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フレブル君日記

フレブルはゆるいよ

五(ご)一(いち)の相(そう)対(たい)

教学用語の基礎知識

大白法・平成19年8月16日刊(第723号より転載)教学用語解説(117)


 五(ご)一(いち)の相(そう)対(たい)  
 五一の相対とは、日蓮大聖人の御(ご)入(にゅう)滅(めつ)後(ご)、本弟子六(ろく)老(ろう)僧(そう)のうち、日興上人と五老僧(日(にっ)昭(しょう)・日(にち)朗(ろう)・日(に)向(こう)・日(にっ)頂(ちょう)・日(にち)持(じ))との間に生じた法義・信(しん)仰(こう)上における正(せい)邪(じゃ)の相違をいいます。
 これは、日興上人の『富士一跡(せき)門徒存知事』や、また日興上人の命を受けて書いた三(さん)位(み)日(にち)順(じゅん)師(し)の『五人所破抄(しょう)』に詳(しょう)説(せつ)されています。それらの相違点を挙げると概(おおむ)ね以下の通りとなります。
 五老僧の謗(ほう)法(ぼう)と日興上人の正義
一、本(ほん)迹(じゃく)勝(しょう)劣(れつ)一(いっ)致(ち)の問題
 法華経には始(し)成(じょう)正(しょう)覚(がく)の釈(しゃく)尊(そん)が説いた迹(しゃく)門(もん)と、釈尊の五(ご)百(ひゃく)塵(じん)点(てん)劫(ごう)の成(じょう)道(どう)を説いた本門の二門があり、そこには垂(すい)迹(じゃく)と本地の勝劣があります。その上で天台大師は、迹門も本門の開(かい)顕(けん)によって本門の中の迹門となれば同じ一味平等の妙法であるとし、「本迹異(こと)なると雖(いえど)も不思議一」と釈して迹門の一念三千を説かれました。五老僧は、大聖人の教えはこの天台の教義をそのまま踏(とう)襲(しゅう)したものとして本迹一致を主張したのです。しかし、日興上人は、天台は薬(やく)王(おう)菩(ぼ)薩(さつ)の後身として迹門を面(おもて)として弘(ぐ)通(づう)され、大聖人は上行菩薩の再誕(内証本仏)として末法に本門の肝(かん)要(よう)の妙法五字を弘通されたことを示されます。そして、
「本迹既(すで)に水火を隔(へだ)て」(御書一八七七頁)
と本迹勝劣を論じ、五老僧の本迹一致の邪義を破(は)折(しゃく)されたのです。
 
二、本尊の問題
 大聖人御入滅後、南部の地頭波(は)木(ぎ)井(り)実(さね)長(なが)は、日向の教(きょう)唆(さ)もあって釈尊の一体像を造立しました。日興上人は、それを止めるために幾(いく)度(ど)となく教(きょう)誡(かい)された上で、それでもあえて立(りゅう)像(ぞう)仏(ぶつ)に執(しゅう)着(じゃく)し帰(き)依(え)するならば、上行等の四菩薩を添(てん)加(か)するのが至(し)当(とう)であるとして一体仏を否定されました。するとそれを聞いた他の老僧やその門徒たちは、至るところで四菩薩の造立を始めました。
 これらの愚(ぐ)行(こう)に対して日興上人は、一体像は小乗の仏より劣(おと)り、末法の機(き)根(こん)からすれば本尊としての利(り)益(やく)はないこと。また、四菩薩添加の真意は、一切の造像を停止するための一時的方便であることを御指南されています。そして、大聖人所顕の妙法漫(まん)荼(だ)羅(ら)御本尊こそが末(まっ)法(ぽう)適(ちゃく)時(じ)の御本尊であることを仰せられ、大聖人御本意の漫荼羅御本尊を軽視する五老僧を破折されたのです。
 
