉安堂を立派に荘厳すると共に、御命(ぎょめい)である三十万総登山を、広宣流布の礎(いしずえ)を築くために何としても達成し、将来、世界中のすべての人々が大御本尊の大慈大悲に包まれた「衆生所遊楽」の人生を築いていけるよう、一層精進してまいりましょう。