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フレブル君日記

フレブルはゆるいよ

手(て)続(つぎ)の師(し)匠(しょう)

大白法・平成13年6月16日刊(第575号より転載)教学用語解説(71)

 「手続の師匠」とは、「手継の師匠」とも書かれ、総本山第九世日有上人の『化儀抄』に、
 

「手続(てつぎ)ぎの師匠の所は、三世の諸仏高祖已来代代上人のもぬけられたる故に、師匠の所を能(よ)く能く取り定めて信を取るべし、又我が弟子も此くの如く我に信を取るべし、此の時は何れも妙法蓮華経の色心にして全く一仏なり、是れを即身成仏と云うなり」(聖典 974頁)


と説かれたところに由来します。

 「手続」とは、一般的に事務上の手順などを意味しますが、本来は、「物事について、他人を介さず直接承継し付嘱すること」や「正統な承継の次第、また二者の間を取り次ぎ仲介する」という意味も含みます。

 したがって「手続の師匠」とは、前者の意によれば、日蓮日興・唯我与我の重における下種仏法の正統な承継者、すなわち唯授一人血脈付法の御法主上人に当たり、これを「手続の師匠」の本義とします。また後者の意によれば、私たち法華講員の信心を、御法主上人の血脈へ取り次がれる、各寺院の住職・主管、すなわち指導教師に当たるのです。
 
 手続の本義は唯授一人の血脈相伝

 『百六箇抄』に、
 

「直(じき)授(じゅ)結(けっ)要(ちょう)付嘱は唯一人なり。白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢(おわ)んぬ。上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり」(御書 1702頁)


と仰せのように、本門戒壇の大御本尊をはじめとする日蓮大聖人の仏法の一切は、唯授一人血脈付法の日興上人に受け継がれ、その血脈法水は、日興上人から日目上人、さらに日道上人と次第して、一器の水を一器に瀉(うつ)すように、現日顕上人に受け継がれているのです。この直授結要付嘱、つまり唯授一人の血脈相承そのものが、仏法上の「手続」の本義です。

 したがって『化儀抄』では、「手続の師匠」たる時の御法主上人の御内証には、三世諸仏、並びに御本仏大聖人・日興上人以来の魂魄(こんぱく)、すなわち妙法の血脈法水が抜けてきている故に、御法主上人を仏法の大師匠と定めて師弟相対の信心をいたすべきであるとされ、私たちもこの信行により、大聖人以来の血脈法水に浴して師弟不二を成じ、妙法即身成仏の本懐を遂げると仰せなのです。
 
 所属寺院の住職・主管も手続の一分

 右の「手続の師匠」を大前提とした上で、所属寺院の住職・主管にも、手続の師匠としての意義があります。すなわち、寺院の住職・主管には、その御法主上人に対する師弟相対の信心のもとに血脈法水が通うのであり、そこから所属の法華講員に信心指導をされ、また講員の信心を御法主上人の血脈へ取り次がれるのです。したがって、所属寺院の住職・主管は、仏法における直接の師匠であり、指導教師となるのです。
 
 師弟子の筋目を正して仏に成る

 本宗の信徒は、「手続の師匠」の意義を正しく知って、御法主上人を現時における仏法の大師匠と仰ぎ、所属寺院の住職・主管を仏道の直接の師匠と拝して、毎日の信仰に励むことが大切です。何故ならば、日興上人が『佐渡国法華講衆御返事』において、
 

「こ(此)のほうもん(法門)は、しでし(師弟子)をたゞ(糾)してほとけ(仏)にな(成)り候。しでし(師弟子)だにもちが(違)い候へば、おな(同)じほくゑ(法華)をたも(持)ちまい(進)らせて候へども、む(無)げん(間)ぢごく(地獄)におち候也」(歴代法主全書1―183頁)


と御指南されるように、師弟子の筋目を正して信行に励んでこそ、初めて妙法即身成仏の本懐を得るからです。反対に、もし師弟子の筋目に背(そむ)いたならば、如何に法華経を受持信行しようとも、師敵対の大謗法罪によって、必ず無間地獄に堕ちることになるのです。
 
 創価学会の大聖人直結は大謗法

 以上のように、「手続の師匠」の意義を正しく知ることは、下種仏法の師弟の筋目を正すことであり、それはそのまま、私たちの即身成仏の要道を知ることになります。

 ところが、血脈法水の大事を無視し、下種仏法を破壊せんとする池田大作は、
 

「私どもは、どこまでも大聖人とご一緒である。『僧宝』であられる日興上人の仰せ通り、御本尊と御書を根本に、大聖人直結の信心を貫いているのである」(聖教新聞 平成三年十月十二日付)


と放言し、大聖人直結が、まるで日興上人の仰せであるかのごとく述べて、その正統化を謀っているのです。

 しかし、その日興上人御自らが先の御文に続いて、
 

「うちこしうちこしぢき(直)の御でし(弟子)と申スやから(輩)が、しやう(聖)人の御とき(時)も候しあひだ(間)、ほん(本)でし(弟子)六人をさだ(定)めお(置)かれて候。そのでし(弟子)のけう(教)け(化)のでし(弟子)は、それをそのでし(弟子)なりとい(言)はせんずるためにて候。あん(案)のごとくしやう(聖)人の御のち(後)も、すゑ(末)のでし(弟子)どもが、これはしやう(聖)人のぢき(直)の御でし(弟子)と申スやから(輩)おほ(多)く候。これが大はうぼう(謗法)にて候也」(歴代法主全書1―184頁)


と仰せられ、創価学会のいう大聖人直結こそ、まさに大聖人・日興上人の御意に背く大謗法であると断じられているのです。故に、この大謗法団体の邪義を徹底して破折することが、また師弟の筋道を正しく行ずる私たちの使命であることを知りましょう。
 
 僧俗和合をもって三十万達成へ

 大聖人は『法華初心成仏抄』に、
 

「祈りも又是くの如し。よき師とよき檀那とよき法と、此の三つ寄り合ひて祈りを成就し」(御書 1314頁)


とお示しです。「よき法」とは本門戒壇の大御本尊であり、また「よき師」とは別して大聖人、総じては「手続の師匠」たる歴代の御法主上人です。私たち法華講員は「よき檀那」として、「手続の師匠」たる御法主上人の御指南に信伏随従し、指導教師の御指導のもと、異体同心して自行化他の題目を唱え、明年の三十万総登山達成に向かって精進することが肝要です。