三、方便寿量助行・題目正行と一部五種行の問題
 大聖人の常の御所作は、助行として方便品・寿量品を読(どく)誦(じゅ)され、正行として題目を唱えられていたことは紛(まぎ)れもない事実です。ところが五老僧は、如(にょ)法(ほう)経(きょう)(写経)や一日経(大勢が集まり、一部の経を一日で書写すること)などの五種行を修していました。
 日興上人は、五種の行は法華経に説かれたところではあるが、それは正法・像法時代の摂(しょう)受(じゅ)の行であること。末法は一部読誦を専(もっぱ)らとせず(方便品・寿量品を読誦し)、ただ妙法の題目を唱え、折伏を行ずることが末法適時の行法である、と破されています。
 
四、神社参(さん)詣(けい)を許(ゆる)すや否やの問題
 五老僧は、現(げん)当(とう)二(に)世(せ)の所願を祈(いの)るために信徒の神社参詣を許しました。
 日興上人は、『立正安国論』の正意に基づき、一国が謗法であれば善神はことごとく社(やしろ)を捨て去り、かわって悪鬼(き)神が乱入して災いを起こすのであるとして、神社参詣を禁じて許しませんでした。
 
五、日蓮が弟子と天台沙(しゃ)門(もん)の問題
 五老僧は、大聖人を天台の余流であるとし、自らの奏(そう)上(じょう)に「天台沙門」と称(しょう)して国家の長久を祈(き)願(がん)しました。
 日興上人は、自らの申(もうし)状(じょう)に「日蓮聖人の弟子」と称されており、「天台沙門」と称する五老僧を歎(なげ)かれています。そして謗法の僧等に与同(よどう)して国家の長久を祈る五老僧を糾(きゅう)弾(だん)されています。
 
六、御書尊重不尊重の問題
 大聖人はその御在世中、信徒によって漢文体、または仮名文字を使って御指南されましたが、五老僧は、大聖人を天台の余流と考えていたために、大聖人の仮名書きの消息文よりも天台の漢(かん)籍(せき)を重視していました。そして、仮名書きの御書を大聖人の「恥(ち)辱(じょく)を顕(あら)わす」ものとして漉(す)き返しにしたり、焼(しょう)却(きゃく)をして、御書の重要性を軽視したのです。
 日興上人は、大聖人は末法適時の教法を説くために相手の機(き)情(じょう)を鑑(かんが)みられて、漢字、あるいは和字をもって教化を施(ほどこ)されたのであり、それらの御書はすべて末法の聖典であると尊重されました。また十大部を選定すると共に、大聖人所立の仏法が世界に流(る)布(ふ)する時には、それら各国の言葉に翻(ほん)訳(やく)されることも仰せです。
 
七、本門の大(たい)戒(かい)と一向持戒の問題
 五老僧は、天台が用いた梵(ぼん)網(もう)経(きょう)・瓔(よう)珞(らく)経等の四十八軽戒を受持すべしとしたようです。日朗などは自分の弟子を比(ひ)叡(えい)山(ざん)で受戒させました。
 これに対して日興上人は、大聖人の正意たる法華本門の大戒(三大秘(ひ)法の受持)に立って、爾(に)前(ぜん)迹門の戒に執着する五老僧を破折されています。
 ま と め
 日興上人は、『日興遺(ゆい)誡(かい)置文』に、
「富士の立義聊(いささか)も先師の御弘通に違せざる事」(同一八八四頁)
と、御自身はどこまでも大聖人の正法正義を護持されてきたことを宣(の)べられ、そして今後、大聖人の三大秘法に関する法門、教義、化(け)儀(ぎ)、その他の一切が、大聖人の御指南、御弘通にいささかの相違があってはならないことを誡(いまし)められています。
 日蓮正宗の源流は、まさに五一の相対をもって仏法の正義と邪義を明確にお示しくださった日興上人の謗法厳(げん)誡(かい)・破(は)邪(じゃ)顕(けん)正(しょう)の御教導にあります。
 私たち法華講は、この日興上人の清流に浴することのできた誇(ほこ)りをもって、いよいよ折(しゃく)伏(ぶく)弘通に精(しょう)進(じん)していきましょう。

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