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フレブル君日記

フレブルはゆるいよ

広宣(こうせん)流布(るふ)

大白法・平成11年2月16日刊(第519号より転載)教学用語解説(45)

 「広宣流布」とは、『薬王(やくおう)菩(ぼ)薩本(さつほん)事(じ)品(ほん)』に、

「我(わ)が滅度(めつど)の後(のち)、後の五(ご)百(ひゃく)歳(さい)の中(なか)に、閻浮提(えんぶだい)に広宣(こうせん)流布(るふ)して、断絶(だんぜつ)せしむること無(な)けん。悪魔(あくま)、魔民(まみん)、諸天(しょてん)、龍(りゅう)、夜叉(やしゃ)、鳩槃荼(くはんだ)等(とう)其(そ)の便(たより)を得(え)ん」(新編法華経 539頁)

と説かれているように、末法濁悪の世において、日蓮大聖人の仏法を広く宣(の)べ、未来永劫にわたって一閻浮提に流布していくことをいいます。

 この広宣流布の淨願(じょうがん)は、『見宝塔品(けんほうとうほん)』の六難(ろくなん)九易(くい)に見られるように、たやすく成就できるものではありません。

 なぜなら、末法の人々は妙法の下種を受けていない衆生であり、邪宗邪義によって人心が撹乱(かくらん)した毒気深入の衆生です。このような謗法充満の衆生は素直に正法を聞かず、かえって怨嫉(おんしつ)して正法の行者を迫害するのです。

 しかし、大聖人は『諸法実相抄』に、

日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつた(伝)ふるなり。未来も又しかるべし。是あに地涌の義に非ずや。剰(あまつさ)へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」(御書 666頁)

また『報恩抄』に、

日蓮が慈悲曠大(こうだい)ならば南無妙法蓮華経は万年の外(ほか)未来までもながる(流布)べし」(同 1036頁)

とのように、南無妙法蓮華経の正法は必ず世界の人々に唱えられて広宣流布する、と大確信をもって説かれています。

 そして、広宣流布の悲願が成就するならば、『如説修行抄』に、

「天下万民諸乗一仏乗と成りて妙法独りはむ(繁)昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱へ奉らば、吹く風枝をならさず、雨土くれをくだ(砕)かず、代はぎ(羲)のう(農)の世となりて、今生には不祥の災難を払ひて長生の術を得、人法共に不老不死の理(ことわり)顕はれん時を各々御らん(覧)ぜよ、現世安穏の証文疑ひ有るべからざる者なり」(同 671頁)

とのように、人災や天災に脅(おびや)かされることもなく、平和な仏国土を築くことができます。

 そのためには、第二祖日興上人が『日興遺誡置文』に、

「未だ広宣流布せざる間は身命を捨てゝ随力弘通を致すべき事」(同 1884頁)

と門下を督励(とくれい)されているように、身命を捨てた随力弘通、すなわち折伏こそ大事です。

 広宣流布は絵に画いた餅(もち)ではありません。今こそ南無妙法蓮華経を信受する一人ひとりが、身口意の三業をもって常に折伏弘通に精進しなければ、広宣流布への盤石な基礎を構築することはできません。

 正しい御本尊と教義を根本とし、血脈付法の御法主上人猊下の御指南のもと、僧俗異体同心して折伏弘通に全力を尽くすところに広宣流布はあるのです。