フレブル君日記

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雖脱在現具騰本種(すいだつざいげんぐとうほんしゅ)

大白法・平成10年7月16日刊(第506号より転載)教学用語解説(39)


雖脱在現(すいだつざいげん)具(ぐ)騰本種(とうほんしゅ)

 「雖脱在現具騰本種」とは、妙楽大師が天台大師の『法華(ほっけ)文句(もんぐ)』を釈した『法華文句記』にある文で、「脱(だつ)は現(げん)に在(あ)りと雖(いえど)も具(つぶさに)に本種(ほんしゅ)を騰(あ)ぐ」と読みます。

 天台大師の『法華文句』には、四節三益といって、法華経の種・熟・脱の三益について四つの節(種類)があることを示されています。

 第一は、久遠の昔に下種を受け、さらに中間に仏法に値い、後にまた今番の釈尊の化導に値って爾前方便の教えを受けながら次第に機が調い、法華経の序品の時に雨華(うけ)瑞(ずい)・地(ち)動(どう)瑞(ずい)等の六瑞(ろくずい)を見て解脱(げだつ)する人です。

 第二は、久遠に下種を受け、過去に熟し、久遠の近世に脱(だつ)の益(やく)を得た地涌の菩薩です。

 第三は、中間の化導を種とし、爾(に)前権(ぜんごん)経(きょう)を熟とし、法華経を脱とする衆生です。

 第四は、現在の法華経を下種とし、現世を熟、後世を脱とする衆生です。

 「雖脱在現具騰本種」の文は、このうちの第一番目の節を釈した文で、衆生の脱の利益は、現に釈尊の化導によって現れているけれども、それは久遠の昔に法華経の下種を受けたことによる、というものです。つまり、種・熟・脱の三益のうち、もとの下種の大事な所以(ゆえん)を述べている文です。

 但し、法華経の寿量品において久遠五百塵点劫の下種が明かされ、釈尊在世の衆生の得脱(とくだつ)が示され、その得脱の相は分別功徳品に説かれていますが、これは五十二位のうちの初住(しょじゅう)より等覚(とうがく)までの利益であり、現身において成仏する妙覚(みょうがく)の利益ではありません。しかし、大聖人は『観心本尊抄』に、

「一往之を見る時は久種(くしゅ)を以て下種と為し、大通・前四味・迹門を熟(じゅく)と為して、本門に至って等妙(とうみょう)に登らしむ」(御書 656頁)

と仰せられ、「等妙に登らしむ」とあるように、法華経の教相で説かれている等覚のみならず、妙覚の利益があることを御教示されています。

 これは、大聖人の文底下種仏法よりこの寿量品の在世の衆生の得脱の相を見たとき、釈尊の寿量品を聞いた在世の衆生は、その内証において、久遠元初に下種を受けた妙法の種子に達観して覚知し、初住乃至等覚までの高い位を一転して久遠元初の信の位、名(みょう)字(じ)即(そく)という仏法の基本の位に立ち還って妙法を信受し、妙覚の位に至って即身成仏したのです。これが真の文上寿量品の得脱の相です。したがって『秋元御書』に、
 

「三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏に成り給へり」(御書 1448頁)

と御教示のように、久遠元初の妙法こそが、妙覚の位に至る即身成仏の本種となるのです。

 以上のように、「雖脱在現」とは釈尊の寿量品によって在世の衆生がすべて得脱したことでありますが、これは一往の義であって、再往は「具騰本種」すなわち、在世の衆生が久遠元初の下種を覚知して成仏したということなのです。

 末法は即久遠元初であり、久遠元初は即末法ですから、私たち末法の衆生は、御本仏大聖人の妙法を信受することにより、直ちに即身成仏の大利益を得ることができるのです。