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フレブル君日記

フレブルはゆるいよ

師弟相対

大白法・平成21年2月16日刊(第759号より転載)教学用語解説(129)


 師(し)弟(てい)相(そう)対(たい)  
 
 師弟相対とは、弟子が師(し)匠(しょう)に対して絶対の信をもって帰(き)依(え)し、随(ずい)従(じゅう)することを言います。
 
 師弟の道
 
 日蓮大聖人は『一代聖教大意』に、

「此の経は相伝に有らざれは知り難し」(御書 九二㌻)

と、法華経の深い悟りは師匠から弟子に相伝されると述べられています。この御金言を受けて日蓮正宗では師弟関係を古くから、「師は針の如(ごと)く、弟子は糸の如し」と教えられてきました。

 本宗の信心は〝無(む)師(し)独(どく)悟(ご)〟と言うような、教えを師に求めずに独力で悟るということはあり得ません。必ず師が、折にふれ、事にふれて信心を教えていくのです。

 即(すなわ)ち、日蓮正宗の師弟の根本義は、『日蓮一期弘法付嘱書』の、

「血脈の次第 日蓮日興」(御書一六七五㌻)

にあります。

 師匠であらせられる日蓮大聖人の御内証の妙法蓮華経と衆生化導の御振る舞いを、お弟子の日興上人が寸分違(たが)わず、我が身に写(うつ)し取って行じられたのです。

 日興上人が『日興遺誡置文』に、

「富士の立義聊(いささか)も先師の御弘通に違せざる事」(御書一八八四㌻)

「当門流に於ては御抄を心肝に染め極(ごく)理(り)を師伝して」(同㌻)


等とお示しになられたのは、御自身が師弟相対に徹せられた表明であり、また師弟相対による極理の師伝が重要なることを示された文証です。

 このように仏道修行の根本は「日蓮日興の師弟相対」につきるのです。
 
 能(のう)所(しょ)一体
 
 大聖人は『御講聞書』に、

「能と云ふは如来なり、所と云ふは衆生なり、能所各別するは権教の故なり。法華経の意は能所一体なり」(同一八六二㌻)

と仰せのように、法華経は能化の仏と衆生の九界の一体不二が説かれており、その互(ご)具(ぐ)円(えん)融(ゆう)の境界に即身成仏が成ぜられるのであると説かれています。

 第九世日有上人は『化儀抄』に、

「行躰行儀の所は信心なり妙法蓮華経なり、爾るに高祖開山の内証も妙法蓮華経なり」

と御教示されています。師の妙法蓮華経を授け導く一念と、弟子の妙法蓮華経を受け拝する一念は、妙法蓮華経のもとに相対して不二一体になるのです。

 ただし、この能所一体とは、仏と衆生、または師匠と弟子が同等であるとか同格であるというものではなく、日興上人が『佐渡国法華講衆御返事』に、

「なをなをこのほう(法)もん(門)は、し(師)で(弟)し(子)をたゞ(糾)してほとけになり候。しでしだにもちが(違)い候へば、おなじほくゑ(法華)をたも(持)ちまい(進)らせて候へども、む(無)げん(間)ぢ(地)ごく(獄)におち候也」

と御指南されているように、能化と所化、師弟子の筋目を正した峻(しゅん)厳(げん)な信心の境界を言い、この信心の確立によって仏と衆生、師匠と弟子が一体の境地となるのです。

 それは、第九世日有上人が『化儀抄』に、

「手(て)続(つぎ)の師匠の所は三世の諸仏高祖已来代々上人のもぬけられたる故に師匠の所を能ク々取り定メて信を取るべし、又我カ弟子も比クの如く我レに信を取るべし、此ノ時は何レも妙法蓮華経の色心にして全く一仏なり、是レを即身成仏と云ふなり云云」

と御指南されているように、弟子が血脈付法の師匠にどこまでも随従していくことであり、この師弟の筋目を正すことが事行の一念三千・妙法蓮華経の修行なのです。
 
 師の心に違(い)背(はい)するは堕(だ)獄(ごく)の因
 
 また、日有上人は、

「私ノ檀那之事、其れも其筋目を違はば即身成仏と云フ義は有るべからざるなり」

と示され、日因上人は、

「此ハ師檀の因縁を示す檀那ハ是俗ノ弟子なり、故ニ師弟血脈相続なくしては即身成仏に非す、況や我が師匠に違背せるの檀那ハ必(ひつ)定(じょう)堕獄なり」

と、御教示されています。

 これらの御指南は、末法の御本仏である日蓮大聖人はもちろん、血脈付法の御法主上人猊下を現在の仏法の大師匠と仰ぎ、その御指南に信伏随従して信仰に励むところに、師弟相対による即身成仏の大功徳が具(そな)わるのであり、反対にこれに違背する者は地獄に堕ちることが必定であると仰せられたものです。したがって、私たちは師の心に適(かな)った信心を常に心掛けていかなければなりません。
 
 まとめ
 
 即ち、日蓮大聖人を末法下種の教主・主(しゅ)師(し)親(しん)三(さん)徳(とく)兼(けん)備(び)の御本仏と仰ぎ、大聖人の甚深の仏法を唯授一人の血脈相承をもってお受けあそばされた第二祖日興上人以来の御歴代上人を本師と仰いで仏道修行に励むことにより、末法の衆生は下種三宝と冥(みょう)合(ごう)して成仏得道が叶えられるのです。

 この基本に則った上で、御法主上人猊下の任命により各末寺に派遣された御住職・御主管を、血脈法水への手続の師匠として、信行に励むとき、末法凡下の我々の生命に信心の血脈が通い、大聖人からの法水が流れ通って我が身の全体が妙法蓮華経の当体と顕現するのです。

 大聖人の下種仏法は、己の智(ち)解(げ)によって成仏するのではなく、師弟相対の信の一字によって成仏が遂げられることを心得ましょう。